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#エッセイ
給食の時間の放送委員みたいだった頃の話
給食の時間に、放送委員がマイナーなジャンルの楽曲を流して眉を潜められる話を時々見かける。
私はそれを見て心臓のあたりが痒くなる感覚を覚える。
私がまさにそういうことをしてきた人間だからだ。
それはなぜなのか。
皆もその楽曲に感銘を受けると確信していたからだ。
歌詞カードを見なければ歌詞を聞き取れないような楽曲でも、皆がしっかりと耳を澄ませて聞き取って歌詞の世界観に胸を打たれるはず。
間奏のギター
所謂「小金」に想う話
仕事が決まらないまま大学を卒業したため1年間無職だった経験がある。
その頃に周りの友人たちが羨ましかったのは旅行に行った話でもスマートフォンを新調した話でもなく、手数料や資格試験の受験料の類を支払った話だった。
無職はもちろん収入がない。
バイトの経験も乏しいので貯金もない。
毎月、親がお情けとしてくれる5000円が唯一の収入源。
手数料なら数百円、資格試験なら数千円。
欲しいものを買うわけで
私の駄目さは叙述トリックにもなりやしないという話
中学生の頃の帰り道、足元に目を遣ったら片方の羽がもげた蝶が残った羽を必死に動かしていた。
見たことがない光景だったので、しゃがんでしばらく様子を観察した。
絶え間ない。休みない。再び空を飛べることを願って羽を動かし続けている。
その様子に酷く感銘し、私も人生に対してそうでありたいと思った。
というのは嘘で、ぼんやりと「きっとこういうものを見たのがきっかけで人生が変わる人もいるのだろう」と他人
「アゲハ蝶」の世界をどうしようもなく羨んでいた12歳の頃の話
12歳の頃にポルノグラフィティの「アゲハ蝶」に衝撃を受けた。
歌詞がとにかく新しい。
「君が好きずっと変わらないこの気持ち」のような詞しか知らなかったので、旅人だの詩人だの戯曲だの、冷たい水をくださいできたら愛してくださいだのの言葉の選択にひたすらに驚いたのである。
自分の脳の未だ触ったことがない場所を激しくノックされたような感覚だった。
それと同時に、芸能人というのはなんて格好いいんだろうと