ソウルフィルド・シャングリラ 第五章(2)
更に銃声。
護留の身体にも穴が開くが即座に治癒する。だが悠理の傷は塞がらない。
「ふん。やはり死なないか。お前たち、御役目ご苦労」
時臥峰が虫を払うように手を振ると、四人の侍女はくたりとその場に力なく崩れ折れた。擬魂と有機アクセラレータを取り付けられた、〝動く屍〟だ。地上やこの地下にいるゾンビとの違いは身体が機能しているかしていないかだけ。昔、重犯罪に対する刑罰として用いられた手法だ。とことん悪趣味なやつだな、と護留はぼんやりと思う。
「これで、天宮が企むプロジェクト・アズライールもご破算というわけだ」
時臥峰の言葉に、曖昧になっていた護留の思考が焦点を結んだ。
「なに――?」
「現当主である悠理の抹殺、そして『負死者』――『Azrael-02』である引瀬護留の確保。ついでに市税局から貸与された徴魂吏も持ち帰るか」
五体のグリムリーパーはじわりと護留の包囲を狭める。
「財団にとって満足すべき結果だ。これでプロジェクト・アズライールも我々が描いた姿へと修正することが可能になるな」
「貴様ら……財団――空宮か……!」
「今は天宮の情報部長サマだぞ俺は。理生のやつは、財団を完全に過小評価してあんな見せかけの計画に騙されたと思っていたようだが。公社の中にも財団派は多いのを知らないわけじゃあるまいに」
「――……」
「うん? 言いたいことがあるならはっきりと言えよ。お前は持ち帰ることになってるからな、道中仲良くしようぜ」
「強く生きるって言ったそばから、死んでる場合じゃないだろうがっ! 悠理!」
護留の掌からE2M3混合溶液製のナイフが生える。
決断は一瞬。
床に転がる悠理の心臓に、突き立てる。
――紛い物の生を過ごす自分には、紛い物の死しか与えられない。
致死傷を負わせた対象は、護留と同じように再生を開始するが大抵の場合、護留のように人型には戻らず肉塊へと成り果てる。
――だが悠理なら。
元は一つの魂から分かたれた、護留と同じ存在である『Azrae-01』なら。
「とっとと起きないとまた脱がすぞ!」
ドクン。
脈動が、ナイフから護留の手へと、伝わった。
「気でも狂ったか? おいさっさと拘束してしまえ」
時臥峰は眉を顰め、グリムリーパーに指令を下す。五体のグリムリーパーは一斉にリヴサイズを振りかぶると、白銀の三日月のような残像を描きながら致死の勢いで打ち振った。
轟音。
グリムリーパーの鎌は――護留には当たらなかった。
(『Azrael-02』との深深度接続を確認。全機能の転移を承認……終了。超再生〈モルフォスタシス〉プロトコル、全ローテーション……終了。『Azrael-01』、再起動……成功。仮想人格との融合を開始……終了。耐発散機構〈アンチダイバージェンスシステム〉展開中……終了。魂魄制御〈アストラルコントロール〉開始。内丹炉群起動……臨界達成。ハイロウ・フェノメノン確認。反魂子機関〈アンチアストラルマターエンジン〉始動。魄〈サブシステム〉及び擬似魂魄〈イミテイションゴースト〉全て正常に稼働中。エナンチオドロミー処置開始……終了。阿頼耶識層ALICEネットへ接続中……成功)
(『止揚〈アウフヘーベン〉』、完了。『Azrael』完全起動、成功)
(久しぶり――そして私〈ゆうり〉の中へようこそ、悠理〈わたし〉)
振り下ろされたリヴサイズは全て光る粒子に阻まれ、空中で静止していた。
「悠理――?」
悠理は、宙空1メートル程度の高さに浮かんでいた。床に散った血液は燐光を放ち、悠理に再吸収される。護留の刺したナイフも胸の中にずぶずぶと沈み込んでいった。
周囲の空間に光る粒子――反魂子が、溢れ返る。それらは渦を巻いて悠理に纏わりついた。
悠理の白銀の髪の毛が床まで伸びる。それはまるで羽根のようにも、ゆったりとした衣のようにも見える。4つの銃創は反魂子が撫でるように通り過ぎると跡形もなく消え去った。
「これは――これはなんだ! 悠理も負死者だったのか!? 屑代のやつは、『Azrael-01』は殺せば死ぬと確かに……」
「違う、これは負死者なんて不完全で醜悪なものじゃない」
時臥峰の喚きを護留は静かに否定する。ナイフを刺した時に、護留にも〝声〟が流れ込んできた。
『Azrael』が、覚醒したのだ。
護留が、悠理の暗殺を依頼された理由。引瀬由美子によって掛けられた鍵――仮想人格の消滅と『Azrael』同士の深深度接触における魂魄融合、それらを一気に起こす手段。
それが今、偽の情報に踊らされた時臥峰と、悠理を救おうとする護留の行動によって、成された。
空中の悠理が、目を開く。
その色は元型変質により脱色された紅色でなく、透き通るような蒼〈アズール〉。
澄崎市が失った、空の色。
悠理は自分の身体の調子を確かめるように軽く手足を動かす。反魂子がその度に燦めく跡を残す。
髪の毛が、広がる。反魂子が毛先の一つ一つにまで宿ってゆく。今やそれは黄金よりなお眩い輝きを放っている。
悠理がつと、上を向いた。手を伸ばし、天井を掴むような仕草をする。
カタカタという細かい振動が起こった。すぐにそれは激震となり立つのもままならなくなる。頭上からは、先の轟音に100倍する破壊音が迫ってきた。
地下居住区全体が、天井を構成する巨大パネル――つまり地表の廃棄区画にとっての地面の落下により押し潰される音だった。
護留のねぐらも地下の端にあったが当然巻き込まれる。護留の視界は二転三転し――何も分からなくなった。
†
西暦2199年7月8日午前4時40分
澄崎市極東ブロック特別経済区域、占有第三小ブロック、天宮総合技術開発公社・本社ビル
黎明の澄崎に、その破壊音と振動は響き渡った。同時に市の全区域で停電が発生。警報が鳴り始める。
本社ビルは、市税局が集めた市民の魂からエネルギーを供給されているので影響はない。最上階にある社長室から見ると他のブロックも重要施設は電源が回復してポツポツとした光が識別できるが、南西の廃棄ブロックだけは真っ暗だった。元々夜の商売が多く、違法な発電も多く行われている廃棄区画だが、今や完全に沈黙している。
高感度カメラや赤外線、思念波、魂魄波動レーダーを統合した映像が論理網膜に映し出される。
奈落が口を開けていた。
地下居住区の相当深くまでに亘って陥没している。
そして、穴の中心には思念波や魂魄波動レーダーのみで明るく輝く〝何か〟が写っていた。
天宮理生はそれを見て、満足そうに微笑んだ。
ALICEネット阿頼耶識層で複数回確認された縁起律〈シンクロニシティ〉の偏向から、『Azrael』シリーズの潜伏場所が特定されたのが三時間前。屑代が抜けた後に情報部長の地位に収まった時臥峰をグリムリーパーと共に即座に派遣した。
結果が、あの大穴だ。
あのサイコパス気味の空宮のエージェントは、こちらの期待通りユウリを殺し――そして『Azrael-02』がそれを助けたのだろう。
停電とほぼ時を同じくしてALICEネット接続にも障害が発生している。『Azrael』覚醒による反魂子の過剰生成とそれに伴うネットの輻輳と高負荷現象――技術的発散の兆候だ。残された狭い回線を使って理生の元には様々な報告や連絡が届いているが全て無視していた。
全ては、もう終わるのだから。
「電話くらい出たらどうだ?」
いつの間にか社長室の入り口付近に一人の男が立っていた。暗灰色のスーツにデータグラスを装着している。
「屑代、裏切り者が今更何をしにきたのです?」
「退職金を受け取りに、な。それとその名はもうやめたよ」
「名を捨てたり戻したり。忠誠を誓ったり裏切ったり。
忙しいことですね――葛城」
屑代――葛城雄輝は肩を竦める。
「別に、忠誠を誓った覚えはない。引瀬や哉絵たちを護るために嫌々やってた仕事だしな。まあ、給料は良かったが」
「あなたがもう少し協力的なら都市の救済も、もっと早くに済んでいたのですがね」
「救済? 破滅だろ」
「不生に満ちたこの街にとって、〝死〈おわり〉〟こそが救いです。この街の無駄な延命の結果、外では人類が正常に築き上げてきた知識と技術が喪われ続けている。100年の負債を清算する時がきたのです」
「生き延びるために他者を犠牲にするのは仕方ないと思うがね」
「葛城、あなたも〝発散〟がどういうものかプロジェクト・ライラの失敗で知ったはずだ。今では――私も悠灯さんのことを詳しく思い出すことができないでいる」
「やっぱり、悠灯先輩か。あの人がいない街なんて無価値だから滅ぼすってところか?」
「そんな思いがあるのも否定はしませんよ。ただ、私はもう発散によって苦しむ人が増えるのを良しとしないだけです」
「そういうクソ真面目なところは変わらんな、理生。最後にそれを確認出来ただけでも良しとしようか」
かつて葛城と席を並べていた大学時代にそうしていたような気軽さで、天宮理生は気のない相槌を打った。
「そうですか」
「ところで、警備は呼ばないのか? 俺は今社長室に不法侵入している訳だが」
「呼んだところで貴方を捕られるとは思えませんし、捕らえたところで無意味です。退職金なら、この公社にあるものを好きに持って行ってくださって構いませんよ」
「じゃあ話は早い」
葛城の姿がぶれ、音すら置き去りにする速度で瞬時に理生のもとまで到達すると――そのまま、殴り抜けた。
「ぐ、がはっ、ごほっ」
理生は血反吐を吐き散らしながら倒れ込んだが、すぐによろよろと立ち上がる。速度の割には、明らかに手加減された一撃だった。
理生は少し意外そうな顔で問うた。
「――殺さないのですか?」
「今更お前を殺したところでどうにもならん。お前が殺した仲間たちのことを思えば八つ裂きにしても足りんが、今は時間もない」
――〝子供たち〟は、何処にいる?」
「なぜ、貴方がそれを?」
「おいおい、俺は情報部長だぜ。元だけどな。ただ流石に『グリムリーパーの素体』の生産元の場所の特定は、市税局の手前大っぴらに出来なかったが」
「――99階のクローンプラントです」
「そうか。じゃあきちんと退職金は頂いたんで、これで。
最期に気の利いた言葉は特に浮かばんが――お前のことは嫌いじゃなかったよ、理生」
葛城が出て行くのを見送ると、理生は論理網膜に映る景色を再度見つめる。
水平線の彼方から、太陽が顔を出し、空を灰色に染める。
それとほぼ同時に、廃棄区画の穴からカメラやレーダーの全波長で眩く輝く物体が勢い良く飛び出した。
『Azrael』=悠理は己を包んでいた輝く八面体――反魂子の宿った髪の毛をはらはらと解くと、しばし滞空する。
すると、そこに〝色〟が生じた。
悠理を中心に、ALICEネットで編まれた事象結界が解けていく。
世界の外と内を隔てる境界線が消えていく。
あるべき色を取り戻した、夜明け直後の茜と群青の空を、天使が舞う。
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