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三角形の内角の和と、

数学って、苦手。
掴みどころがたくさんありそうにみえるけど、掴めない。
例えば、公式は数学を掴むためのものにはならない。
公式を使ってすらすらと解けていると思える時こそ、私は数学の手のひらの上で転がされている。
その手のひらは分厚くて、広い。
指先の方は遠すぎて、とてもじゃないけど見えない。
手のひらの下をそっと覗き込む。
真っ暗で、底なし。
「一体、何人が落ちたのかしら。」と思うと、怖くなる。

私は高校で数学ⅡBまでを学んだ。
二次関数、数列、三角比、ベクトル…。
一通りの公式は使えるけれど、この公式が、数列っていうのが、ベクトルっていうのが、何なのかは分からない。
やっぱり、掴めない。

あ、でも確率は好きだった。
「確率を求めなさい」っていうだけの、その単純さが気に入っていた。

サイコロを振った時、6の目が出る確率は?
サイコロの目は1から6までの6つだから、答えは1/6。

ほらね。分かりやすい。
でも、本当に確率は1/6なのかしら。
すごろくをしている時、なかなか6の目は出なかった。
3や4の目ばかりが出ることに対して、もどかしい思いをしたことを覚えている。
運の良し悪しは、やっぱり計算には含めないのね。

「これは何回も繰り返した時の話。でも6の目が出る確率を何度も調べていくと、だんだん1/6に近づいていくんだよ。だから1回だけじゃ、1/6にはならないかもね。」

なるほど、また手のひらの上で転がされていたらしい。

ところで私は、三角形が図形の中で一等好きだ。
それは、『三角形の内角の和は180度』という決まりが大好きだから。
世の中の三角形は全て、内角の和は180度。
三角形なら内角の和は180度じゃなくてはいけないし、内角の和が180度ならそれは三角形に他ならない。
これは至極単純だけど、それほどに絶対である。
(余談だけれど、私は『単純』と『絶対』はなんだか同義のように感じてしまう。単純だから絶対だし、絶対ということは単純だと考えている。)

『三角形の内角の和は180度』と『人はみんな死ぬ。』は、似た単純さをもっていると私には思えてならない。
偉い人も、サラリーマンも、ついさっき産声を上げた赤ちゃんも、男も、女も、私も、君の最愛の人も、もちろん君自身も、みんな死ぬ。
あの三角形も、その三角形も、私が適当に描いたこの三角形も、全ての三角形の内角の和は180度。

やっぱり、『三角形の内角の和は180度』と『人は全て死ぬ』は似ている。
(言葉が足りなくて、上手く表現できないのがすごくもどかしい。
こういう悔しい思いをすることが、最近になって急に増えた。
でも、それは、嬉しいのだけれど、でも悔しい。あ、またこれも悔しい。)



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