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【本屋大賞】流浪の月 感想

こんにちは。閲覧ありがとうございます。

自粛期間、暇すぎて本を読みまくったメイツの皆さん、こんにちは。

ついでに、本屋の前を通ると、寄る気がなくても気になって立ち寄ってしまう協会の皆さん、おはようございます。

まだ読み終わってない本があるし、他に気になっている本もあるのに、本屋に吸い寄せられてはまた新しく気になる本を見つけてしまい、財布と本棚と私の三者面談が開かれる、あるあるですよねえ(幸せ者すぎる)。

そんな私が先日、例のごとくまんまと本屋の宣伝文句にのせられ購入してしまった「流浪の月」(凪良ゆう)。

2020年の本屋大賞受賞作品という事で、どこの本屋でもめたんこに推されており、気になって購入しました。

実は、本屋大賞とか、今1番売れている系の本は、読んでもそこまで響かないことが多いのですが、この本は

「なるほどね。これは本屋大賞ですわ。」

って感じに、普段デフェンスに定評のある私ですら謎に上から目線になるくらい面白かったです。


1、心理描写の深さ、鮮やかさ

まず思ったのは、「よくこんな複雑な関係性と、言葉にし難い心情を描けるなあ」ってことです。

パッと見の設定は、個性的でちょっと変わっていて、家にも帰りたくない少女と、小児性愛者の青年が、互いの居場所を求めて惹かれあうっていう、それ自体だとまあ面白いなくらいだと個人的には思います。

しかし、過去のトラウマからDVに走ってしまう交際相手や、サバサバしていて奔放なシングルマザーと、邪魔にならないことを覚えた娘など、「こういう人、現実にもいるんだろうなあ」というような登場人物が出てきます。

こういう「いるんだろうなあ」って人のこと、なんとなく想像は出来ても、実際は自分とは違うから、何を考えているのかとか正確にはよく分からないし、自分だったら文章にもできないだろうと思います。

凪良ゆうさんのすごいところは、そこを描いている点だと読んでいて思いました。

登場人物の行動や心理の裏にある根拠やストーリーが(これまた現実的に)描かれていて、自分と背景や環境が違うのに、共感してしまう。

DVをしている男や放任されている子供の心理など、表面的には想像できても、あれほど細かく、深みを持たせられたら、読んでいるこっちも、

「ああそうか、そんな状況なら俺でもそうするかも。ていうかそうするしかないよなあ・・・。」

みたいな、共感というか、登場人物への理解が深まって、物語にどんどん引き込まれました。

この、なんとも形容し難い心理描写の鮮やかさが、まず思ったことです。

そして、登場人物を知っていくうちに

「自分とは違うと思っていたけど、同じじゃないか。」

とか、「似ているのに、全然違うなあ。」

等の感想を抱きつつ、この物語で作者が1番言いたいであろう言葉が出てきます。


2、事実と真実は違う

事実と真実は違う。なんとも面白い言葉ですね。

この本を読むまで、考えたことがなかったかもしれません。

善とか悪とか、真実とか嘘とか、それは当事者にしか分からない事なんですね。

「事実」っていうのは、文字通り実際に起こった事柄ではなくて、社会や人々など、周囲が規定するものなんだなと考えさせられました。

物語の中で真実は、居場所のない2人が互いに求め合って一緒に居るだけなのに、事実は誘拐犯と誘拐された哀れな少女になってしまう。

当事者以外の人々は、事実からしか判断できないから、当事者からすると見当はずれな気遣いやアドバイスをしてしまう。

これは仕方のないことかもしれませんが、少なくとも、事実と真実は違う事を覚えておけば、無駄な衝突や、ストレスを感じずに済むかもしれませんね。

そもそも、人が人を完全に理解するのは、土台無理な話で。
でも無理に相手を理解したつもりにならないからこそ、自分なりに相手のためを考えた言葉や、自分の気持ちを伝えられる。

それがかえって相手の為になったりするのかなと思います。


3、全体として思ったこと

世の中の規範とかルールとか、判断基準は、大勢の人の価値観を元に設定され、肯定されています。

社会や組織などの集団には、必ず多数派というものが存在して、その多数派の考えがどうしても、正しいとか肯定的になってしまいますよね。

そしてその多数派の価値観が、少数派の存在(例えばLGBTQなど)を制限し、暗に否定しかねない。


少数派の存在を否定しないための活動なども、近年は盛んにおこなわれています。

しかし、少数派が、「多数の外側」のカテゴリから抜け出す日は来るのでしょうか?


LGBTQの活動家や、フェミニストが彼らの権利の主張をしたとして、人々は、「ああ、彼らは少数派だけれども、彼らにも他の人と同じように権利があるんだ。」という意識が芽生えます。

これは、彼らにとってはどうなのでしょう。

私が想像するに、彼らは、普通に扱われ、普通に意識されたいのであって、守られたり、哀れまれたり、気遣いをされたいわけではないと思います。

様々な活動家の意見に触れ、多数の者としては、彼らの存在を否定したくない、普通の権利、暮らしをしてもらいたいという風に思うかもしれません。

しかしこの時点で、普通ではないですよね。
普通の人にはそんなことを思わないわけですし。

多数じゃない人たちを、多数と同じように意識することは可能なんでしょうか?
彼らに対する善意は、彼らを救うのでしょうか?
私達はどう振る舞えばいいのでしょうか。

物語でも、主人公の更紗は言っています。

「せっかくの善意を、私は捨てていく。
そんなものでは、私はかけらも救われない。」


まあこんなことも、私の想像に過ぎないわけで、世間のイメージや偏見とは裏腹に、所謂「普通」じゃない人は、自分が普通じゃないことに対してなんとも思っていないのかもしれません。


人には人の、誰にも言えない気持ちや背景がある。
そんな、表面には表れない事情を含めた「真実」を知ることはできない。

けれど、共感できなかったり、理解ができない人にも、その人だけの真実があることを忘れてはいけない。


こんな真面目な記事、初めて書きました。
自分でもびっくりしてます。

最後まで読んでいただきありがとうございました。


パワフル☆チャレンジャー




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