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『一汁一菜でよいという提案』

こちらを読みました。

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美しいデザインの表紙のこちら。

・「デザインしないというデザインもある」と装丁を手がけた佐藤卓さんは文中でおっしゃっていました。
土井善晴さんの気取らない文字、それを素材のよさとしている。文字色の菜のグリーン。背景の米の色。味噌のような、器のような帯のカラー。


・そんな「素材を生かす」和食の良さ、それを簡素に日常の食事にしていきましょう、という提案の本です。

※こちらのnoteは本文の引用を極力しておりません。
是非、1冊読んでいただきたいので。ご了承ください。

作る人が大変にならない、家での食事

「給食は何食べた?」
「魚と肉どちらが食べたい?」

そんな親子の会話から作り始める夕食をイメージしてください。
冷蔵庫に入っているスーパーで買い揃えた食材を頭で思い浮かべながら、母は蒸気が立ち登る炊飯器に目をやります。

SNSで見たきらびやかな友人のご飯、お昼の情報番組で特集されたレストランのような家庭料理、最近食卓で出した料理、子供の好み、それらのメニューが頭でぐるぐると回ってゆきます。
そんな時、子供は「なんでもいいよ」と一瞥。

正直かったるい。母は日々の料理に作り疲れている。
土井善晴さんはそんな日常にこそ、白い艶やかなご飯、味噌をといた汁物。その2種を作りづづける良さを強く伝えています。

ハレ、ケの日々

まず、「ハレの日」「ケの日」という日本の言い方があります。
簡単な言い方にすると「おめでたい日」と「日常のなんでもない日」は別物という考え方です。

食べ物に例えてみると「寿司、ケンタッキー、すき焼き」はハレの日、「味噌汁、漬物、おひたし」はケの日ではないでしょうか。

ハレの日の食事は美味しくて特別感があって、とても嬉しいかと思います。しかし、そんな食事を毎日食べたいかと言ったらそうでもない方が大半ではないと思います。

ケの料理はいかがでしょうか。
毎日食べても食べ飽きないし、ある意味「普通」の食事です。
しかし食事で日々得る栄養が日々を身体を作っていくので、ケの料理こそ大事なのがわかります。そして毎日めでたいハレの日というわけにもいかないので、ハレの日とケの日の区別が大切になってゆきます。

基礎となる食事

ご飯に味噌汁、これで十分なほどの栄養があります。
食べ足りなければおかわりすればいい。

しょっぱさが欲しかったら漬物や、味噌をご飯に合わせると美味しいです。
献立に悩む時間を削って、その余力で日々を豊かにしていけば心も健康になってゆきます。

味噌をといたスープには、和に縛られず好きなものを入れること。
味噌は大変面白い食材で、好きに具材を入れても思わぬ美味しさの味噌汁が出来上がる。

もちろん、パンに合わせたっていいし、コンソメでスープも作っていい。
何もお店で食べるようなきらびやかな食事でなくても良いのです。

お伝えしたいのが、家のご飯は家のご飯であっていい。普段の家のご飯は「ケの日」だから。ゆとりのある時にはもう一品追加してみたりして、季節の食材でおかずを作ってみてもいい。

基準点を「ご飯とお味噌汁、漬物」にすることで、追加するおかずが目立つものになります。外食もまた「家の食事とは別のもの」として楽しめるのではないでしょうか。


私の感想

・日本食の素晴らしさ、素材の美味しさに再度気付かされる本。
四季折々の食材について説明されているところは、つい食べたくなるようなシズル感を感じさせられて、和食を今すぐ食べたくなる。

・本文でも触れているが「人は人、ウチはウチ」が案外難しいものではあるが、それから離れられると「ゆとりができて豊かになる」というのはあらゆる分野でも言えることなのではないか。

・競争社会で疲弊した社会人こそ、食事にに心を寄せてみてほしいと切に感じた。暮らしだけでは飯は食えないが、暮らしなしに社会はない。

・読了後、小さな喜びに気づけるようになる。日常で目立たないぐらいだからあってないようなものだろと言いたくなるかもしれないが、小さいことに気づけるだけで日々に充実を感じられるようになってゆく。
気づきは人も救う。仕事に例えると、言葉にしない創意工夫がクライアントに気づかれたら嬉しくなるだろう。
そんなようなことが家庭で生まれたら、一人一人鮮やかな日々を過ごせるのではないか。

・食事は大切だからこそ、続くものを心がけたい。

・母にプレゼントしました。

2022/02/06


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