距離感

距離感をどのように取っていますか?

今日は年休を取り、4連休。といっても、海外顧客がいて海外の研究所メンバーとも協業しているので、完全なオフというよりは、会社携帯を片手にリモートワークしている感覚。それでも、大きなトラブルもなく、デパ地下で買い物したり、その近くのカフェでくつろいだりもできたし、昨日紛失した交通系カードのリカバリーも出来たし、平日の年休としては充実した部類だったように思う。

今日はブレイディみかこ氏の『僕はイエローでホワイトで、ちょっとブルー2』を家やカフェで読んでいた。一冊目が黄色い表紙だったのに対し、今回は淡いブルーの表紙で、内容も思春期に入った中学生息子の話だったし、妙に美的センスを感じてしまった。ブレイディみかこ氏は、動画ではパンクな感じがあるものの、本著のような子供を思う感情豊かな側面もあれば、社会課題や人間関係を論理的に詳述するリアリストの面もあり、魅力的な人間だと感じる。

思春期は人間関係の学びの上でも重要な時期だと思う。両親との距離感、他者との距離感、新しい人間関係が出来れば、古い人間関係は疎遠になっていく。心と身体の発達に伴い、変化していく人間関係に、どのように対処すればよいか試行錯誤していく。まさに、距離感の学びと言ってもよいかもしれない。離れて暮らす自分の息子も、中学生として、これから色々な人間関係を経験し、距離感についても学んでいくんだろうと改めて感じた。

カフェを出てから、デパートを少しだけブラブラしていたのだけれど、女性服の店舗で突然大声が聞こえた。どうやら、ショッピングしている客がコロナ感染を気にしていて、店員を避けるように行動していたようなのだが、店員がそれに気付かずに何度か接近して話しかけていたようだ。それで、客の方が怒りに任せて、「何で寄ってくるんですか?近寄らないでください!わかるでしょ!」という内容を怒気を含んで話していた。

これも結局のところ、物理的なことも含む距離感の問題だなと思った。どちらが悪いとかジャッジするつもりはないけれど、少なくともその客は、当事者である店員以外の第三者との距離感を取れておらず、そもそも視界や思考の片隅にも無かったのだろう。周囲にいた人は、怯えたり嫌そうな顔をしていたことは事実だから、ご本人は怒鳴ってスッキリしていたかもしれないが、人間関係としては損をしているなと感じた次第である。コロナの流行は、個人の境界をこれまで以上にくっきりとさせ、個と個の分断を促し、個人主義を助長してしまったのかもしれない。

社会性を持つ人間にせっかく生まれてきた以上は、心を通わせる体験を通して、豊かな感情を他者と共有していきたい。これまでの人生で色々と失敗してきたけれど、それは距離感が近すぎたり遠すぎたりしたためだと感じる。距離感は片方が決めることではなく、お互いで決めていくこと。エゴに走れば近づきすぎるし、臆病になれば遠ざかる。そんなトレードオフの中で、試行錯誤しながら築き上げていくものが距離感であるならば、適切な距離感こそが人間が創造性を発揮し共創した産物だと感じる。そして、この適切な距離感の別名が、真実の愛/信頼/友情という言葉で表されるんだろうなと思う。多様かつ変化の激しい世の中で、距離感を大切に紡いでいきたい。

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