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アル中父子家庭で育ちました①

鳥肌が立ち続けるほど父親のことが

大っっっっっっ嫌いでした。

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足がクサすぎて寝れない。

酔っぱらって歌えもしない華原朋美の歌を熱唱。

『お父さんの事は好きか?』と唐突に聞く。『普通』と答えると暴れる。
(ちなみに嫌いと答えたかった)

私が所属していた少女バレー団の手伝いにきてるのに後ろの方で勝手にバスケをする。

過去の栄光(ファンクラブがあったとか)なんども話してくる。

お酒をとにかく飲みまくる。

正月に爺ちゃんと殴り合いの喧嘩をする。

虫の居所が悪いと延々と無視される。

ああ!辛かった。

辛かったけど、書いてみると大したことじゃないもんですね。


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母親が出て行ったのは私が小学校を上がる直前でした。

祖父母の家が徒歩数分だったため、両親が離婚でもめていたころはそっちに住んでいて。

気付けばそのまま幼稚園は卒園、小学校入学でした。

母親はもういないことをとっとと受け入れて新しい生活を始めていましたが、

自分でも不思議なんですけど、ママがいないからって泣いたり叫んだりした覚えがないんですよね...(身内曰く泣いてたらしいけど)

父が船乗りだったんで家に居ないことが多く、私の生活は母親と二人っきり。

私を構成したのはママだったはずなんだけど。

いなくなっても私は笑ったり歌ったりしていたんです。

ねえ幼稚園のいちかちゃん。

君はサイコパスなのかい?(笑)

いちかの一日

ぬるぬる普通に祖父母宅で過ごしていましたけど。

「祖父母が大好きで毎日楽しすぎ」って訳では全くなかった。
(祖父母が仲悪くて家庭内別居状態)

なぜすんなり父子家庭を受け入れられたのか不思議です。

書いていて思い出しましたが、幼稚園までは父のことが大好きでした。

だから寂しくなかったのかも。

親戚の女の子とかが父にくっつくのとか許せなくてぶっ叩いてたし(ひどい)

父が帰ってきたら嬉しくて寝るときは一緒に寝ていたし。



うーん



うーん


もしかしたら私、

お母さんのことあまり好きじゃなかったのかもしれないな。

まあそれは、

両親離婚から20年後に全てわかるんですけどね。

両親離婚で父子家庭⇒仲最悪祖父母の家に住む⇒父親アル中に拍車がかかる

結果、33歳にして発覚した新事実。

私は愛情不足というより、

【人を無償に愛することができない】体質になっていました。

恋人になる人も、私を好きな人が好き。

相手の事より自分のことを優先。

自分の感情が優先。

自分を傷つけることをいう人は許せない。

この事実を自覚した夜はなんだか悲しくなって涙が出ました。

『あー私、愛されたいのに愛せないから上手くいかなかったんだ。』って。

現在の彼氏に言われた言葉。

『相手にもお前のように感情があるんです。』

なんてこった。そんなことを言われるほどあたしは鬼畜だったのか...

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