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噂と、血液型と、星座と


 「絶対A型やと思ったー」という言葉を生きてきた中で一体何回くらい言われた事があっただろうか。

 その度に、いやいやちょっと待て、と思っていた。そんな4つしかない血液型で人間を分類できるわけなかろう。何を根拠にそんなことを言えるんだ、と。星座とかそういう類のものも同じ。


 そもそも血液型と性格が関与しているなんて、科学的根拠もないし、そうだという刷り込みがあるからみんな頼りにしてしまっているだけである。

 ゴリラはB型だし、マイペースだと思われがちの猫は実はA型が多い。でも彼ら彼女らはみんな一匹残らず同じ性格だろうか。いや、そんなわけないだろう。みんなそれぞれ個性があるではないか。


 この際真偽はともかく、多くの人に支持を得ているものならばすぐに信じてしまう癖があるなら、ちょっと一旦その癖は引っぺがして欲しいと思う。

 人を何かしら理由をつけて「判断したい」、「決めつけたい」という方は一定数いらっしゃると思うが、ちゃんとよく見てから本質を理解してほしいと思うのは私だけだろうか。


 でも初めて関わる相手なら、判断基準というものがないとやはり不安になるものなんだろう。それとも単に話題作りとか。まあ話を盛り上げるための材料にするなら私は全然いいと思う。ただそれを他人に言いふらしたりするのはまあナンセンスだとしか思えないが。


 ともかくちゃんと見ていればゆくゆくその人については理解できるはずなのだ。何より一番判断するために参考にしちゃいけないのは「噂」だと思っている。

 どんなに綺麗な眼でその人を見ようとしていても、仲良い人に噂を吹き込まれてしまっては、一旦そのフィルターをどう頑張っても外してみることなど出来ないと思う。偏見が混じってしまってからでは、真っ新で受け取れるはずだった印象ももう受け取れなくなってしまう。

 私はやはり自分が直接感じたものが一番頼りにできるし、正解だと思うのだ。


 出会う前に聞いてしまった噂はなかなか取れづらい。その内容が悪ければ悪いほど。

 私もかつて噂を気にしすぎるあまり、夢のために割けたはずの時間を大量に無駄にしてしまった。だからそれに気づいてからは考えないようにしている。もっと言うと、「誰かにまた悪い噂されてるやろうな」ぐらいの心持ちでいた方がダメージもあまり受けなくなった。

 だって、そんな悪い噂を流す人は、きっと誰かからも嫌味を言われているし、そんなことを考え始めたら誰にも好かれる人間なんてきっといないと思ったからだ。


 だから、せめて私は他の誰かの印象が悪くなるようなことを言わないように気をつけている。

 ネット社会になってさらに裏でいくらでも人を判断できる時代になったからこそ、仲良くなれるはずだった人を誤った判断で遠ざけてしまうようなことは避けたいと思う。


 メディアが増えて、情報が溢れて、流されるままに生きて感情が希薄になりがちな時代だからこそ、きちんと対等に人と向き合っていかなければ人間でいる意味もなくなってしまうなあと思うのだ。それだったらやり取りするだけならAIだってできる。


 情報だけではなくてきちんと自分の感覚で本人と対峙してキャッチしたものから、その人がどういう人か考えられるような時間が楽しい。

 共通項とか、話し方とか、表情とか、言葉選びとか、身につけているものとか。さりげない会話から関係を作り上げていくのが年を取ってからより純粋に楽しめるようになったように思う。



読んでくださりありがとうございます。 少しでも心にゆとりが生まれていたのなら嬉しいです。 より一層表現や創作に励んでいけたらと思っております。