【短編】愛が「可愛い」に重なれば。
恋人の条件はありますか?
五分程度で読める短編です。
以下本文です。
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そりゃあ女だから「可愛い」って言われたら嬉しいけど、それだけじゃ物足りないのよ。
一樹の背中を見てつくづくそう思う。自慢の大きな身体を縮こまらせ図書館を出て行く姿は、家の庭によく現れる尻尾の短い黒猫に似ていた。
大学の図書館でレポートの仕上げ中、「あ、資料忘れちゃった」と独り言みたいに呟いただけで「俺、用事あるからついでに取ってくるよ」と一樹は言った。
たぶん用事なんてものはないんだろうなと、思いながらも「ほんと? ありがとう」と言ってお願いした。一樹は臆面もなく笑って、図書館を出て行った。
彼の私に対する些細な気遣いは、今に始まったことじゃない。
お財布を忘れた時はお昼ご飯を奢ってくれたり、サークルの仕事を代わってくれたり。私が「お願い」と言う前に、一樹は私から煩わしさを持ち去って行く。
はじめはすごく気の遣える人だなぁとしか思っていなかったけど、三ヶ月くらい経った頃、さすがに自覚した。
この人、私のこと好きなんだ。
友達に話したら「みんな知ってるよ」と言われた。どうやら周知の事実だったらしい。
逞しい大きな身体に、人好きのする親しみやすい顔立ち。一樹は所属するラグビー部でレギュラーだったし、誰とでもすぐに仲良くなるからちょっとした人気者でもあるらしかった。
そんな人が私を、と思うと悪い気はしない。
しかし一樹は一年経っても私に告白してくることはなかった。相変わらずただ世話を焼いてくれるだけ。はじめのうちはそれが不思議だったが、そのうち「その方が都合が良い」と気がついてしまった。
打算的な恋の利用、なんて。しばらくは私の中の悪魔と天使が戦っていたけど、そのうち休戦し「だって告白されてないもの」という結論に落ち着いた。
それに私は、自他共に認める「メンクイ」だった。
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恋っていうのは甘さと酸っぱさの総合体。甘さだけじゃあ吐き気がするのよ。
毎週木曜日に受けている文学の講義。必須の項目だから仕方なく受けていたけど、ひとつだけ面白い言葉があった。
ーーーー月の光も雨の音も、恋してこそ始めて新しい色と響を生ずる。
昔の人はよく言ったものだなぁと感心した。
そうよ、恋って世界がキラキラ輝き出すような、素敵なもののなんだから。彼の顔を見ているだけで胸の高鳴りが止まらなくなって、隣を歩くのすら怖いような、そんなもののはず。
少なくとも一樹にはそんな胸の高鳴りは感じられなかった。もしも彼が私の手を握って、頭を撫でてきたらどうだろうと想像するけど、うまく形にならなくてすぐにやめてしまった。
ついその人のことを考えてしまうのも、最良の恋の条件に入れてもいいかもしれない。その基準で言うなら、一樹なんかじゃなくって、
「お疲れ。それレポート?」
私の手元を覗き込むようにして、サークルの宮部先輩が顔を出した。私の体温が二度上昇する。
手のひらをぎゅっと握り、しどろもどろにならないように気をつけながら話す。
「そうです、必須科目の、」
「あーあの講義ね。俺も同じの取ってたよ。結構大変じゃない?」
「そうですね、結構時間かかっちゃって、」
でもちょうど終わるところです、と言いかけて宮部先輩が少し目を細めて遮る。
「よかったら俺、教えようか?」
自分がカッコいいことを熟知してるんじゃないか、そう思わせるほど完璧な仕草とゆっくりと低い声音。頭がクラクラしてくる。
私は頷くことしかできず、「じゃあ後で連絡するね」と言う宮部先輩の背中を何も言わずに見送った。小ざっぱりとした青いシャツに細身のスキニージーンズが眩しい。
先輩の姿が見えなくなった頃、一樹が戻ってきたけどそれどころじゃなかった。せっかくのお誘いだもの、髪も整えて服も新調したい。決戦に備えなければ。
「ね、一樹。今度の日曜日、買い物に付き合ってくれない?」
一樹は目をパチクリさせてから頷いた。もともと断られるとは思っていなかったけど、まさか予定も確認せずに二つ返事とは。本当に私のことが好きなんだなぁと実感する。
実は学校以外で一樹を誘うのは初めてだったのだけど、ルンルン気分の私はそんなことには微塵も気がつかないし、ましてや宮部先輩とのデートのために彼の恋心を利用する罪悪感も生まれることはなかった。
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決戦の日の朝、シャワーに入って念入りに準備を整えた。
普段はあまりつけないネックレスで首元を飾り、耳の後ろには少しだけ香水をつける。男の子にもウケがいいという爽やかな花の香りだ。
髪はゆるく巻いて下ろし、服は一樹と買い物に行って新調したワンピース。膝下丈で清楚な感じを出しつつ、背中は少し開いた王道なデート服。完璧だ。
待ち合わせ時間は授業終わりの午後五時。私は意気揚々と出かけ、大学の最寄駅で落ち合った。はじめの一時間くらいは近くのカフェでお茶をしながら、世間話をしたりレポートを手伝ってもらったりする。だけど夜も更け初めた頃、私は先輩の行きつけだというお洒落なバーに誘われた。
少し迷った感じを演出しながらもOKを出し、先輩にエスコートされながらお店に入った。男の人はみんな、恥じらう女の子が好きなんだって友達が得意げに話していた。
お店では先輩のオススメだという甘めのお酒をもらった。足のつかないカウンターで入れるアルコールは目眩がするほど美味しくて、ますます先輩の格好良さにうっとりした。
触りたくなるようなサラサラの茶髪に、いつもセンスのいい服。背も高いし鼻筋も通っていて、これぞイケメンって感じがする。それを鼻にかけない爽やかさと、自分の格好良さをアピールする使い分けが上手でゾクゾクする。
要所要所でさりげなく私のことを褒めてくれるのも高ポイント。これは本当に付き合えちゃうかも、と自信が徐々に湧いてくる。
やっぱり女の子としては、告白はするよりもされてみたい。その時をじっくりと待つ。
カラン、と氷が音を立てて崩れ、先輩のグラスが空になる。ほろ酔いのいい気分。先輩の頬も少しだけ上気していた。
「髪も服も、いっつも可愛くしてるよね」
「えへへ、ありがとうございます」
少し照れた仕草をしながらニッコリ微笑んだ。こういう時は否定したらダメって、なにかの雑誌に書いてあったからその通りにする。
それに、自分で言うのもなんだけど身なりには気をつけている方だ。絶対にすっぴんで出かけたりしないし、スエットで人と会うなんてもっての外。一樹以外は。
それ相応の努力をしているんだから、可愛いと思ってもらわなくては困る。いつもキラキラしていたいし、綺麗にしていたい。
私は四六時中、可愛いって思われたい。
「好きだよ。可愛い君も、可愛くない君も」
先輩の甘い一言。頭をガツンと殴られた気がした。
熱くなっていた鼓動が急激に冷えていって、このまま心臓が止まってしまうんじゃないかと思った。そのくらいに氷点下まで急降下、もう先輩の格好良さにも目が眩まない。
私は何も言わずに席を立ち、自分の分の飲み物代を置いて店を出た。その間も先輩が慌てた様子で何か話しかけてきたけど、歩きだした頃にはもう忘れてしまっていた。
家に向かいながらスマホで一樹に電話をかける。どうしてこんな時に限ってすぐに出ないのよ。
数コール目でようやく出た一樹は「どうしたの?」と優しく聞いてくれる。
「一樹は私のこと好き?」
「うん、好きだよ」
それならどうして告白してこないのか、問い質してやりたいくらいにあっさり「好き」と言った。私はイライラしながら聞く。
「どんなところが好きなの?」
「可愛いところかなぁ」
「可愛いって、どんな時?」
そう質問すると、一樹は初めて言い淀んだ。少し声を整える咳払いのあと、いつもの声で言う。
「どんな時ってないよ。いつでも何してても可愛い」
一樹がいつもの優しい顔で微笑んでいるのが、電話越しでもわかった。私は満足してろくに説明もせずに電話を切る。一樹も今日は私と先輩がデートしていると知っていながら、何も聞いてこなかった。
たぶん、全ては一樹のせいだ。
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「あんたら、いつから付き合いはじめたの」
講義の間の休み時間、友人に聞かれた。もう噂は広まっているらしい。
「一ヶ月くらい前からかな」
「そうなんだ。てっきり一樹のことは全然好みじゃないんだと思ってたの」
それとも熱烈アプローチに負けたの? と興味津々に聞かれる。
彼女の言う通り、一樹は全く私のタイプじゃない。体はちょっとゴツメだし、顔は悪くはないけどイケメンでもない。典型的ないい人タイプ。一番ないなって思っていた相手。
「強いていうなら一樹の作戦勝ち、かな」
ニッコリ笑っていうと、友人は変な顔をしていた。
もう彼の「可愛い」なしでは満足できなくなってしまった。可愛くないなんて言葉、冗談でも耐えられない。
そう、こんな体になったのは一樹のせい。砂糖水でひたひたにして、じっくりじっくり煮詰められて、抜け出す術を奪われてしまった。全ては一樹の思惑通り、私が陥落したのだ。
そりゃあ女だからトキメキも大事だけど、あなたの「可愛い」に代わるものはないのよ。ねこっ可愛がりされて、優しく優しく窒息させてほしい。
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お読み頂きありがとうございました!
高校生くらいの時の友人たちは、すごく初々しくて微笑ましいような恋愛をしていた気がするのに、大学に入った途端少しずつ爛れた感じになるのは何なんでしょうね。
幼い頃の恋は「好き、嫌い、好き、」って花びら数えるような感じじゃないですか(偏見)。良くも悪くも残酷な子供の言うことですから、すごく純粋に好きなんだろうなぁって思ってた。
でもさすがに18歳超えてくると段々現実が見えてきて、大人びた恋愛感覚に切り替わっていくんでしょうか。確かに恋愛において暗黙のルールというか、ある程度モラルが求められますもんね。
私は小説に書く場合、ただ幸せな恋愛って少し苦手なんです。なんとなくどうまとめていいか分からなくて、結局脳内で二人の恋が成就しておわりーみたいなことがしばしば。幸せだけで包まれる恋愛って、物語においてもほぼ奇跡に近いんじゃないかと思います。
あ、こういうのが現実が見えてきたっていうのかな。歳をとること自体が何かと経験を伴うから、知らず知らずのうちに誰もが大人の「当たり前」を学んでいくのかもしれませんね。
美人、イケメン、高学歴、高収入でも恋愛は上手くいくとは限らない、そういうところはちょっと好き。
ちなみに、私は生まれ変わるなら美人よりもイケメンになりたいです。
ちょっと歪んだ恋愛短編をマガジンにまとめています。
また本短編が好きだった方に個人的に読んで頂きたいおススメ。
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