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パン屋日記 #5 用務員の木村さん

うちのパン屋でいちばんいい仕事をするのは、
用務員の木村さんです。

木村さんは、仕事が壮絶に早いです。

おはようございます、と挨拶をする頃には

「あの赤い自転車、あなたの?
 空気なかったけん入れといたよ」

といった具合に

従業員の自転車に、もう空気が入っています。

「空気入れた方がいいよ」でも
「空気入れとこうか?」でもありません。

もう「入れといた」のです。

これほど早い仕事はありません。

後日、自転車置き場で、
再び木村さんに声をかけられました。

「あの赤い自転車、あなたの?」

『いえ、今日はバスなので違います』
と答えると、

「ありゃ、しもた。空気ないけん、
 入れといたんよ。まあいいか。ははは」

木村さんはもはや、知らない人の自転車にも
空気を入れるのでした。


木村さんは、なんでも直します。

休憩室の時計が、止まってしまいました。

電池を交換しましたが、電池の接続部
銀色のバネのような部品が錆びてしまっていて、
使いものになりません。

あきらめて、裏に下げておきました。

翌日、木村さんが言いました。

「あれね、休憩室の時計、直しといたけん」

私は驚いて答えました。

『いや、木村さん。あれはもう、
 電池の接続のところが錆びてしまっていて、
 電池を替えても動かないんです』

「そうそう、やけんその、バネのところ、
 作って付けといたけん」

(え?)

パン屋がざわつきました。

(あれって、作れるんだ)

電池の両側を押さえる、銀色のあれです。

この世で、
少なくともこのパン屋の中にあるもので

木村さんに作れないものなど
無いのです。

パン屋に曜日ごとの定休日はありませんが、

年に1回、お盆明けに
「店休日」というものがあります。

店が、休む、日。

これほど素晴らしい日はありません。

お盆の激務の中の、唯一の希望の光です。

みんな心待ちにしています。

休みたくて、しかたがないのです。

この日を心待ちにしていたのは、
用務員の木村さんもまた同じでした。

店休日の翌日、出勤してみてびっくり。

裏の通用口の、ドアというドア全部が

塗りたてのペンキで、
まっしろぴかぴかでした。

休憩室のドアを開けて、さらにびっくり。

床の油汚れがすっかり無くなり、
まっしろぴかぴかでした。

休憩室と通用口というのは、
従業員の出入りが多すぎて

お店の営業日には、
きれいにできないのです。


木村さんは、
みんなが休みの日にこそ働きます。

ペンキを塗り、床を磨き上げる日を

虎視眈眈と狙っていたのです。

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