万が一のことを考え、自分の 《活動の足あと》 を仲間・家族と共有して、 《チームごと》 にしておく (大変な状況のなかでの暮らしのヒント)

活動の足あと+チームごと


今日紹介するのは、《活動の足あと》と《チームごと》です。

今回は、少し物騒な話というか、万が一のことを見据えた話を書きます。

新型コロナウィルスに感染して亡くなっている方が日本にもたくさんいて、誰が感染してもおかしくない状況ですよね。

もちろん、なるべく外出を自粛し、三密を避け手洗い消毒をきちんとしてはいると思います。

それでも、リスクは、限りなく減らすことはできても、ゼロにはなりません

抗体を持っているかいないか、既往症や体質によって重症化するかどうかは違うという話もありますが、いずれにしても、現段階では私たち一人ひとりが、自分が感染しにくいとは言いにくいでしょう。

そうであるならば、今から、もしものときのことを考えておく必要もあると思います。

この前、未来を織り込む》を紹介したときに、シナリオ・プランニングの話をしましたが、自分でコントロールできない要因で引き起こされるクリティカルな(致命的な)未来の可能性に対しては、どの未来が来ても大丈夫なようにしておくのが基本でした。

ここでも、万が一自分が感染して、重症化し、死に至るなんてことがあったときのことも、少し考えておいた方がいいかもしれません。

そんなこと考えたくないという人も、「何を大袈裟な」という人もいるでしょう。

もちろん、僕だってそんなこと考えたくはないですが、僕は念の為に、少しだけ考えるようにしています。

そんなふうに考えようと思うのは、僕が2年半前に脳出血で倒れた経験を持っているからかもしれません。

救急車で運ばれたときには、呂律も回らず、家族はもう僕が会話したり仕事したりするのは無理かもしれないと思ったと言います。

出血した箇所が幸いして、比較的軽めに済んで、現在は日常生活は問題なく送れています(それでも半年は、脳機能の後遺症で、週5日のリハビリに通いました)。

そんなわけで、いまこうして文章を書いていたり、家族と過ごし、仕事をしているというのは、本当にありがたいことだな、ということを感じます。

そういう経験をすると、自分の人生は、いきなり大きく変わったり終わったりということを余儀なくされる可能性もあるんだな、と感じるようになりました。

先日の岡江久美子さんのニュースを見ても、具合が悪くなってから、診断から隔離、そして、家族に会えないまま息を引き取るということに、大変心が痛むとともに、自分にもそういうことが起きてもおかしくない時代なのだと、本気で思います。

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そんなこともあり、最近、僕は、書きかけの本の原稿や論文、重要なファイルを、ごく近い仲間・家族と共有するようにしました。

共有のDropboxに、「念のための書きかけファイル共有」のフォルダをつくり、万が一のときには引き継いでもらえるようにコピーを置きました。

もともと仲間たちとは、一緒に取り組んでいるプロジェクトのファイルは共有していたのですが、僕が個人で書いているものなどは、僕にしかアクセスできない状態でした。

万が一のことがあったとき、それらは誰からもアクセスされず、同時に失われてしまうんだな…。

そういうことを、僕は脳出血のときに、痛感しました。

なので、身近な仲間・家族もアクセスできる場所に置いたのです。

他にも、僕のパソコンにストックしている家族の写真も、外付けハードディスクにコピーしています。

これで、家族の思い出の写真たちも失われません

できれば、紙の写真アルバムにまでできるとベストですが、それには時間がかかるので、できることから少しずつ、ですね。

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もう一つ、気になるのは、万が一感染した場合に、それまで2、3週間の行動がどのようなものだったのかを、自分でも辿れるのか、あるいは家族が辿れるのか、ということが気になります。

自分が隔離されて具合が相当悪い状態で、家族がほとんど覚えていなくて苦労をかけたり、周囲に大きな心配をもたらしてしまう可能性があると思うのです。

ノート出入りの記録を書いておけばよいのかもしれませんが、そういうのだと、僕のような面倒臭がり屋には続きそうにありません

そこで、自分がどの日、どの時間に、どこに行ったのかの記録を残し、家族と共有するために、LINEの家族グループで、「○○についた」とか、今から「いまから帰る」と書けばよいということに気づきました(外で触ったスマホは、除菌ワイプなどで拭きましょう)。

そうしておくだけで、その場の連絡になるだけでなく、自分や家族も、あとで、いつ誰がどこに行ったのかを、LINE上で見ることができるわけです。

その方法だけがよいというわけではありません。

人によってどういうやり方がよいかは違うでしょう。

僕はそのやり方が、やりやすいという話にすぎません。

でも、いずれにしても、何らかの手段で活動の足あとを残すようにするということが大切です。

自分も見れて、自分が隔離されたとしても、身近な誰かが見ることができるという状態で。

そうして、「自分事」だったものを、家族・仲間とのチームごと》にするのです。

こうすることで、各自のある程度のプライバシーは保たれたままで(すべてをオープンにするのではない)、記録・引継ぎもきちんとできるということになります。

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本当は、そんな記録や共有ファイルを活かさなければならない日が来ない方がいいに決まっています。

それでも、僕には「立つ鳥跡を濁さず」という言葉が、頭を過ぎってしまうのです。

備えあれば憂いなし」ということわざも。

こんなに死のリスクと隣り合わせの厳しい日々が早く終わってくれればと心から願っています。

願いながら、備える

そういうことが大切なのではないか、と、僕は考えています。

活動の足あと+チームごと

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今日紹介した《活動の足あと》は、「コラボレーション・パターン:創造的コラボレーションのパターン・ランゲージ」に収録されているものです。

チームごと》は、「おもてなしデザイン・パターン インバウンド時代を生き抜くための「創造的おもてなし」の心得28」に収録されています。

活動の足あと》は、チームで取り組んでいるときに、きちんと記録(ログ)を残しておこうというパターンですが、今回は、自分の移動先の記録や自分の重要なファイルを家族と共有するという話に読み換えました。

チームごと》は、自分が担当しているお客様へのおもてなしを、自分だけで抱え込むのではなく、チームに開いて、「チーム事(ごと)」化するということと、「チーム(まる)ごと」で対応できるようにする、という二重の意味がかけてあるパターンです。

どちらも、自分一人で抱え込まず、チームのメンバーに開いていくということ、それにより、みんなで対応できるようになるということを、重視しています。

自分が感染するということは、あんまり考えたくないことかもしれませんが、万が一のときに備え、共有・引継ぎしておくことは、自分の人生をより意味のあるものにする一部だと言えるのではないでしょうか。

少しだけ、ほんの少しだけ、今の暮らしのなかで、そういう備えをしておくと、心配事をひとつ減らすことになるかもしれませんね。


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