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東京日記〜「富士そば」と長い坂道

東京の人は不安そうな顔をしている、と思った。

無事に最終面接に合格し、広島から東京へ引っ越しをした。最初の数日間は自炊ができず、「富士そば」や「日高屋」の世話になった。どちらも広島にはない飲食チェーン店だ。

引っ越し初日。看板に書かれたメニューと値段を入念にチェックし、いざ「富士そば」に入店。出たな。券売機だ。

私はこれまで、牛丼店など、食券式の店で食事をした経験が少ない。「なか卯」というファストフード店を初めて利用した時は、店員さんに席まで案内されるのをレジの前で延々と待ってしまった。

だが今の私は、もう券売機について習得済みだ。券売機のある店は玄人(常連客)の割合が多いことも知っている。食券の購入は、うしろに迷惑がかからないようチャッと済ませなければならない。
そして、食券制はここからが難しいのだ。

まず、食券制には「自動注文系」と「半券わたす系」の別がある。「自動注文系」は、券を購入した時点で厨房に注文が飛ぶので、利用者はそのまま座席の確保に乗り出すべきだ。

「半券渡す系」は、購入した券の半分をスタッフにわたすことで注文が成立する様式だ。ただ一口に「渡す」と言っても、所定のカウンターへ券を持参して能動的に渡す場合もあれば、スタッフが券の回収に来るのを自席で待つスタイルの場合もある。

私は券売機から飛び出してきた券をキャッチし、わざと胸の高さに掲げて店内をウロ…ウロ…と歩いた。

店員さんが厨房からこちらを覗き、少々不安げな顔で『あっ…こちらどうぞー…』と声をかけてくれる。なるほど、ここは「所定のカウンターで半券を渡す系」の店舗なのだ。

『蕎麦にしますか、うどんにしますか?』
と聞かれ、

「あっ、蕎麦でお願いします」
と答えた。


私はうどんの方が好きだ。

でも、東京へ引っ越してきて、
1日目だから。

郷に入っては郷に従えで、

「東京」なるものと仲良くなるための
しっぽをつかみたくて、今日は蕎麦にしてみる。

『ハイ、少々お待ちくださーい』

この「少々お待ちください」がまた難しい。「少々お待ちください」でさえ、店によって意味が異なるのだ。

スタバのように出来上がりをその場で待つスタイルの「少々お待ちください」なのか、

それとも水を注ぎ、席を確保して自席にて「少々お待ちください」、出来上がったら呼びますから、なのか。

私という人間は、こういう瑣末なことにいちいち緊張してしまう。


さて、「少々お待ちください」と言われた私は、ウォーターサーバーを見つけてコップに水をつぎ、ついだ水を持って窓口と席の間の絶妙なポジションでステイした。


約30秒後。

店員さんは、またも少し不安そうな顔で「お待たせしましたー…」と言って蕎麦をデシャップ台に出した。コロッケ蕎麦だ。
蕎麦って、コロッケ込み30秒でできるのか。ネギとワカメものってるのにすごい。たしかにこれなら、スタバ方式でもいける。


富士そばを後にし、コンビニで封筒を買って帰ろう、と思ったら雨が降ってきた。

傘を差さなくてもギリギリやり過ごせるが、風の強い日だったので、雨粒がつよく顔に当たってかなり「いやな感じ」ではある。

…と、


横断歩道をはさんで斜め向かいのところに、
車椅子のおじさんがいる。

おじさんは、傘を持っていない。
持っていたところで、
傘をさせば車椅子をこぐことはできない。

大丈夫かな。風もけっこう強いけどな。
おじさんはよりにもよって、ぐーっと大きく曲がった長い長い坂をのぼろうとしていた。かなり慣れた人でも登ろうと思わない長い坂だ。

おじさんは、両手で車椅子をこぐ。
不安の波が押し寄せる。

おじさんは、あの坂のてっぺんではなく、
4分の1くらいの場所に用事があるのかもしれない。
それは外せない用事なんだろうか?

もしくは、実は毎日この坂を上り下りしていて
へっちゃらなのか?

おじさんの進むスピードは、
はちゃめちゃに遅い。

そりゃそうだ、車椅子で、あの傾斜で、
この雨風なんだから。

何人もの人がすれ違っていくが
誰も手を貸さない。
不安が、私の胸を塗りつぶしていく。

手を貸さないというか、
まるでそこにいないかのようなのだ。
車椅子のおじさん、なんて。

私にはおじさんが見える。
そしておじさんは、ほどほどに大柄だった。

「手伝いましょうか」と声をかけたとして、
手押しの車椅子でおじさんを上まで運ぶのは
傘をあきらめても無理だ。

坂の中腹で、身動きが取れなくなったら?
支えきれず背面から落ちて事故になったら?

でも 誰も声をかけなかったら、


あのおじさんは、
これからどんな気持ちで

どれくらいの時間をかけて
あの坂を上るんだろうか。


ぎゅっと唇を噛んでコンビニに入った。
コンビニを出た時、もしもまだおじさんが1人だったら声をかける。そう決めてダッシュで封筒を買った。


買い物を終え、
コンビニの扉を押し開けた私の目に
飛び込んできたのは


腕まくりをしたサラリーマンが
おじさんの車椅子を力強く押し、

おじさんと2人で大笑いしながら、
羽根が生えたように坂道をかけ上がるところだった。

サラリーマンは、
「こりゃ一気にいかないと無理だ」と思ったのだろう、

信じられないほど速いスピードで、
ぐんぐん坂道を押し上っていく。
コースが湾曲しているところも含めて、
まるでジェットコースターのようだ。

おじさんは、不安な顔でもなければ
申し訳ない顔でもなく爆笑していた。

サラリーマンも、坂をかけ上がりながら
おじさんと同じ顔で大笑いしていた。


ふと気づいた。
そういえば、富士そばの人だけじゃない。

東京駅で乗り換えを尋ねた駅員さんも、
コンビ二の店員さんも、
みんな不安な顔をしていた。
あれはたぶん私だ。

不安な顔をしているのは、
「東京の人」ではなく私の方だったのだ。

雨が止み、うすく日が射す。
坂の上から明るくなったように見えた。


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