センス

あなたにとってセンスを一言で表すと?

松浦弥太郎氏の『センス入門』を読んだ。著者にとってセンスとは美徳であり、美徳を10個の具体的な状態で定義していた。また、これらの状態を満たすことができるのは、自らの体験であり、二次、三次情報ではないということも書かれていた。特に、デジタルが普及する世の中では、二次情報は誰でも入手できるもので選別も難しいから、体験による一次情報がより重要になってくるという話であった。その背景には、体験したことこそが言語化できるため、他人の共感を喚起したり、独自性を示すことができるという内容だった。

この本を読みながら、過去に読んだ水野学氏の『センスは知識からはじまる』という本も思い出していた。この本は、数値化できない事象の善し悪しを言語化することが重要であり、言語化の過程で普通を知って対比することが重要だから、そのために知識が重要だという論調だったと記憶している。

これらの本に共通していたことは「言語化」というところだと思う。その人が考えたこと、感じたことを、一般論ではなく体験を伴って表現することがセンスだということが言えるのかもしれない。言語化と表現したが、もう少し解釈を拡大して「見える化」と言い換えても良いのかもしれない。そうなると、言葉以外に芸術的な表現や、含みのある示唆的な会話もセンスに含まれてくるように思う。また、情報社会の中では、「体験を伴った一次情報」こそが重要になってくるのかもしれない。

確かに、研究活動をしていても、一般論であれば膨大な論文やネット情報の中から容易に検索できるようになったように感じる。一方で、課題解決の肝になるのは、実際の実験の中で掴んだインサイトも極めて重要である。研究活動に限ったことではないが、一般論で幅広い応用性を担保しながら、個別現象に対して体験を伴うインサイトをむずびつけて独自の思考を構築していくことが重要なのだろう。

そういう意味で、マネージャーとして実際の実験から遠ざかった立場としては、研究者や専門家としてのスキルは相当落ちたのだろうなとは感じる。一方で、確実に掴んできていることとして対人スキルはあると思っている。個々人との深い対話というものも、正に一次情報であるから、それを一般的な心理学やサイエンスと結び付けて、一人一人と真に向き合ってくることも今後は益々重要になってくるのかもしれない。その時に、自分自身の思考や体験をいかに言語化して相手に伝えていくのか、そういったことがマネージャーやリーダーとして、そしてセンスある人間として、重要なスキルになってくるように思う。

そんなことを思いながら、デパートを歩いていると、竹製のビアグラスが目について、久々にビビッときてしまった。センスの本に触発されてしまったのかもしれない。多少値ははったものの、偶然セール中ということもあって購入を決断し、まさに今晩酌中である。これも体験を伴う一次情報として、自分の血肉になればよいなと思いつつ、土曜の夜を満喫している。

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