人生で一番の難題は?―『愛するということ』(エーリッヒ・フロム, 1959)
「あら、一会も読んだの? わたしも読んだわ、その本」
普段は娘の読書になんて興味を持たない母が、ある日、我が家の本棚を眺めて言った。彼女が指差した一冊。それは、エーリッヒ・フロム著『愛するということ』だ。
さすが半世紀超えのベストセラー! そして親子二代に渡ってこれを読むということは……愛の問題とは、なんと解決しにくい、根の深い問題なのだろうか。
愛する≠恋に落ちる
著者のフロムはドイツの社会心理学、精神分析、哲学の研究者。本書は彼が「愛とは何か」に真っ向から向き合った本だ。曰く、「愛する」とは修練が必要な生産的な行為であり、「恋に落ちる」に代表されるような一瞬の高揚や、刺激的な快楽を愛と勘違いすると苦しむばかりなのでもっと真面目に己と他者と愛情に向き合おうね、という内容だ(超意訳です。悪しからず)。 人間がなぜ恋をするのか、他者を必要とするのか、孤独とはなんなのかということが論理的に書かれていて、非常に説得力がある。
わたしのような落ち着かない人間には、耳が痛く、オロオロするほどの“正しさ”に満ちている。それだけに、20代で初めて読んだときは、「読まなかったことにしよう」と脳外にポイしたものだった(すみません)。
だが実際、わたしの周囲には、この本を読んで物事の考え方をガラリと変えた人物が二人もいる。
30歳男性、フロムにハマる
両方とも30歳過ぎの男性で、それまで異性に散々モテてきて、ふわふわと楽しく遊んでいたような人たちだ。それがある日、『愛するということ』を読んで「ハッ!」と目が覚め、大変な反省をし、自分自身の価値観を疑いだした。
一人はそこから努力を重ね、愛する人捜しに奔走し、夢見た通りの家庭を持ち、落ち着いた。一人は『愛するということ』を入り口に、フロムの著作をほぼ全て読み尽くし、「自分がしてきた行動の根がわかった。今は禅の考えに興味がある」と修行者のような澄んだ眼で語る。(その2週間前まで「成功」を巡るギラギラした持論を語っていた彼とは別人のように! 彼は友人でありクライアントでもあるので、しばらく定例会議の議題が「愛」になってしまった)
のっぴきならない現実へ
友人たちのあまりの変貌ぶりに、これは魔導書か何かなのかなと半ば本気で疑っているが、それぐらい普遍的に、人が人生で思い悩むモヤモヤの正体を突いているのだと思う。
ちなみに本書では、「愛する」という能動的な行動のための考え方は綴られているものの、最終的に、それを皆が実践するためには今の資本主義社会の構造にそもそも無理があるよね、という結論に至る。個人的な愛の問題から始まったと思ったら、社会全体の問題にまで拡がり、のっぴきならない現実の中に放り出されるのだ。頑張れ、励め、と。
スパルタすぎる。(だから20代のわたしには重すぎたのだった。再読して思い出した)
*
それにしても。
あの時に聞けなかったけど、母は何歳のときに、どんな理由でこの本を手にしたのだろう? 最近はそんなことをぼんやり考えている。
“人間のもっとも強い欲求とは、孤立を克服し、孤独の牢獄から抜け出したいという欲求である。
“一人でいられるようになることは、愛することができるようになるための一つの必須条件である。もし、自分の足で立てないという理由で、誰か他人にしがみつくとしたら、その相手は命の恩人にはなりうるかもしれないが、二人の関係は愛の関係ではない。逆説的ではあるが、一人でいられる能力こそ、愛する能力の前提条件なのだ。”