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ジムというサバンナに君臨する”ライオン”とそれに続く”ハイエナ”に言いたい


この記事のタイトルですが、非常に考えるのに苦労しました。

というのも、文頭文と結とで、内容が少し乖離があったように思えましたが、自分の中ではある程度は回収ができたのではなかろうか、と思っております。(汗、、)

このタイトルの実際の中身は、文の中盤あたりから出て参りますので、今しばらくこの先の文章を楽しんで読んで頂きますと嬉しい限りでございます。

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で、最近の私ですと専ら日々の格好は”上裸”で過ごしております。

無論、自宅で、、にはなりますが、、。

その背景として、気温が徐々に上がってきているし、僕が出場をする”メンズフィジーク”というボディビル大会が今夏に開催されるからという背景からも恐らくはあるのだと思っています。

暑くなると服を脱ぎたくなる心理はわかるけど、どうして大会が近づくにつれて服を脱ぎだすかは、自分でもよくわからないっていうのが本音のところです。

でも、一番に大きな要因として、

「今の現状の肉付きを見てみようじゃないか、、」

「自分で自分をジャッジしてやろうじゃないかい、、」

というある種の”身体検査”を自ら行っているという事でありましょう。

それは決して、「わいのカラダ、いけてマンやん、ええんちゃうん?、そんな素敵な身体をずうっっと見てみたい、、」

と思っている事は多少はあるにしてもそこまでは、感じているわけではないのです。(苦笑)


と、こんな感じで大なり小なりと大会出場をする選手にとっては”不安”というものが付き纏ってしますのが実情のところでしょう。

『あれれ、思ったほど減量できていないな、、」

「大会までにちゃんと仕上げることができるのであろうか?」


という一方で、自身への”誇り”という感情も時折出てくることがあります。

「おっと、食ってる割に意外と絞れてんな、、」

「へぇぇ、、インド料理を食べながらでもダイエットできんだ、、えっへん、、」


という感情に浸ることだってあるかもしれません。(笑)


実際にありました。

インド料理の代表的な料理である”ビリヤニ”を食べながらでも、翌日の体重計を測ってみたら数値的に下がっていた訳ですから。

「よっしゃ、いいじゃん、きっとインド人も喜んでいるだろうよ、、」

と小さく嬉しさという感情に浸ることは、ごく稀にですが感じることがあるんですよ。


ですが、よくいろんな所で耳にすることに、人間は快よりも不快に対してのインパクトに強く働いてしまうという機能があると思います。

これは”損失回避性”や”プロスペクト理論”と言われるものです。

得よりも損をする方に反応がいくと言うものです。

例えば、お肉1kを10分以内に完食ができれば全額無料します、と言う例でみてみましょう。

肉の塊が1kですよ。

それはそれは大層な量であることはご想像の通りであり、あの大食漢と言われる”力士”ですら煙たがるタイプかもしれません。

つまり、あまり参加したがらないと言うことです。

目の前の利益、正当な仮に”600g”が理想的な必要量だとすれば、その価格だけ支払うという現状バイアスに働くと言う訳です。

つまり、1k分の食べ切れると言う無料さよりも、1k食べきれなかった値段というところに焦点が行きやすいということです。

これは小柄な女性だけに言えることではなくて、お肉の必要量600gで満足する人でも選択はあまりしないということです。


「プラスに働くよりもマイナスのベクトルに目が行きやすい」

こんなことが先の例で、あげられたと思います。

つまり、期待よりも不安という心理が働きやすいということが言えると思います。

最初の上裸に戻って考えると、基本的には鏡の前の自分に喜び期待感よりも、焦り不安感の方が襲いかかってくるということです。

それは、頭の中でどのように働いているのかというと、恐らくそこにはある種の粗探し的な発想で自分の身体をまざまざと鏡から自身を観察し、減点加点方式をこの狭い部屋で試行錯誤を行っているということでしょう。

トレーニーの皆さんならよくわかると思うのですが、意外とジムで自分の身体を凝視することはある種の恥ずかしさであったり、勇気がいるということはお分かりだと思います。

特にトレーニングを始めて間もない頃は、特に、、です。


ジムという場所は、平易な例えをするのであれば、”筋肉量至上主義的”な部分があってそこには”弱肉強食の世界”であって、ある種の”カースト的な臭い”を感じるわけです。

例えるなら、あのダンベルエリアの鏡付近は絶好の”サバンナ”であって、”ライオン”がシマウマを”ハイエナ”がヌーを、そして草木を食べる”ヌー”が、、




という感じで、もうそれはそれは魑魅魍魎とした世界観なわけなんです。


つまり、ライオンは上級者、ハイエナが中級者、ヌーが初心者、草木がその他という感じです。

じゃあ、僕自身はその生き物の中ではどれに当たるの?という話ですが、なんでしょうかね?

くれぐれもライオンではないですし、ハイエナでもチーターでもないのは確かです。
だがしかし、自分がヌーだとも思う事はない気もしたりしています。(苦笑)

争いたくないので。(笑)


まぁ、そこはある種の筋肉量的に考えると、という観点からあれらのアニマルズ達がメタファーとして列挙したわけですが、
言いたいのは要は、ジムではライオン的なる人もいるだろうし、そこにはそれに続きハイエナ、チーター、かば、キリンと枚挙にいとまがないのです。それは態度としてとの印象ということです。

トレーニングジムで3年以上やってきた人ならよくわかると思いますが、もう本当にライオンっぽい人がいることはいますし、そのおこぼれを狙っているハイエナ群がいるということに同感する人が多いと思います。勿論、ヌー的な人も含めて。

当然のことながら、僕は絶対王者に君臨するライオンでもないですし、そのライオンのおこぼれを狙うハイエナでもないのですので、僕はいわば弱者な訳です。

要はサバンナ周辺に生えているそんじゃそこらの”草木”なんです。

そんな弱者が自らの身体をライオンの目の前で、まざまざと体を鏡越しに見るというのは無謀にも程があるということなんです。

まぁ、ライオンからしてみれば絶好のシマウマ君ではないので、そこはいい意味で寛容的と言いますか、決して険しいご尊顔をそちらに向ける事はないのです。

だって肉食なんだから。(苦笑)

鼻息を荒くされても、鋭い犬歯をこちらに向けられても困るわけです。
それはお互いにとって。

草木の僕もいつかはライオンに慣れるものなら、なってみたいと思うのだが、それは願ってなるようなものでもないのかもしれません。

勿論、ライオンになる為に日々を頑張る事がなければ、当然としてライオンにはなれっこなんてありゃしないのです。
ですが、そうなれるかはまた別のお話し。それは神のみぞ知る境地でしょう。


トレーニング経験は関係なし

上級者、中級者、初心者という括り方に個人的に違和感があります。

上級者だからでかい顔をして、目の前の鏡を堂々と見れるという意識や、なんか知らないですけど、俺って一番じゃね??という無意識下で暗黙の了解で比較しあって、優劣をつけたがる匂いがするんですよ。

ヌーだって一生懸命、人生生きてんだよ!!って、
ヌーだって、鏡くらい見させろやって!!って、

そんな怒りが過去もそして現在も感じております。

でも、そういった無意識下での比較優位性を図っていることは、人間の本能かもしれませんが、ちょっと窮屈感を覚えてしまいます。


ヌーの逆襲

今、ヌー的な存在ポジションにいる人だって、いつかは堂々と行きたいと思っております。

目の前のライオンに立ち向かっていく勇気を持ちたいと思っていると思います。

そんなヌーがライオンになるには、”意識性”なんです。

日頃からこの筋肉をこのぐらい欲しいなぁと思ったりもするかもしれませんが、これも同じ道理です。

願わずに筋肉を得る事はないのですが、そうしたところで果たして、望んだ通りの筋肉量を獲得できることはわからないということと同じです。


トレーニングをする上での大原則として、言われている”意識性の原則”

これは僕にとったら興味深い原則で、トレーニングをしている瞬間は誰しも、例えば、アームカールをする際に
「この上腕二頭筋が、、」とか、
「肘関節を屈曲をして、肩関節も同様に、、』

等々、筋肉を効率よく鍛えようと考えるとすれば、自然に今あげた事柄に至っていることと思いますが、くれぐれも、「ライオンは猫科で、、」とか、「手前どものヌーの我が同胞が、、」

とかは一切合切考えないわけです。(苦笑)

もし考えているのであれば、それは大変感性豊かで興味深く、”unique of the unique”ですので、そのまま引き続き思う存分にトレーニングを通してその様な感性を育んで頂きたいと思います。

で、最低限の筋肉量を欲すならば、「今この筋肉を動かしているんだ。。」


という意識はする事にはなるわけですが、果たして意識しすぎるのもどうであるのか?という気もここの所感じております。

だって、いちいちトレーニング中にこの筋肉を欲しい、あと1cmあと10mm、もう1mmもう0.1cmという目先の煩悩、俗にいう欲という、ある種の煩悩に悩まされているわけですから。

そこには執着がましさであったり、必死感がすごいのであって、悟りのレベルから考えるとまだまだ低次元であるのは事実でしょう。


いうならば、サバンナのなかの一生物達ということになります。



一流ボディビルダーのリングは、サバンナではない

そんな中、”一流のボディビルダー”は、もうある種の悟りの様な世界観で生きていて、もうそこには煩悩に煩わされている事は比較的少ないように見えます。

ライオンとか、ハイエナとか、ヌーとか、もはやリングがサバンナではないということです。

もう彼らのように、いわばお達しの方々は、そのトレーニング自体が没頭の対象であって、くれぐれもより効率的にとか、お手軽さといういわば、頭で考えるような欲求は少ないように感じます。

超越しちゃっているんです。

いうならば、サバンナに着地することがないという意味合いにおいて、鳥類なんです。

つまり、”ワシ”なんです。




もう本能レベルで感じている、心で自らの肉体と精神が対話を絶えず繰り返し、もう言語化できない様な境地でいるようなまさにそんな感じでしょうか。


それらを超越した何か、目に見えない世界観で日々を生きているのでないのかという気がします。

“もう悟っちゃってる”という言葉が適切でありましょう。


つまり、悟りと言われている人には意識とは無縁の関係性であって、逆行するものであるという事です。

意識するまでは人間界(煩悩の世界観)で、そこからの次の次元として空気、物体というような高度に抽象化されたのが、悟りの世界観だと思います。

できるだけ、日々の煩悩に苛まれる事なく、日々を生きていきたいです。


つまり、この記事でのメッセージは、


サバンナという食うか食われるのかというヒエラルキーな対象ではなく、そんな比較優位し合うことなく、できるだけ各々の生物が生き生きと全うしていって欲しいものだと思っているということになります。

ライオンはライオンの楽しみ方が、、
ハイエナにはハイエナなりの楽しみ方が、
ヌーはヌーなりの楽しみ方が、

という感じに。

で、いつかそんな彼らもそんな煩悩から晴れて卒業をし、ワシとなって自由自在に羽ばたけるのです。


筋肉代行屋 J

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