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【孤独回避!?】ウクレレを鳴らし続ける為の秘密の心得


ウクレレという弦楽器を練習し始めて1年が経つ。

三日坊主な私が大人になって始めた事で1年間続けられたのは本当に奇跡だと思っている。

腕前の良し悪しは置いといて

私なりにこの奇跡にどういう心境の変化と、要因があったのか考えてみた。

多分1年のうち数回ぐらい自分を騙せたんだと思う。

楽器に挫折した人!手をあげて

誰でもチヤホヤされたい衝動に駆られて、人生の節目に楽器に手を出すことはあると思う。近年ではコロナ渦のステイホームで、手を出しやすいウクレレを幾千人が買って、三日ともたず幾百人がメルカリに出品しただろうか。

ウクレレは軽くて、持ち運びやすくて、弦も4本で簡単な指使いで音が鳴り、安く手に入り、音も小さくて練習場所を選ばない。

これだけの好条件が揃っていて、上達の為の情報は幾らでも無料で手に入るけれど、多くの人がこの楽器を手放していく。

私が知る限りでもクローゼットの奥でホコリをかぶっているウクレレ持ちの友人が数名。

しかし人生に+αぐらいの気持ちで楽器に手を出すのだとしたら、私は楽器を持たずとも健康的で健全な精神を保っていると思う。

私がギター、ブルースハープ、カホン、鍵盤ハーモニカなどの楽器をいとも簡単に諦めてきた理由もそこだ。

依存的にならない限り、楽器を引かなくても生活には困らないし、サブスクでいい音楽沢山聞けるし、カラオケで十分楽しめるのである。

楽しいことは続かないから楽しいのだ。

きっとカラオケも毎日行ってたら嫌になると思う。

楽器を手にした日をピークにワクワクは減っていく事実


楽器を手にして毎日弾けるわけない。
まず自分の下手さに耐えられない。遠すぎる道のり。
時間のある学生ならまだしも、自分の不器用を埋めるために大人になって仕事についたのにまた絶望からスタートするのだ。

こんな惨めなことはない。
そして大人なので自分が楽器に割ける時間と、数年後のレベルを想定し、無駄と理解し諦める。

それだけ意識的に続けるということは、難しいということだろう。

危機感しか自分を動かせない情けない事実

私がウクレレに向き合い続けた理由は幾つかあるが、
上手くなりたいと思った根底にあるのは危機感だと思う。

それは私が現在独身で、恋人もいなく、将来も確実に1人なんだろうな〜と晩年の人生が薄ぼんやりと見え始めてからだと思う。

私は迫り来る将来の物理的孤独の危機を回避する為にウクレレを続けていた。


『これから先、楽器も引けないお前なんて誰も相手にしてくれませんよ』

ウクレレに飽きてきた要所要所で私はこの天からの声を自分に浴びせ続けた。

この声が今の私にはめっぽう刺さるのである。

さあ仕事も無くなり、独身のまま家族もいない。老いた自分は1人公園で群がる鳩を見つめながら漫然と誰とも関われずに終わっていくのか。

『指先ぐらいは動かせるだろ!ウクレレ弾こうぜ』

となるわけ。

孤独を愛するのはカッコいいけど

1人が好き、孤独が好き。

というのは暴論だと思う。
私とて1人の時間はとても重要だが

自分の尊厳を担保してくれる友人や家族がいることで人は孤独を愛せると思うのだ。

それがメタバースでも現実でも、どちらだっていい。
今1人で楽しいのは他人を通して自己の尊厳を自覚できている証拠である。

そう思うとこれまでに築いた担保だけでは、独身のままでは80、90歳まで持たないことが確実に見えるのだ。

30年先は、家族だって、親友だって、学友だって、あの時近くにいた仲の良いご近所さんも、距離が離れれば忘れ去られる。

音楽は晩年を生きる新たなコミュ力

こうなると真なる辛なる孤独の待つ私の未来には新たなコミュニケーション能力が必要になってくる。

歳を重ねるほど、若い人にはにはどんなに愛想よくても好かれはしない。
プライドもあり、へりくだるのもみっともない。

すると外見とか言葉とか、日本語が邪魔になってくる。
草野球だって70、80、90まで続けようと思ったら、頼むから帰ってくださいと言われるかもしれない。

騒音、雑音にならなない程度に音楽ができれば、今弾いているあいみょんの魅力を半世紀離れた子供たちに伝えられるかもしれない。

そうだ。私はウクレレ界のハラミちゃんならぬ、ハラミ爺さんになるのだ。
突然、街角で弾き始めても、怒られない程度のレベルになれば、独身でも大丈夫かもしれない。

いつか音楽が自分の孤独を埋めるのに役に立つ時が来るからと念を込めていると、半年ほどで着々と危機感は具体性を帯びた目標に変わっていった。

将来自分が住む町の寄り合いで、月に1度演奏で呼ばれるぐらいのレベルにはならないと、村八分にされると思いながら人前でも演奏していた。

練習のし過ぎで山小屋の議題に提出されて職場で村八分になる寸前になったこともあった。

あら不思議!騙されていた自分がいた

そんな危機回避モチベーションも薄れてきた頃。

数十年先の未来もドウデモよくなるぐらいに、弾いてないと今ソワソワする自分がいるのである。

真っ当な動機なんぞも薄れるのである。
今度は純粋にウクレレの音に惹かれている自分がいた。

そういえばちゃんと聴いて無かったような気がする。

孤独回避の念仏を唱えながら、下手な自分の演奏に耳を塞いで指を動かしていたらしい。まさか自分のウクレレから心地良い音楽が流れる日が来るなんて思ってもみなかった。

独りで演奏するだけで楽しい自分がいたのだ。

もっともっと上手くなったら結婚相手が見つかって

簡単に孤独回避できるかもしれない…
おかしな展開になってきている。

どれだけあの手この手で自分を騙せるかが持続させる為のポイントなのであろうが。人それぞれに景色が見えてくるまではそれなりの時間がかかる。

好きが見えれば、持続は自動化する。
本当に不思議だ。1年経っていた。

こんな感じでnoteも続けられるだろうか。

騙せなさそうだなぁ〜


参考記事↓



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