1on1ミーティングの演技論 〜 今週の気になった記事から
今週読んだ記事には、「何かと向き合う」にあたっての心がまえと身のこなしに関連したものがいくつかあった。
自分では気づいていないけど、「何かと向き合う」ことについて無意識のうちに考えているんだろうか(だとすれば、何と「向き合う」ことを考えているんだろうか。そんなことは考えても分からないんだろうけど…)。
相手をコントロールしようとする自分を手放す
この記事が語っているのは、部下と向き合う前に、上司が自分自身と向き合える状態をつくることが大事。そのためには、まずは上司である自分がマインドフルな状態でいることを心がけ、セルフアウェアネスを高めることが大切。その結果、部下と向き合う場の心理的安全性を高まりますよ、ということ。
マインドフルネスとは
上司が自分自身をそのようにコントロールできないと、1on1のミーティングが部下にとっては「怒られたり、詰められたりする場」になってしまう。
ここで大切なのが、「もうひとりの自分」をつくって、自分自身の「感情や思考、言いたいこと」を意識できるようになること。
人と人が関わり合う場の心理的安全性を高めるということは、場に参加する1人ひとりがマインドフルな状態でいられることを土台にしているということだ。
1on1ミーティングに必要な心がまえと身のこなし
マインドフルな状態になるために、なぜ「もうひとりの自分」が必要なのかといえば、「いつもの自分」がいろんな場面で、ついつい「パッと出てきた感情や思考」に反応してしまいがちだから。
「評価されたい」「認められたい」というパッと出てくる感情に左右されるのではなく、演じる役と、自分自身の根っこにあるものとの距離をしっかりと見定めている。
だから役づくりでいちばん気をつけるのが、「演技をやるために役者を生きるんじゃなくて、人間をやるために生きている」ということになる。
これ、1on1ミーティングにおける上司の心がまえとしても読むこともできそう。
マインドフルな状態を心がけ、セルフアウェアネスを高め、心理的安全性を確保すする。
それって技術論としてどうこうすべきだという話ではなくて、自分自身の根っこの部分はブレないままで、上司として与えられた役にリアリティを与えるための心がまえと身のこなしが大事だ、ということなんだと思う。
リアリティは何でできている?
こちらも独自の存在感を放つ役者である津田寛治のインタビューを読むと、根っこの部分がブレていなければ、結果としてあらわれる行動が、いわゆる「あるべき姿」とはかけ離れていたとしても、そこにリアリティが生まれることが分かる。
若いころに惹かれた松田優作の演技を、現在の津田寛治はこんな風に分析している。
そういう意味でのリアリティを理想としていた津田寛治が、最初のレッスンで演出家に褒められた話がとても面白い。
「いい芝居をしなきゃ」とか、「評価されたい」とか、「役を仕留めたい」とかいった感情に動かされてしまうと、技術に寄りかかった芝居になってしまう。
すると、根っこにある自分自身の自然なバランスが壊れてしまい、そこから生まれるリアリティが失われてしまう。
めちゃくちゃ怖い演出家の「気持ちでやれ」というファジーな物言いは、そういうことを言わんとしていたのだろうと思う。
自分を保ちながら自分を変える体幹を鍛える
根っこにある自分自身のバランスを保つための体幹が鍛えられていれば、「パッと出てくる感情や思考」にまどわされることなく、コロコロ変わる状況にそのままの自分として対応できるようになる。
それを物語っているのが、津田寛治が北野武監督に起用されたときのエピソード。
そういうわけで、1on1ミーティングに臨むマネジャーも、「丸投げな感じで芝居をやらされて」いるんだと思えばいいのだと思う。
求められているのはアドリブの芝居。でも、技術に寄りかかるのではなく、自然な自分のバランスを保つことが大事。
「はやりの「1on1ミーティング」が苦痛な深い訳」に書かれているように、そこで大切になってくるのが「セルフアウェアネス(自己認識能力)」だ。
自分のクセをしっかりと把握し、そのバランスを壊すことなく、与えられた役割を果たす。その繰り返しが無限の成長につながる。
樹木希林の言葉のように、それが「上司の役割を果たすために上司の役を生きるのではなく、人間をやるために生きている」ことにむすびつくのだと思う。
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ちなみに、先日のマネジメントクラスの後、学生の方からこんな言葉をいただいた。
これ、「根っこの自分のバランスを保つ体幹がしっかりしてますよね」というホメ言葉だと受け取っている。