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自殺未遂で搬送された話

気付いたら救急隊が「〇〇(本名)さーん、大丈夫ですかー?」とでかい声で僕をゆすっていた。

僕は朦朧としながら「朝からうるせぇ。なんだよ」と状況が飲み込めていなかった。それに身体がうまく動かせなくて「あー、ついに脳が逝っちゃったかな」と不安を覚えた。

この日の記憶は断片的だ。

記憶障害でも起こったのだろうか。

だから覚えていることを書いていく。

まず、ことの始まりは救急隊がくる4時間程前になる。

その日は、いつものように子どもたちを寝かしつけていて、自分も一緒に寝てしまうパターンだった。

寝る前に薬(睡眠薬または抗不安薬)を飲まないとだいたいの場合、中途覚醒してしまう。つまり、変な時間に目が覚めてしまうのだ。

この日も薬を飲まず飲んでしまったので、夜中の3時に目が覚めてしまった。しかし、いつもなら、また寝ることができる(浅い眠りではあるが)。でもその日は不安が覚醒を促しているようだった。

横になってしばらくしても、一行に眠れる気配はなかった。明日のことを考えると不安が押し寄せてくるのだ。

前日の夜、つまり寝る前のことだ。
会社の部下から電話があり、その電話がきっかけで不安になった。

「明日の会議での発言はやめておいた方がいい」そんなことを言われたと思う。

あれだけ打ち合わせして、僕も意を決して決断した内容をいとも簡単に「辞めた方がいい」と言われ、そこでぷつりと何が切れたのどと思う。

午前3時。僕は暗いリビングにいた。

僕は貯めんでいた睡眠薬を手のひらにひとつずつ落としていった。

僕の手のひらには通常服用する20倍の睡眠薬、そして、アルコール度数40度の酒が僕の横に置かれてあった。

「これを飲めば死ねるのだろうか」

「僕が死んだら家族がどうなるだろうか」

「僕が死んだら会社の従業員たちはどうなるだろうか」

「僕が死んだら実家の家族はどう思うだろうか」

「でも死にたくない」

こんなことを1時間程を繰り返して考えていた。

午前4時頃、僕は死を選んだ。

睡眠薬をアンコールで一気に喉に流し込んだ。

僕は妻のLINEに「もし生きていたら救急車呼んで」と送り、その後いつの間にか意識を失った。

次の瞬間、妻の声が聞こえた。

「ねぇ、何したの?」焦っている様子だった。

そりゃそうだ。起きてスマホを見たら自殺をほのめかすLINEを入っているのだから。

妻が僕をゆする。

僕は意識が朦朧していていて、うまく話せなかった。でも、なんとか妻の質問に答える。

「救急車呼ぶ?」

「呼んで」

まだ小さい長男が僕の異変に気付いたのか、「ちち、大丈夫?」と声をかける。しかも僕の股間を触りながら。

息子よ、なぜ僕の股間を触るんだ。

そんなことを思っていると意識を失った。

次に目を覚ますと、救急隊が目の前にいて、何か僕に話しかけている。

「何か飲まれました?」

「何飲んだんですか?」

「どれくらい飲んだんですか?」

意識が朦朧とする僕。

僕は飲んだ薬とアルコールを救急車に伝えた。

サチュレーションモニター(心拍数と酸素飽和度を計るもの)のアラームが鳴っていた。

心拍数や酸素飽和度がある一定の数値を下回るとアラームがなるのだ。

要するに、良い状態ではないということだ。

一瞬目を閉じると、場面が変わっていた。

目を閉じて開けると、救急隊に担架に乗せられるところだった。

目を閉じて開けると、救急車の中だった。

目を閉じて開けると、病院に着いていた。

目を閉じて開けると、看護師さんが注射を打とうとしていた。

看護師さんが注射を打つ箇所が見つからないとぼやいていた。

「あったあった、ここだ」と言いながら、僕の腕に注射を打つ。

まったく動かない僕に看護師さんが、「え、刺されても全然動かないんだけど。死んでないよね?」と言っていた。

それをぼんやりした頭で聞きながら、「生きてるはボケ!口悪い看護師は看護師辞めろカス!」と言おうと思ったが死んだふりをしていた。

しばらくして、ドクターらしき人がきて、「これ(おそらく生理食塩水)2本終われば帰れるから」と言って出ていった。

その2本が終わるまでに実際どれくらいの時間を要したかわからないが、つぎに目を覚ました時に終わっていた。

会計があると言われよろよろと僕は会計をするところへ行って、呼ばれるまで項垂れるようにして待っていた。

妻が会計を済ませてくれて、病院を出た。

「いくらだった?」と聞くと「9000円だった」と妻が答えた。

それから病院を出て、タクシーを拾って家に戻ってきた。

タクシー代は5000円くらいだったと思う。

自殺未遂も金がかかるんだなとぼんやりした頭で思った。

自宅に着くと、子どもたちと妻のお母さんが待っていた。

「だめだよ、薬の量間違えちゃ」と義理母は明るく接してくれた。

僕は心配していた子どもたちに「大丈夫だよ」といって行ってハグをした。

その後は、まだとにかく眠いというか頭がぼんやりする状態が続いていたので、眠ることにした。

その意識が朦朧した状態は2日続いた。

その後は、いつもの思考力に戻った。

妻には改めて「ごめん」と謝った。

「もう絶対やめてね。残される私たちのことを考えて」と言われた。ごもっともだ。

その判断があの時はなぜかできなかった。

僕には希死念慮がある。

小学6年生頃から漠然と死にたいと思いながら今まで生きてきた。

そんな僕が死なずに生きてこられたのに、なぜ今回、このように僕は自殺を企てしまったのか。

自分でもよくわかっていない。

魔が刺したとでも言うのだろうか。

これから僕が話すことは、39歳の時にADHD及び鬱と診断された日から自殺を企てるまでのことだ。

その中に、なぜ僕は自殺を企てたのかという答えがあるのかもしれない。

それでは、時を2年前に遡るとしよう。


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