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「守る」の奥では、見守っている

自分の傷つきやすさ・敏感さと向き合って「大切な子ども時代を守りたい」というミッションが見つかった話を書きました。

いつになくたくさんの方に読んでいただけて、うれしい限りです。ありがとうございます◎

さて、

“体力・気力のないわたしでも、子どもが「傷つかないために」なら不思議と力が湧いてきます。”

いまの仕事がしっくりくる理由としてこんなことを書きましたが、「傷つかないため」に「守る」というのは、担任として子どもの日々に関わっているときの感覚とはちょっとちがうかも〜と思うので、もう少し丁寧にみていくことにします。

結論から言うと、

「見守る」「信じる」「支える」感覚のほうが近いです。

手を貸しすぎたり、無菌室に囲い込むのではなく。

根本的に、目の前の人(子ども)には立ち直る力自分でやる力があることを信じています。傷ついたり、失敗したりしても、自分でやり直していくことのできる力。

だから、その力に光をあてていくという感じです。

その力が弱っていたり、うまく発揮できなくなっているときには介入が必要ですが、わたしの立場では、救ったり、保護したりすることが基本姿勢にはなりません。

自分自身がまさに傷つきやすさからミッションを見出したように、傷(いたいこと)から学ぶ権利もあるということを、どこかずっと忘れずにいます。

じゃあ、子どもの日々に関わる者(担任)として具体的に何をしているか。

一つは、「立ち直る力」そのものである生命力にこつこつ呼びかけることです。それは生活リズムや広い意味での呼吸を整えること、芸術的なものを介して(エンタメ的な楽しさではなく)心地よい時間をつくることによってです。

芸術というと「ごちそう」の感じがしてしまいますが、ごく身近にありふれているものと考えています。例えば、絵を描く、歌を歌う、物語を聴く、詩を唱える等。

何気ないものの中にある「美しい」を一緒に感じたいきたいから、授業でお散歩に出かけることもします。

イメージとしては、毎日食べても飽きないご飯とお味噌汁。同じご飯でも今日のご飯と明日のご飯は違うと思えるような、そういう目を持って一緒に過ごしたいです。

そこで、お家でできることを探している方に一つ提案です!

子どもに何かいいことをしてあげたいと思う時、現代では「足す」「加える」「与える」のイメージが強いですよね。たとえば、習い事をさせる、お出かけして新しい体験をさせる等。

でも、それだけでうまくいかない状況もあると思います。そんな時は、子どもによくないものを「引く」「抜く」「整える」という方向もあることを思い出していただきたいです。

シンプルによく寝て・よく食べて・思いっきり遊ぶことができれば、子どもは十分に幸せだと思います。こちらが良かれと思ってしてあげたextraなことよりも、「え?こんなんでいいの?」というもので喜ばれること、結構ありますよね?

たとえばうちのクラスの子。「きのうお誕生日だったけど、何食べたの〜?」と聞くと、「納豆パスタ」と返ってきました。

お家の人に「好きなものなんでもいいよ」と言われて自分でリクエストしたのだそうです。(かわいい)「そんなんでいいの?って思ったけど、楽できてありがたかった〜」とお母さんも笑っていました。

いつものことをほんのすこ〜し見直すだけでいいんです。

たとえば、「ごはんをおいしく食べるためにお菓子は減らす」「夜はTVやYouTubeを見せないで静かに過ごす」「車で送り迎えせず自分の足で歩かせるようにする」といったような、子どもや自分にもバレないくらいうっすらとした調整。(逆にわざわざ言葉でしないほうがいいかもしれませんね)

習慣についての見直しがあるかどうかは、大きいと思いますよ!なんてったって、「日々」が人をつくっていますから◎

これは子ども自身にできることではなく、周りの大人がやってあげるしかありません。

かく言うわたしは、自分の「日々」で見直さなくちゃいけない項目をたっっっくさん抱えております。でも、見直しまくって自分を整えていくのが仕事みたいなところもある!だから、「これをやってみた」「難しかった」「こうすればよくなった」という話をこれからnoteにたくさん書いていきたいです。

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