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我慢の限界だ。正直ね。

倒置法が好きです。正直ね。
バナーの画像はこの記事には全く関係ない。
限界をイメージする画には煙草は最適だ。
有害なものが有益になることもあるという皮肉に使わせてもらった。

倒置法

文などにおいてその成分をなす語や文節を、普通順序とは逆にする表現法。語勢を強めたり、語調をととのえたりするために用いられる。
とのことです。
わかります?
いいよなぁ、昔はまだ文明が育ちきってなくて
人に役に立つことを最初に編み出したり、形成していった人が先行者利益を得ていてさ。

羨ましいぜ、本当に。
こうして倒置法っぽい言い方が出きるようになったことで咄家(はなしか)たちの仕事が華やかになったと思うと嫉妬する。

韻(いん)

  1. 言葉のひびき。また、物の出す音。「松韻神韻余韻

  2.  風流な趣。「韻事韻致気韻風韻

  3. 漢字音で、声母(頭子音)を除いた部分韻母。「韻字韻書音韻畳韻平水韻

  4.  詩や文章で、同一または類似の音を、特定場所に繰り返して用いること。「韻律押韻脚韻頭韻和韻

  5. 詩歌。「韻文

  6. [補説]「韵」は異体字。
    とのことです。
    全くワケわからんです。

でも、この韻があるお陰で言葉遊びが幾分も幅ができて今ではTOKYOドームが満員になるアーティストや世界で活躍する日本アーティストも増えたはず。
80年代に生まれた私は、以前にも記述した無口で酒を飲むと危ないし、御袋が好きすぎるっていう危ない親父を持つが
彼に幼少期教わった音楽はというと
吉田拓郎、キャロル、矢沢永吉、横浜銀蝿、チェッカーズ等だ。
私の中での音楽のスタートはそこ。
中でもお気に入りなのは、
【ツッパリ High School Rock'n Roll】
これは幼稚園生ながらもキャッチーでいけてたし、音遊びとして(遊びではない)も良くできていた。
そして、誰が好きかと言えば皆は翔と答えそうだが、私は何故か嵐が好きだった。
80年代の音楽に比べると、文化の違いやsnsの普及で圧倒的に技術の革新が起きたと思う。
また、コロナ禍でスッかり表現の時代は変わった。

90年代後半から00年代前半を生きてた私は、ラップ=不良の時代を生きていた。
IWGPにハマった諸先輩方も多いはず。
今でも、キングとマコトに憧れてるなんて人も多いんじゃないですか?

活躍するラッパーは基本はアングラのヒストリーを持つ人が多い。
でも、10代のこ子を見ればそれがアングラだけじゃない。ましてや真面目そうな子もいる。
才能ある人間は何やってもすごいのに、カルチャーに侵略してくるとそれはそれで考えものかもしれない。
でも、切り開くことは素敵なことで、素晴らしいこと。
陰キャでも、韻を踏んでもいいんです。

我慢の限界。

何をもって限界なのか
何をもって我慢なのか
我慢することで得られること
我慢することで失われること

人間に与えられること
人間に与えられた権利ってなんだろう。

度々言葉にはするが
文明の時代
つまり役に立つものを作り上げる時代は終わった。
そして、その役目が終わり
役目を終えるもの。業界から去るものも生まれる。
文明が進化したことで起きたことは同質の焼き増し。
結果、それなりでいいという文明の発達がもたらした限界点が見えている。
SDGsなんて言われてるけど、その世界で稼ぐ人もいる。
文明は進化をしすぎた。

一見、意味の無さそうなダサそうな事が文化の醸成だったりする。
環境があれば、伝統を守り発展させることをしてみたい。

スポーツでも、結果的に超越すべきは基本が備わってないといけない。
POKEMONが改めて教えてくれた
【炎は草に強いが水に弱い。】→文明の教え
これはわかったんだけど、リザードンって最高にカッコいくね?→文化の築き

文明の成長が発達した先に人類の喜びはあるのだろうか。

文明がここまでに成長した今、伸ばすべきは文化だ。
そうしないと、無個性が個性になってしまう。
いずれ、世の中全てが同じかおで同じ性格になってしまうかもしれない。

そんな一人一人の個性に向き合いながら文明と文化の醸成に携わっていきたい。

これ以上、自分に嘘はつけないしつかなくていい。
意味のないことなど即刻やめろ。

我慢の限界だ。正直ね。

小池語録

貴方に降りかかる指示は本当に意味はありますか?
自分自身で既に何千回と繰り返したデモンストレーションでとうにその指示は役目を終えている。

その指示は、もう我慢の限界だ。正直ね。
その指示は文明の先駆者が既に終えている。
ただし、まだ開発しきれていない文化がそこにはあるかもしれない。
文化を築け。

気づけばきっとその文化が活きるはずなのだから。

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