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豊かな奴隷と貧しい自由人~アフコロの価値観~

 いまだに猛威を振るう新型コロナウイルスですが、政府や世間の対応を見ていると、より経済的な活動を優先するような流れになってきていると感じます。このことからもいよいよアフコロ(アフターコロナ)の世界が迫ってきているのではないかと感じます。

結論

 アフコロに必要な価値観を考えたとき、以下が重要になってくるのではないかと考えています(個人の感想です)

今以上に自分を客観視できない人は淘汰対象となる

  • 今の自分を捨てられること(=過去の栄光にすがらない)

  • 「当たり前」や「常識」を鵜吞みにしない(=簡単に変わる)

  • 結果(モノ)よりも経過(コト)が重要(=DXの流れ)

  • 誰かと同じ考え方の時はレイヤーを意識する(=一つ上のコミュニティ)

興味を持った方は是非読んでみてください。

さて、あなたはどっち派ですか?

豊かな奴隷 vs 貧しい自由人

 このセリフは岡田斗司夫さんがYoutubeで使っていらっしゃったのですが、ここで言う「豊かな奴隷」とは大企業に勤める人を指します。
 給料はいいのだけど変更不可能なルールや体育会系の人間関係に縛られて自分たちの考えはあまり重要視されません。こき使われる奴隷のような位置づけなのだけど、奴隷と違うのは経済的に(比較的)豊かであるということです。

 資本主義の日本において豊かである(資本がある)ことにはとても大きな価値があります。大きめの家に暮らし、高級車に乗り、子供の教育にお金を使えるということはその後の人生にも大きく影響します。

 一方貧しい自由人とは個人事業主や我々のようなベンチャーで働く人を指します。給料はとても高いわけではありませんが仕事のルールが柔軟で働きやすい環境を構築することができます。
 ただし(求める暮らし方にも依りますが)豊かかどうかというと一抹の不安が残ります。自分に合った仕事ができないこともありますし、会社が突然つぶれてしまうこともあり得るからです。

皆さんはどっち派でしょうか?

質問です。

 自分の価値観変化は認識できるでしょうか?そのために一つ質問をしてみます。少し考えてみてくださいね。

 皆さんが「仕事したなー」と達成感を得たことを年代別に考えてみてください。

  • 20代

  • 30代

  • 40代

  • 現在

さてどうでしょう。では私の場合を書いてみます。

20代(1997年~2006年)

契約形態:アルバイト~正社員

  • 時給が上がった

  • 長時間働いた

  • 急に休んだ人の交代要員

  • 社員がやっていた仕事を任された

  • バイトのランクが上がる

  • 社員の人たちと仲良くなれる

30代(2007年~2016年)

契約形態:正社員~起業

  • 定時になったらコンビニへゴー(夜食)

  • 終電まだあるよ?

  • 22時が定時

  • 休日出勤の方が捗る。代休は落ち着いたら。

  • 月の残業は80時間越え

  • タイムカード押してからもちょっと頑張る

40代(2017年~現在)

契約形態:起業

  • 時間に縛られずに仕事する

  • アイデアが形になった

  • 大手のお客様と仕事ができた

  • 画像認識やAIなど先端の技術で仕事ができる

  • 自分たちのアイデアが誰かの役に立つ

 私の価値観は「労働集約型」の働き方から「自分たちの価値を売る」への変化として認識することができます。
 私はあまり体力がないので、そうしなければ質の高い仕事を続けられないということは自覚していました。これはすべての人が年老いていくことを考えると(そのタイミングは違えど)誰もが考える必要のあることだと思います。

人月商売は日陰の存在に

 日経コンピュータ2023.01.05号に掲載された記事のタイトルです。
 我々はいわゆる失われた30年を何とかするためにこれから始まるアフコロ(アフターコロナ)の世界を生き抜いていかなければいけません。

 そこで仕事に対する価値観を見直しておく必要があると考えています。

映画「マトリクス」が分かりやすい

 この映画では何気ない日常が実はAIが自分たちのエネルギー(電力)を得るために作り出した仮想現実(マトリクス)であり、それに気が付いた人たちが本当の自分を探し出しAIと戦うというお話です(ざっくりしすぎてごめんなさい)

 私が仕事を覚えた20年間はまさに失われた30年と重なっています。それはまるで仮想現実で生きていた私が自分の世界が仮想現実であったと気付く瞬間と重なります。きっかけはコロナウィルスの感染拡大により世の中に起こった様々な価値観の変化でした。

変化した価値観1:通勤・勤務時間

 例えば通勤は仕事をする上では必須行動でした。しかも満員電車で座れないことも。決められた時間までに出社。1秒でも遅れたら遅刻です。12時になったらどれだけ仕事が順調でも昼休みを取ります。仮に仕事を続けて昼休みがずれても13時には仕事を再開しなければ白い目で見られます。18時になると定時ですぐに帰ると角が立ちそうなので少しずらしたり1時間ぐらい残業したりします。

 今もそうやって仕事をされている方も多いと思います。それを否定したいわけではありません。私はこの数年間そうしなくても仕事ができる方法を見つけました。そして当時よりも今の方が稼ぎが良いのです。これはたまたまなのかもしれませんが、つらい状況で毎日通勤することが仕事とは直結しないということが分かったのです。

変化した価値観2:残業

 仕事とはお客様の要求に対して見積を行い注文を請けて始まります。ということは見積の段階で残業は見込まれていません。残業ありきの見積もりは(基本的には)あり得ません(単価に残業が見込まれているというのとは違う話で、ここでは工数の話です)
 つまり残業が発生しているということは何かしら想定外の事が起きているということです。想定外の中には作業員のスキル不足ということもありますが、双方(発注側と受注側)にとって想定外ということもあります。つまり誰にも予想できなかったことが起きている、ということとなります。
 こういった場合には双方で協議を行い実装予定だった機能を見送るとか、追加で予算を確保して頂くなどする必要があり、理屈の上では残業にはつながらないはずです。

 これらのことからも自分たちが原因(病欠とかスキル不足とか)ではない残業は結構な異常事態だと思うのです。

 20代~30代を振り返ってみると長時間労働=仕事をしたという認識をしていて、残業しない奴は働いていないというよく分からない風潮がありました。今ではこれらの価値観も変わってきていると感じます。

変化した価値観3:アイデア

 目の前の案件をこなすことが仕事だという思い込みは危険です。それは誰もがやっている当たり前のこと。会社の未来は偉い人達が考えること。所詮自分のアイデアなんて。。

 ですがアイデアは考える練習が必要です。よく「今は本気出していないだけ」の人がいますがアイデアは出すだけではダメなんです。アイデアは出し続けることが重要で、さらにそのアイデアで三方(売手・買手・世間)良しを考えられなければいけないのです。
 そのためには実際にアイデアを出して形にして使ってみてもらって自分に足りない考えを補完するということを続けなければいけません。才能がある人は別ですが、一般人の我々は20代からアイデアを形にするということを続けることで40代になって誰かの役に立つアイデアを出せるようになるわけです。

 そんな状況下でやってきたのがDX。DXはモノからコトへの価値変革です。コトを考えるにはマーケット・インの発想力が重要で、自分のアイデアが三方良しとなった経験を積み上げていないと自分勝手な思い込みが増大し、世間に受け入れられないことに腹を立てて逆上するような人も出てきます。

 人月商売の良くないところは今あげた3つの価値観が成長しないことなのではないかと感じます。有体に言えば「思考停止状態を生み出している」といえます。もしかすると日本を骨抜きにするための誰かの作戦なのではないかと疑ってしまいます。

そしてDAOがやってきた

 DXと並んでDAOという概念もやってきました。
 DAO(Decentralized Autonomous Organization)というのは「分散型自律組織」と呼ばれていてこれまでの仕事の在り方を変える概念です。仮想通貨と紐づけて語られることが多いため、複雑な印象もありますが概念としては「全員が株主のプロジェクト」というイメージでしょうか。

 多くの企業では、営業が取ってきた仕事に対して人を割り当てます。案件が開示されていて自分で選ぶということは少ないですよね(もちろんそういう会社もありますし、クラウドソーシングなんかも存在します)

 ですがDAOの場合はプロジェクトが中心にあり、参加者が主体的に運営や管理を行います。対応する人が主体的というところが既存のビジネスとの大きな差です。

自走型社員を突き詰めればDAOになる

 企業においても「自走型社員の育成」は課題として挙げられることがありますがこれを追及するとDAOになるのではないでしょうか。

 ただ、企業は自走型の社員を求めつつも、出来過ぎてスピンアウトしてしまうことを嫌がります。そのため自走型になって欲しいが自分たちの言うことを聞く社員になって欲しいという矛盾した考えとなります。
 そして雇われている人たちもそういった空気を敏感に感じ取り、時々抵抗するけど基本的には従順というキャラクターを演じることが仕事をすることとなってしまいます。

 そもそも「教育」という言葉は「教」と「育」で意味が違います。自分の知っていることを教えるのが「教」自分を超えるように送り出すのが「育」です。
 だから自分の個性を磨いてどんどん出世し、方向性が違うのであれば我慢せず外へ羽ばたいていけばいいんです。でも不安で怖いですよね。
 企業がそこを利用しているのだとしたら?
 どうせあいつには踏み出す勇気がないと思われていたら?
 踏み出せることが羽ばたけることの証明になるとしたら?
だからといって何も考えずに行動してはいけません。その準備を始めてみてはどうかというのがチャンネルユニコのいう「起業を目指す」という行動です。

自分は何者なのか?

 なんとなくですが2023年は価値観が変わる(変える)節目の年になると感じます。そのための準備として大切なのは、

今の自分を捨てられること

 なのではないかと思います。これは映画「マトリクス」でいうところの自分が仮想現実世界にいることに気が付くことと似ています。

自分を捨てろと言われても俺は嫌なのさ

 そういうの要らないですよ。仮想現実で作り上げられた自分なんてものは所詮仮想の自分です。自分が持っているポテンシャルを最大限に引き出すためにまずやらなければいけないのが「自分を捨てる」=「過去の栄光にすがらない」なのです。

 そして具体的には以下の事を意識してみましょう。

  • 過去の成功は誰かのおかげ、たまたま運が良かった

  • 「当たり前」や「常識」はない そんなものは簡単に変わってしまう

  • 結果(モノ)よりも経過(コト)が重要

  • 誰かと同じ考え方の時はレイヤーを意識する

 最後分かりにくいので補足します。

 YouTubeなんかを見ていると「おお、俺と同じこと考えてるじゃん」なんてことありませんか?ですが数々の修羅場をくぐってきた人の考えと温室育ちの人との考えは同じ言葉であっても中身が違います(YouTubeの方が全て修羅場をくぐっているとは言っていませんし、これを読んでいる皆さんが温室育ちといっているわけではありません)
 これを画像処理におけるレイヤーとして捉えてみます。

 一枚の絵に見える画像も実は複数枚のレイヤーから構成されていることがほとんどです。例えば「価値観」という言葉も一般社員の考える価値観と中間管理職の考える価値観、社長の考える価値観とは大きく違うはずです。
 その違いが認識できないということが自分の拙さなのです。そしてそれを埋めるためには行動するしかありません。行動すると結果が出ます。結果が更に次の行動へ繋がります。

 特に失敗を重ねることで価値観は変化します。失敗を重ねるためにも行動が必要です。そしてそれは自分勝手な思い込みと世の中のニーズ(マーケット・イン)を埋める作業だとも言えます。これを早いうちにやって慣れておくことでアフコロの世界を理解するきっかけを掴めるのではないかと思います。

なぜこの記事を書いたか

 私は現在ありがたいことにこれまでに経験したことの無い大きな案件に参画させていただいています。関わっている企業も人数も多く、そこで出会う方たちの仕事への向き合い方や考え方にとても刺激を受けています。
 皆さんとお話しする中で自分の拙さや狡さを痛感することも多くあり危機感を覚えています。そんな中、自分の根幹にある価値観と世の中の価値観の相乗効果がいかに重要であるかということに気が付きました。

 我々は単に個としての能力を誇示するために仕事をしているのではなく、群としての成果を出すことでお客様や世の中の期待に応え、より品質の高い成果を出せるよう群を強化し、その中で自社(より大きな群)の新たなビジネスモデルを創造し、この国(さらに大きな群)を何とかする義務があるのではないかと考えるようにしています(今はまだ「そうなれたら嬉しいな」ぐらいですが)

 一つの案件や現場、企業に長く在籍し続けられることはありがたいことです。一方で終身雇用の価値観も変化しました。時には自分の力を試す意味でも思い切って新しい世界へ飛び出す勇気も重要です。その勇気は必ず自分に良い成果をもたらします。だって行動できたことでほとんどのことはうまくいくからです(失敗しないとは言っていません)

 特に自分をより客観的に観察し、自分の価値観と世の中の価値観を可能な限り客観的に比較できるスキルはアフコロの世界を生き、次の世代へつなげていくために非常に重要な意味があると感じる今日この頃です。

この話は2023年1月13日のチャンネルユニコ第二部でお話します。

配信アーカイブも。ユニコのYouTube


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