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『土偶を読む』は、縄文人の感性が現代人にも通じるものだと教えてくれる一冊だよ!

読もう読もうと思いながらはや4か月。ようやく読めました。とにかく一度読んでみてほしい!とお勧めできる本はなかなかありませんが、率直に言ってこの本はとにかく一度読んでみてほしい一冊です。今まで聞いてきた土偶の退屈な解説は何だったのだろうと思ってしまうほど面白いからです。

今回は『土偶を読む 130年間解かれなかった縄文神話の謎』(竹倉史人,晶文社,2021年4月25日,初版)をご紹介します。

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土偶と言えば、聞けば聞くほど理解から遠ざかる気がしてしまうような、そして現代人には縁遠いような、奇怪な文様に彩られた不可思議な原始の呪術人形というイメージです。

その途方もないエネルギーを感じさせる造形のとりこになる人は多いですが、それが何を表しているのか、その本質を言い当てた説はこれまでなかったと言ってよいでしょう。

この『土偶を読む 130年間解かれなかった縄文神話の謎』という本は、土偶が何を模ったものなのかを見事に解き明かしてくれた本です。

これまでの説とは決定的に異なり、読めば読むほど輪郭がくっきりと表れ、土偶が決して現代人には理解不能な人形などではなく、現代人の感性にも通じる感覚をもって制作されたのだということが分かります。思いもしなかった土偶の正体に驚きを覚えるとともに、言われてみれば確かにそうだと非常に納得できます。これに気付いた著者の洞察力・発想力にただただ脱帽です。

謎解きは本書に任せるとしますが、土偶は植物を模ったものであり、なんと、現代の日本人が制作したゆるキャラやマスコットキャラクターには、土偶の制作者と同じキャラクター造形の文法が見て取れるのだと著者は明かしてみせるのです。

もちろん、土偶は単なるゆるキャラではなく、縄文人の生業に深く関わっており、彼らの切実な願いが込められた人形です。そのことを著者は、出土した縄文時代の生活の痕跡から丁寧に裏付けていきます。感性だけでなく、縄文人の生業の地域分布・時代分布と土偶の様式の違いが一致するという事実を明らかにするのです。

そうした一連の著者の探索を追体験するうちに、縄文人の生業の様子や彼らが考えていた事までもが現実感を伴ってありありと見えてきます。それは決して現代人からかけ離れた気持ちではなく、日々働いて稼ぎ生活を営み、毎日を懸命に生き抜く現代人と変わるところのないリアルな人間の姿でもあります。この縄文人のリアルさを活き活きと描写して見せた点がが本書の真骨頂です。

さて、考古学がこれまで感性を厳しく自戒してきたことが反対に土偶を正しく理解することを妨げてきたという著者の指摘はとても重要であるように思います。

単に何かに似ているというだけでは土偶がそれに似せて作られたとは言い切れないのは当然ですが、土偶自体が縄文人の感性に基づいて制作された以上は、感性を排除して土偶を理解するのは困難です。科学的な研究に感性をさしはさむことに抵抗があるのは理解できますが、状況証拠を積み上げる等の他の補完情報と併せて感性を利用することまでが否定されるべきではありません。

もしかしたら、こういったことは考古学に限らないことかもしれません。数値や客観的なデータは重要ですが、それだけでは見えない感覚、感性もやはり重要ではあります。感性を、客観性を損なう幼稚なものとして無条件に排除してしまうのは現代人の悪しき習性かもしれません。とりわけ、今回著者が明らかにしたリアルで実用的な縄文人の感覚まで無視するのはやりすぎです。感性を上手に受け入れ付き合い活用できると良いかもしれません。

とかく謎が多い縄文時代の人々がどのように世界を見て感じて生きていたかが明らかになるのは非常に重要です。縄文人は現代の日本列島に生きる人々の遠いルーツにあたるわけですから、これを機に彼らの残した文化が現代にも受け継がれていることがもっと判明していくかもしれません。単なるロマンチックな想像ではなく、現実に縄文が現代の日本文化の基層にも確かに存在すると分かっていけば、それこそ日本史の記述の仕方が変えられることになるでしょう。それほどの可能性を感じさせる一冊です。

いかがでしたでしょうか。そんなに難しい記述はなく、イラストや写真が多用されているのですぐに読むことができます。それでいて非常に読みごたえがある本です。よろしければぜひ一度読んでみて下さい。



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