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【御礼とご報告】この港から世界へ飛び出せ

こんにちは。
ご無沙汰しております。
今回はお礼と報告です。
前回はフットボールのことを書きましたが、今回は僕のキャリアに関する内容です。
僕のnoteはとことん統一感がないですね。

先日、仕事をやめて、家も引き払った投稿をしました。
次はベトナムに渡航する予定です。
ビザは取得済みで、渡航後、大学院の入学を目指して語学の勉強をし、入学後は人文社会科学を専攻する予定です。
渡航後はビザの関係もあり、しばらくはベトナムにいることになります。

なんで今?どうしてベトナムなの?どれくらいの期間?などいろいろあると思うのですが、まず一旦行ってきます。
(選択の理由については、気になる方はご連絡ください。もしくは別エントリーにしますね!)

今回、読んでいる方に一番お伝えしたいことは、心からの「有難う」です。
その理由は、僕は本当に多くの人に支えられ、応援していただき、ここまで来れたからです。

そもそも、僕のキャリアはビハインドから始まりました。

僕は新卒で念願の総合電機メーカーに入社しました。たくさんの祝福と希望を胸に入社してから、わずか数ヶ月で身も心もボロボロになりました。
正直、今だから言えますが、まあまあというか、かなり危なかったと思います。訳もわからず溢れる涙、眠れない夜のまま迎える絶望の朝。こうやって人は自ら死に加速していくのだと初めて自覚しました。
今でも、ひとり親で大切に育ててくれた母親の前で絶望の果てに泣き崩れてしまったあの時のことを忘れたことは1度もないです。心配をかけ、深く悲しませてしまったと思います。
それでも、家族友人はじめ、周りの優しさと温かいサポートのおかげで少しずつ前に進むことができ、今回の決断に至ります。
ありがとうございます。
もし同じような境遇の方がいれば、いつでもお話聞きますのでご連絡くださいね。

戦わずして負けてしまった1社目からすると、2社目3社目と前向きに仕事ができるようになりました。両社共にチームの仲間や最高の上司にも恵まれて、多くのチャレンジと失敗を経験することができました。
何より、営業として素敵なお客様と接してこられたのがとても幸せなことでした。大好きなお客様に良くしていただいたおかげで、少しでも会社や社会へ貢献できたと勝手ながら思っています。

それでも、なぜこの決断に至ったのかといえば、「今のままでいいのか?」という内省でした。
今の環境に関して、素直に大きな不満も不安もありません。仕事でもプライベートでも好きな友人や仲間がいて、生まれ育った横浜に住み、愛するクラブのサッカーを楽しみ、毎日街中を走れる日常はかけがえなく恵まれていることだと感じます。
でも、たった一度きりの人生では、もっとやりたいことがあるのではないか、それを信じて選んでもいいのではと思うことが次第に増えていきました。
僕は定期的に日記を書いていて、巻頭に人生のやりたいことリストがあります。
キャリア編で上位に来るのが、
・修士号をとる
・海外で学ぶ
・海外で働く
でした。これらはすべて手段ですが、更にいろんな人を助けるためには必要なことであると考えています。
新しい環境に身を置くこともそうですが、迷ったら勇気がいる方に進めば、未来から自分を見たときに受け入れられるし、どんな結末でも自分を許してあげられるのではと思いました。

いろいろ言いましたが、どこでもやることは何一つ変わりません。相も変わらずにずっと同じことを言っていますが、私自身は日々変わらず応援される人であるために自分がやらなければならないことを続けていきます。

僕は親友とよく読書の話をします。
僕は彼から教えてもらった『終末のフール』(伊坂幸太郎)に出てくるボクサーの苗場さんのセリフが特にお気に入りです。
「明日死ぬとしたら、生き方が変わるんですか?」
「あなたの今の生き方は、どれくらい生きるつもりの生き方なんですか?」

例え、明日死ぬとしても、今日明日もただ精一杯できることを続けていくのみです。

ありがとうございました。
またみなさんと笑顔で会えるのを楽しみにしています。

ibu

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