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「柴田 れな」だった

先週、活動名を「柴田 れな」から「しばた れいな」にもどすことを報告した。たった、6か月間だったけど、私は「柴田 れな」だった。

今だから言うが、「れな」は母が私につけようとしていた名前だ。「れながいい」という母に、「三文字にしたい」という父。二人の意見をまとめて、母が考えていた漢字に、「れいな」という呼び名をつけたそうだ。こうして私は、「しばた れいな」として人生を送ることとなった。

私がもしも、「柴田 れな」だったら

「れいな」という名前に不満はなかった。名前の響きが綺麗だなと子どもの頃から思っていたし、「自分の名前が嫌いだ」と思ったことなんて、生きてきて1度だってない。だけど、「自分が嫌いだ」と思ったことは何回もあった。

得意なことが見つからず、劣等感を抱いていた中学時代。
なんとなく生きる自分に嫌気がさした高校時代。
恋愛がうまくいかず自信を失った大学時代。
言葉選びの下手さに辟易とした会社員時代。

たぶん人生1回目、不器用にしか生きられない私の性分。「なんで私ってこうなんだろう」そう思っては、悲しい気持ちになることが山ほどあった。そしてそのたびに、人に好かれ、器用に生きる人たちを羨ましく思ってきた。

生まれ変わりたいと思ったことなんて何度もある。「もしも違う名前だったら、人生違ったのかな」そんな空想を抱いたこともある。

ふと、母が「れなという名前にしたかったのよ」と言っていたことを思い出した。スマホで姓名判断と検索し、「柴田 れな」と入力してみる。

総画「大吉」。どうやら「れな」の運勢は、とてもいいらしい。

もしも、私が「柴田 れな」だったらーーもうひとつの人生に、興味が湧いた瞬間だった。

生まれ変わったような気がして

個人として文章を書くと決めたとき、真っ先に「本名はいやだ」と思った。身バレ云々よりも、鋭利な言葉が本名宛に届くのがとても怖かったのだ。

それなら、フリーランスとして活動する自分と現実世界の自分は区別してしまおうーーそう決意したとき、「柴田 れな」という名前を思い出した。

母がつけたかったもうひとつの名前。姓名判断もいいし、「柴田 れな」として生きる人生に興味もある。もうひとつの名前を持つなら、これしかない気がした。

こうして私は「柴田 れな」と名乗ることに決めた。「い」があるかないかの違いだったが、「柴田 れな」と書いた名刺を渡すときは、なんだか別人になったような、不思議な感覚がした。

結果、事情あって本名に戻すことになったものの、「柴田 れな」でいた期間は、まるで生まれ変わりの擬似体験ができたようで、私にとってかけがえのない時間だった。

半年間、別の名前を名乗ってきたからこそ、今は本名が以前より愛おしく感じる。

たった半年間だったけど、ありがとう、「柴田 れな」。活動名を変えても、結局私は私なのだけれど、ひとときでも「れな」と名乗ったこと、きっと母も嬉しかっただろう。

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