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北大西洋本鮪(クロマグロ)定置網事業その5

<2009年シーズン>

昨年とは打って変わって最悪の状況であった。億単位の損失を出す中での出張となった。前年とはまた違う意味で憂鬱であった。

この年からICCAT(大西洋まぐろ類保存国際委員会)の取り決めによるタイセイヨウクロマグロの漁獲制限が始まった年でもあり、また相場の下げによる影響で買い付け数は前年の半分以下となった。価格も半値以下の1000円@kgで決まっていた。ただそれでもまた損をする恐怖感はぬぐいきれるものではなかった。この価格の下落により、昨シーズンと変わったことがあった。新規買い付け参入者が現れたのである。それまでの大西洋定置本鮪はモロッコの場合、生産者が2社あり、そのうち1社のマグロを我々共同事業で買い付け、もう1社のマグロを日本最大のマグロ会社Vが買い付けていた。そしてスペインの場合も生産者が2社あり1社のマグロを同じくV社、もう1社のマグロをこの事業を日本で初めて行ったパイオニア的存在のU社が買い付け、それを国内バイヤーに売っていた。ポルトガルのマグロが日本に来るのは2014年以降。そしてこの年モロッコの我々が買い付けているのとは別の生産者から買い付けをする会社が3社増えたのであった。

4月になり桜が散るころ、三度ララチェを訪れる。皮肉なもので毎年桜が咲くとモロッコ行きが近づき憂鬱になったものである。さておき、また昨シーズンと同じく加工船Cに乗り込んだ。この年も例の船長とのやり取りが始まる。頭突きと噛みつきもお忘れなく。取り上げが始まった。早々から順調に取り上げが行われた。私は検品にも慣れてきて、やっと4段階の選別にも少しづつ自信が出てきた。この選別という仕事、ただボーっとマグロを眺めていてもできるようにはならない。わずかな違いを見極めるのにはとにかくマグロと向き合い、悩みながらも自分なりの答えを出し、その正解を見つめなければ出来るようにならない。やっとそのスタート地点に立てた感覚であった。ただし課題も見えてきた。これは私自身の問題というよりも、もっと取り上げの精度がよくならいものかと思い始めた。取り上げに依って鮮度感が全然違い、それが売価に直結する。昨シーズンの損失を経験したからこそ何とかしたかった。このような課題を残し、もどかしさを抱えたまま2009年のシーズンも終了を迎える。今回は割愛するが、このシーズンもタフな出張であったことには何の変りもない。しかし、一つだけ良いことがあった。取り上げ終了からコンテナ転載まで1週間以上空いてしまうということで、スペイン経由でポルトガルまで陸路で行くことになった。

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↑後ろに見えるのがイギリス領ジブラルタル島

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↑スペインの街セビージャの闘牛場

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↑ユーラシア大陸最西端の岬

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↑リスボンの水族館

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↑ポルトガルのとあるレストラン

良い息抜きとなった。全てが刺激的な旅であった。モロッコと比べると町は綺麗で食事も驚くほど美味しいスペインが天国であることはさることながら、大航海時代の匂いをほのかに残すポルトガルが私にはとても好印象で、私の心に強い憧れとして深く刻まれるのである。ポルトガルでもマグロが獲れるらしいと聞いたことはあったが、当時は日本への搬入もなく遠い存在にしか私には映っていなかったのである。まさか数年後仕事でこの国を再び訪れるとはこの時は知る由もなかった。

◎帰国して

帰国するが相変わらずリーマンショックの影響で相場は安く、在庫のマグロも毎日損を排出していた。セリは上司にお願いして売ってもらっていたが雰囲気は最悪である。私はセリ人試験に合格しておりセリ人の免許は保持していたが、免許を持っている者が全員セリをしているわけではなく、私の所属していたチームはセリ売りではなく相対売りでマグロの営業を行う組織であった。私の入社当時、セリ物品がどんどん減少していき、荷受会社もセリだけでなくスーパーなど市場外への営業をしていかないと生きていけないという風潮が広がり始めており、私は新入社員としてそのチームに編入された。よって私はセリはしないものだと思っていたし、周りもそう思っていた。

7月某日

突然部長の席に呼ばれる。

部長「おい、お前明日から競れ。」

私「??????わかりました。」

心の声「えー!?えー!?えーーーー!?」

いやいや、しかも明日って!?

野生の勘のみで生きてきた部長であった。高卒で鹿児島から上京し、感性を頼りにたたき上げでその後一部上場企業の取締役まで上り詰める。ここでは言えない数々の伝説を残した元名物セリ人である。その時も何かひらめいたのだろう。巻き込まれる人間はたまったものではない。

この会社むちゃくちゃである。今思い出したが、そもそもそのセリ人試験の前日、私は一夜漬けのみで乗り越えようと計画を立てていた。しかし副部長に彼の地元船橋で夜中の1時まで飲まされた。ちなみに私の出社時間は2時なのでそのままタクシーで出社する羽目になった。しかも夜中1時、完全に出来上がった副部長に

私「すいません。明日セリ人試験があるし、もう仕事始まるので帰ります。」

副部長「何つまんねえこと言ってんだお前!俺が'&%$#"!)'&#$%&')=%」

なんか怒られた。結局勉強時間は1時間程度。受かったからよいものの。

脱線したが、

心の準備はなし。よくわからぬまま翌日セリ台の上に立っていた。

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↑四角で囲まれたのがセリ台

先輩からはセリ台の何十センチかで見える世界が違うと言われていたが、分かったような気がした。緊張で視界が狭くなるし真正面が意外と死角になったりもするのである。経験した者にしか理解ができないであろう。

練習を一切しないで本番を迎えることが他にあるだろうか?おかげで本当にクソ度胸だけはついた気がしている。

かくして交通事故のような形で大西洋定置本鮪ロインのセリ人としてデビューを果たすことになるのであった。

当時はこの魚種のセリをしているのは築地で3社のみであった。私のZ社は共同事業をしているY社と自社の魚のみを販売しており、上場数では3社中3位であった。当時の私は売り上げのことやシェアのことを考えている余裕などもちろんなく、毎日をこなすので手一杯。買い人からは私のセリについてよく怒られた。

なぜ起こられるのか?

どうすれば怒られないか?

良いセリをすれば怒られない?

では良いセリとはどのようなものなのか?

真剣に考える毎日であった。


◎新物続々入荷

夏になると春に取り上げたマグロがどんどん日本に入ってくる。意外な展開が待っていた。清水の大手マグロ会社Tの担当者から電話があり、私のセリ場にマグロを上場したいというのである。良い話ではあったが、もともと共同事業として始まりY社とZ社の思い入れが詰まったマグロを売ることに血眼になってやってきたので、この話を受けるべきなのか自分でも判らなかった。そこでY社のI氏に相談したところ、

良いんじゃない?

と言ってくれた。受けることにした。その日会社の寮からI氏に電話したことを昨日のように覚えている。T社はとても脂の乗った良いマグロを出荷してくれたので連日高値が出て、とても喜んでもらえた。セリ人とは出荷者のマグロ(財産)をお預かりして、利益を作る商売。出荷者に喜んでもらえてなんぼなのである。そして今シーズンは新規参入者が増えたことで同じく出荷したい会社が他にも現れたのである。基本的に全部受けることにした。

面白いもので、相場は安かったが、それでも安いなりに買い人の数は増えていき、それにより自然と相場が少しずつ上がってきたのである。またこの買い人が増えたことが私のセリの技術を上げることにも一役買ったのであった。どんどん手ヤリが出て来るのを目にも止まらぬ早業でセリ落としていくのである。ヤリの数が多いほど当然それを瞬時に読むのは難しい。難しい状況でセリをするからこそ上達できる。毎日セリが上達していくのが自分でも分かり、次第にセリが楽しくなってきた。もともとセリを始める前から自分なりにシミュレーションをして楽しんでいたのが功を奏して実は初セリの時も身に来てくれた先輩セリ人が上手いねと褒めてくれていた。今になって思うがセリはセンス。半年やって上手くならない人間は一生上手くならない。センスとは何をもって上手いとするかを認識できる感性だと理解している。毎日セリをするうちに何となくわかってきた。手ヤリを読むタイミングやセリ落とすタイミング一つで値段も変わるし、買い人のテンションも変わる。終わった後の機嫌も違う。大切なことは買い人に気持ちよく買って帰ってもらうこと。出来るだけ安く買おうと思っている買い人に一番高い値段を出して買ってもらう矛盾を埋めるにはそれが究極なのではないか。

究極のセリを目指そう!

この一年は買い人を気持ちよくさせるセリのテクニックを磨く一年にしようという目標を持って取り組んだのである。

状況一転

そして漁獲枠規制の影響が出始めた。在庫が薄くなり始めたのである。年を明け2月の中頃より相場がさらに上がり、3月から爆上げを始めたのである。日本の3月~5月はイベントが満載。ひな祭り、卒業式、入学式、歓送迎会、花見、GW。本鮪が売れるシーズンなのである。毎年このころにはちょうど在庫が少なくなり相場が上がるを繰り返すようになったのである。面白いように売れた。そして私のセリのテクニックが身に付いてきたことにより、客さんも増え少しずつ他社と比べ値段が付くようになる。


。。。続く











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