今夏フィジーク大会に初出場(Ohh, Yeah~~~~)
今年の夏は非常に熱くなりますよ。
ええ、何がって?
「単純な”気温”ですか?」
「”ハネムーン”に行くんですか?」
「カリブ海で”ピナコラーダ”を飲むんですか?」
いいえ、違います。
それは、僕がこの夏にボディビル競技の”フィジーク大会”に出るので、自身で勝手に熱くなっているということなんです。
フィジークと大会は屈強な男、ビーチにいたら誰がイケているのかを他者と比較し合うそんな競技です。
たった”一夜”の為に約半年間という月日をかけて、全身全霊で挑んでいくのです。
これはある種狂気じみた行いであり、だってたった”ワンナイト”ですよ。
一夜で、真っ黒とそして、もはや黄金色と言われるオイルと言われるものを全身に塗りたぐり、半ば上裸という格好でステージの端から端まで、大人がごった煮返す訳ですから。(笑)
これは少し異様な光景だと思います。
が、僕はそこに希望や興味性を見出し、現在はそのワンナイトに向かって走り出している道中 なんです。
僕自身は今回が初めての出場であり、大会当日にどれだけ筋肉量を残す事ができ、またどれだけ脂肪量を落とされるかが僕個人的に非常に楽しみなんです。
で、今は減量中で今まで好きなように食べてきた、お菓子や油物は基本的には節制する形です。
芋けんぴとの格闘
僕は芋けんぴが大の大好物です。
「芋けんぴ」、、
これは甘く優しく、いつも心の中で安心感を与えてくれるそんな優しい食材ではあるものの、カロリー的には優しくないなんとも言い難く、ボディービルをしている人間からすると非常に扱い方が難しいと言われている食べ物でしょうか、、。
ダイエットをしていない時期をいわゆる増量期間と言いますが、その時期には僕は芋けんぴを食べ散らかしてしまうのです。
道を歩いて、芋けんぴの旗が吊るしてあったものなら、直ぐそのまま”猪突猛進”をして店の鐘を鳴らしてしまいます。
まるで猪がお腹をすかして、主人に突進していく様な気配を与えてしまうぐらい、、です。
で、そんな芋けんぴですが、減量期となると今までの様に、帰宅してすぐ様”芋けんぴ”を何不自由なく食べていたことや、似たような例でそれが”どら焼き”であったり、”大福”であったり、”かるかん”1つすら一向に食べることができません。
「和菓子好きかよ!!」って思うかもしれませんが、それは仕方ありません。
だってここは日出る国🇯🇵な訳ですから。(笑)
ジャパニーズ的なるものを欲すのは、それは摂理とも言われるでしょうか?しないでしょうか?
とちょっと面倒くさく言い回しですが、兎も角
そう言った大好物群を断つというのは、非常に悔しいのです。
とはいえ、自分で大会に出るという決断をしたのは他でもなく僕自身のなのでその辺は現状は楽しく行えています。
よく、減量中の選手を動画で見ているとわかりますが、特に減量末期と言われる大会の1ヶ月前とかはひどい様子です。
自分自身でカロリーを節制をするという決断をした、ある種の本能的な機能が吹っ飛んでおります。
理性で体を制御していると言ってもいいでしょう。
大概のビルダーは減量計画と言われるものを毎月にどれだけ、体を動かし、どれだけの量をカロリーを減らし、またどれだけの睡眠量を確保する必要があるのか、というざっくりとした計画を立てるそうですが、そこには機械的に黙々と日々をこなし、感情が失った人間たちと呼ぶのに相応しいでしょう。
それは人間やめますか?と問うているような感じが、見ていて率直にいつも感じてしまいます。
それだけ体脂肪を極限まで落とすということは、生きるか死ぬかではないですが、生理的な欲求が絶えず、毎日毎秒に問われているものであり、人間として与えられた機能を武装解除し、リミッターが外れてしまった状態というのは、本能的な営みを否定するものであり、いうならば感情的には生きていないという訳です。
[もはや人間ではなくなってしまっている]
これも彼らが好んでこう言った、自慰行為的なことをしているのであまり比較することはできませんが、でも明らかに人間としての機能を超越しちゃっているのは事実だと思います。
今まで当たり前のように食べてきた”チョコレート”も、”どら焼き”もそして”芋けんぴ”すら、食べれなくなってしまうんですよ。
普段のとあるスーパーや百貨店で買っている人の、カゴやカートの中に果たして何が積まれているのでしょうか?
それは減量とは程遠いものが、入っていることが大半ですし、”カロリーオバケ群”がそこには溢れている状況なのが実際のところだと思います。
どうせ”Laysのポテチ”を入れてるんでしょ?
“Laysのポテチ”なんて入れてるんでしょ?どうせ。
それは人間として今食べたいもの、これを食べてもらったら喜んでもらえるもの(つまり美味しそうなもの)、色があって視覚的にも見て楽しいもの(それは人によっては、ふらぺちーのかもしれない)等々が挙げられると思います。
僕であれば、それは”芋けんぴ”だったということなんです。(笑)
そんな人間としての基本的な機能を全て度外視をして、真っ向からその営みを否定していく姿勢が、現代を生きる上で逆境的にそして人によっては生きづらくなってしまう生き方だと思います。
が、末期となると今まで頭で体を制御できていたのが、とうとうそうはできなくなってしまう。
ある種の感情的な部分が舞い戻り、やはりそこには人間としてやめれなかったという事が起きてくるんです。
ですが、屈強なビルダーはそんな苦行の中、歯を食いしばって、最後の一絞りを薄皮一枚を何がなんでも、削ってやるという強い鋼のメンタルで目の前にある食材を食べたい、けど食べれない、食べちゃいけないという判断をしているのです。
そこにはある種の”葛藤”をしており、それが人間らしくてとても良いじゃないですか、、。
と個人的に感じるんです。笑
と思って見てみたり、自分自身もそういう境遇に近いうちになるのではなかろうか、と思います。
嫌だなぁ、、。(苦笑)
ボディービルは国境の行き来である
この競技というのはそういった人間と人間ではいられない、ボーダーの辺境を行ったり来たりとしているようなものだと思うんです。
日本は隣接している国々がないので、イメージは着きづらいですが、ある国とある国の国境に入ったり、入らなかったりという感覚だと僕は感じています。
実際に僕は、香港とマカオに旅行した事がありますが、その国境線で入ったり、そして入らなかったりという謎行動を10分くらい1人で遊んでいました。
でも、これが意外と楽しくて、なんかわからないけど、香港に入った時とマカオとでは、違う風を感じるではありませんが、そういう気配が違った印象でした。
水と白湯ではないのですが、ただ透き通った水なのか、少し生ぬるいけど温かみのあるような感じです。
一見同じ水には変わりはないですが(国境線)、だけどその中身と言われているものの温もり感が、確かに異なって感じてしまう。
確かに物理的として、国境線の香港コーナには、その近くには”エッグタルト”があってほのかに甘くて、やさし〜感じがしましたし、
一方のマカオコーナーには確かに”カジノ”がその先に見えたので金の匂い〜はしたけども、、。
やはり、僕には何かが異なって感じてしまいました。
そんな生死の狭間で、ボディビルダーは生きているんだ、そして僕も生きていくんだということを少しでも理解して頂くと、観戦する際もより楽しくなるのではないのかなぁと思い、このように綴った訳です。
ーーーーー
もう今月から各地で、ボディビルディングの大会が開催している情報を耳にしますし、実際にみております。選手一人一人が各々の物語として、大会に挑み選手個人個人に、”強い覚悟”を持って大会に挑んでいるように思えます。
誰一人として生半可な気持ちで大会に出場をしておりませんし、そんな生ぬるい気持ちでは”チャンピオン”という称号を勝ち取れないでしょう。
この境地は本人だけがわかることなんです。いかに自分が己を鼓舞して全力で時間を刻んできのか、
これに尽きます。
大会当日までにどれだけ悔いが残らない形で、日々を過ごし自分の体、いやば”作品をコンプリート”がされているのか、
自分の作品を完成した、できた、これなら人様に公開できるという意識で自身も初大会ながらも、全身全霊挑んで行ってまいりたいなと思っております。
筋肉代行屋 J
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?