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「イモ・裸足」論と「7・30(ナナサンマル)」〜沖縄本土復帰50周年に寄せて④〜

 沖縄本土復帰50周年を振り返って忘れることができないのは、復帰前に流されていた「イモ・裸足」論と、交通区分変更の「7・30(ナナサンマル)」のことです。

 まず「イモ・裸足」論から説くことにします。
 沖縄の戦前はそれはそれは貧しく、台風等の災害で飢饉に陥った時、野山の蘇鉄(ソテツ)の実を集めて食べて飢えを凌いでいたということです。いわゆる蘇鉄地獄のことです。

 戦後の食糧難の時代、裕福な人達は米を食べていたようですが、多くの庶民はイモを主食にしていたのです。
 また、当時の多くの人達は靴を買えず裸足のままで生活している人達が大半だったのです。
 私も少年の頃、米の顔を見たことはなく、朝晩イモを食べておりました。また、物心つく頃は裸足で野山を駆け回っていたのです。

 復帰前に、情報源は定かではないのですが、連日「復帰するとイモや裸足の生活に逆戻りする。」という宣伝がまことしやかに流されていたのです。
 おそらく、米軍の支配下で肥え太った一部の人達が現状維持を画策しての宣伝だったと思います。

 復帰しても「イモ・裸足」に戻らなかったのは、万民の認めるところであり、「イモ・裸足」論を流した人達は復帰50年をどんな思いで迎えていることでしょう。

 次に、「7・30(ナナサンマル)」とは、1978年(昭和53年)、復帰から数えて6年目に実施された交通区分変更のことです。

 沖縄の交通区分は、米軍の施政下でずっと車の通行は右側走行でした。1945年(昭和20年)から1978年(昭和53年)の7月29日まで沖縄の人達は日夜右側走行に慣れ親しんでおりましたが、1978(昭和53)年7月30日に一気に左側走行へと交通区分が変更になったのです。

 この「7・30(ナナサンマル)」をスムースに進める為に、各都道府県の警察官が多数駆けつけてきてこの困難に対処してくれました。あの時駆けつけてくれた警察官の方達も、今ではすでに定年を迎え、喜寿・傘寿にさしかかり、沖縄祖国復帰50周年を感慨深く迎えることになるでしょう。

 「イモ・裸足」聞いてもキョトン現代っ子(川柳)

 午前0時を期してスタート7・30(ナナサンマル)道路にズラリポリスマン達(短歌)

 愛車にも間違えるなと念を押し(川柳)

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