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「孤独と不安のレッスン」鴻上尚史

「ひとりはやだな。一人は寂しいな。」ってなんとなく思っていませんか?
でも本当にそうでしょうか。本当にひとりは惨めなのでしょうか。本当に寂しいのでしょうか。恥ずかしいことなのでしょうか。

人間は、一人でいる時に成長するのです。

「孤独と不安のレッスン」鴻上尚史

ついつい他人の評価を通して自分を見てしまい、自分は本当はどうありたいのか、わからなくなってしまうことはありませんか?

いつも自分自身の価値観、判断軸で生きられたら楽なのにと思いますが、そのためにはどうすれば良いのか。

子どもたちに伝えたくてこの本を読んでみたのですが、自分自身にもずしりと響く内容でした。

あなたにも響く部分があるかもしれません。
少しフラフラしているなと感じたら、ぜひ読んでみてください。

「孤独と不安のレッスン」鴻上尚史

この本には、
人は孤独や不安から一生逃れることはできないのだから、「本当の孤独」と「前向きな不安」を生きよう。それを楽しみ、共に生きよう。
ということが書かれています。

人はみな、一人はみじめだと思い込んでいることに苦しめられているだけで、きちんと一人でいられれば、その時間はとても豊かな時間なのだと鴻上さんは述べています。

「一人でいること」と「一人はみじめ」だと思い込むことは全く違うのです。孤独に苦しむのは孤独がみじめだと思うからであり、その思い込みを外すだけで、孤独の恐怖から解放されるのだそうです。

「本当の孤独」とは孤独について考え、孤独を味わい、自分自身と対話をすることです。これは前向きなことで、私たち、特に若い人たちに必要なことです。

他人からの評価を通して自分を見るのではなく、自分自身としっかり対話することが必要なのです。

自分自身と対話する

自分自身と対話するというのは、自分の一番深い部分と対話することなのですが、これは心と体を本当にゆるめないとなかなか見えてこないものです。

頭はすぐに理解できても、体の深い部分まで本当にゆるめて理解するためには、最低でも一週間は一人になって、自分と向き合う時間が必要です。

人は本当にお腹が減った時でないと、自分が本当に何を食べたいのかわからないのと同じように、本当に退屈で孤独にならないと自分が何を求めているのか見えてこないのです。

不安との付き合い方

今の世の中に生きていて不安でない人はいません。
成功してもまた次の不安が押し寄せてきて、不安をなくすことは不可能なのです。では不安に押し潰されないようにするにはどうしたら良いのでしょうか。

それは不安とうまく付き合っていくことです。不安を大きくするのはあなたの想像力です。不安はあなたの妄想の中でどんどん大きくなり膨らみます。

ぶつかる
そんな時は直接触れてみてください。ぶつかってみてください。
途中でやめたり、中途半端に触れてしまうとその先にまた不安が出てくるのでとことんやるのです。

直接触れると、確かに傷つきますが、想像してどんどん不安を大きくしてしまう場合よりも、苦しみの量を減らすことができます。

人間は分かり合えないものだという前提
人間は本来分かり合えないものなのです。どうしてわかってくれないのと苛立ち、不安を感じるのは、人間は分かり合えるものだという前提があるからです。

どんなに付き合っても相手が「何も言わないでもわかってくれるもう一人の自分」になることはありません。

不安にフォーカスすることをやめる
誰かに何かをあげるということをすることで、自然と不安にフォーカスすることをやめられます。

ゴミを拾うでもいいし料理を振る舞うでもいい。笑顔をあげるでも良いのです。自分にこだわることをやめ、不安を見つめることをやめましょう。

他人と他者

他人はただ周りにいるだけの人、受け入れる気持ちも必要もない関係。
他者は「受け入れたいのに受け入れられない」、あるいは「受け入れたくないのに受け入れなければならない」存在。例えば親子や恋人同士のように喜びと同時に孤独や不安をくれる人。

このやっかいな存在である他者と、コミュニケイション(鴻上さん著)を諦めないでどう付き合えるかが人間としての成熟度なのです。

これができる人は自分の不安ともうまく付き合うことができて、「前向きの不安」を生きられる人です。

残念ながらやり方の正解はありません。のたうち回って正解を探すのみ。

傷つきたくないから、人と深く付き合わないことで不安を軽くしようとすると、あなたのまわりは他人ばかりになります。それでは楽しくありませんよね。

「考えること」と「悩むこと」の区別

どうやっても不安は一生なくならないのなら「前向きな不安」を生きましょう。アプローチの仕方で、その不安は「前向きな不安」にも「後ろ向きな不安」にもなります。

悩んでいると、あっという間に時間が過ぎて何も生まれません。ただ、時間が消えていくだけ。「悩む」というのは「後ろ向きな不安」の中にいることです。

一方、どうしようかなとその問題に対して次の行動を「考える」のは「前向きな不安」。何かやるべきこと、アイデアを思いついてそれについて行動しているとき、不安は少しおさまります。その結果間違っていても、やればやるだけ何かが残ります。

さて、あなたはどうしますか?

「ありたい自分」と「今ある自分」

誰しも「ありたい自分」と「今ある自分」には開きがあるものです。そのズレは不安の原因となり、ズレが大きいと「ありたい自分」が「今ある自分」に口うるさく批評する状態となります。

「今ある自分」は何も言えなくなってしまい、孤独と不安で心がいっぱいになります。

しかし、目の前で起きていることに心動かされると「今ある自分」が「ありたい自分」の口うるさい批評を無視できる瞬間があるのです。

他者との適切な関係にたどり着く唯一の方法は、実際に目の前にいるその人と、直接の会話をして距離を決めることです。

思っていることを口に出してこの距離で良いのか実際に質問することです。他者とのコミュニケイションを諦めてはいけません。

67点の人生を認めること

どうやっても不安は一生なくならないから、うまく付き合うには100点ばかりを目指さないことが大事です。

人生は26点とか、46点とか、67点で生きていくものなのです。100点が良いのは当然ですが、100点以外は全部ダメですか?その生き方はあまりにも苦しくはないですか?

まとめ

今まさに将来への不安や他者からの評価に翻弄されている子どもたち。ふにゃふにゃの価値観ではとても乗り切れない。

ぶつかって、考えて、諦めないで。

苦しそうだけど、「本当の孤独」を体験して、ぜひ「前向きな不安」を生きてほしい。67点でもいいじゃないか!って思える日が来ますように。


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