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99年生まれのごくごく普通の日本人🚺が生きていて思うこと。 なんの一貫性もない偏った文…

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99年生まれのごくごく普通の日本人🚺が生きていて思うこと。 なんの一貫性もない偏った文章たち

最近の記事

詰み詰み

2023年はとてもとても楽しかった。 2024になって早2ヶ月が経ち、楽しくないことに気づいてしまった。できることなら気付かずにチャランポラン生きていたかった。 去年と今年、何が違うのか考えた。 シンプルに去年はほぼ家におらず、狂ったように外に出ていたからだと結論がでた。基本、引きこもり気質の私だが、去年は毎日色濃い日々を送っていた気がする。(多少美化しているが) 去年は面白いヒトとたくさん出会ったなあ。不思議と色々なヒトと仲良くなって頻度のバグを起こしながら遊んで、

    • 最近

      天井を見つめてはいつの間にか夜になり、ああ何も食べてなかったわ、ああお風呂にも入ってないな、ああ外に出られないな、みたいな日々ですよ。 多分きっとやらなければならないタスクはそれなりあって、でもやらなくても生活に支障はないから結局やらず、結果的にやることもやらなければいけないこともない。 これぞまさに何の生産性もない生活、いや人生というわけです。 何するのも面倒くさい。旅行も遊びも今まで好きだったものまでもが面倒になってしまった。なんなら棚の上にある水を飲むもの面倒。何

      • 救いたい人を救うために

        無力だなと思った 人を元気付けたいとき、取れる手段は物理的にどこかに連れ出すか、言葉で励ますこと 私は今まで後者で生きてきたのだけど、あのときそれができなかった 救いたい人を救える言葉を私は持ち合わせていなくて、でも当たり障りのない綺麗事も言いたくなくて、葛藤した挙句私がかけた言葉はその人が何十回と言われてきただろうありきたりな言葉で、自分の無力さに落胆した 私は自分の気持ちを文章で表現することは得意だけれど、人を救えるような言葉は持ち合わせていなかった 救いたい人

        • 人は理由を欲しがる生き物だけど、そんなに考えすぎなくてもいいんじゃないかと、最近思うのですよ。

          何かとツラツラ述べている私でも、許されるのなら大いに人に依存して、大いに甘やかされて、大いに寄りかかりたいと思っている。 まあ、人生そんな上手くできていないし、今もこれからもそれが許される存在に出会える予感もないので、夢のまた夢ですが。ね。 今日も今日とて、仕事を頑張って成長した気分になって自分にご褒美なんか与えちゃったりして、自立しているフリをして生きているの。 なんで人は生きるのだろう?なんて問いを持ったこともあるけれど、 生きる理由なんて「死ねないから」くらいで

        詰み詰み

        • 救いたい人を救うために

        • 人は理由を欲しがる生き物だけど、そんなに考えすぎなくてもいいんじゃないかと、最近思うのですよ。

          ありがとう

          私は人に心を開かない。 コミュニケーションを取らなければいけない場面ではいい感じに話をすることができるが、求められなければ基本的に距離を取る。 異性に対しても、同性に対しても。 だから友達は少ないし、普段はだいたい1人で行動している。 誰にも感情を乱されないし、誰にも気を使わなくていいし、好き勝手しても許されるなんて最高じゃないか。 それが楽で、もう1人行動は慣れっこなのだが、それが寂しく感じることもたまにある。 だが、そのような時は大抵睡眠不足で病んでいる時なので

          ありがとう

          ツカレタヨ~

          生きるのにはお金がかかるし、お金を稼ぐために働かなきゃいけないし、働くには頑張らなきゃいけないし、頑張るためには目標がないといけないし、目標を定めるためには色々な世界を知らないといけないし、色々な世界を知るには好奇心旺盛じゃないといけないし。 なんだかもう、生きることに疲れるときがある。 頑張って生きた先に何があるのだろうか。 頑張るのが美徳とされる世界で、頑張れない自分には価値がないのではないか。 価値がないなら生きる意味がないのではないか。  そんなことを考えながら、

          ツカレタヨ~

          変われる可能性があるのは自分だけ

          自分が変わるしかない 何か嫌な出来事があったり、今いる環境に不満があったりする場合、私は自分が変わるしかないと思って生きています。 他人が変わらないことに、我々はいい加減気づいているのではないでしょうか。 人に要望を伝えても改善されるのは最初だけ、声を上げても聞く耳すら持ってもらえない、周りに溶け込めず自分だけ浮いている気がする、気の合う人がなかなかおらず孤独と隣り合わせ、振り返ると私の人生でそう感じる出来事は多かったように思います。 そんな日々を生き抜いていくには、

          変われる可能性があるのは自分だけ

          小物ほど自分を大きく見せようとする。本物はみんな謙虚。自分から語らない。威張らない。

          そのような人がいても気にせず、自分のやるべきことをひたむきに頑張る。 大して仕事をしていない人ほど、仕事が大変自慢をするし、社会的地位が低い人ほどビッグマウスになるし、お金を持っていない人ほど持っているフリをするし、小物ほど自分を大物に見せようとする。 その人が自慢するものは大体そうでもないことが多い。私は、何も語ってくれない人の話を聞きたい。 本物は語らない、威張らない、見せびらかさない。 そして、本物は小物を気にしない。

          小物ほど自分を大きく見せようとする。本物はみんな謙虚。自分から語らない。威張らない。

          存在しているだけで自分は尊いんだと思わせてくれる人がいい。そんなわけないのは承知で。

          基本的に1人行動派のわたしだが、誰かに寄り掛かりたい気持ちになる夜がある。 自分を全肯定してくれる存在がほしい。生きているだけで偉いよ!大丈夫だよ!と常に言ってくれる存在がいてくれたら、何事も頑張れる気がしている。もちろん、わたしが生きているだけで尊いわけがないことは十分に承知の上だ。 ただ、そう思わせてくれる存在がいたらいいなという話。 1人で過ごす時間の中で分かったことがある。 1人は楽で、平和で、楽しくて、寂しい。    1人では味わえない幸せがあること。 自

          存在しているだけで自分は尊いんだと思わせてくれる人がいい。そんなわけないのは承知で。

          ある夜中

          「iのこと好きなのに、全然心開いてくれてない。私は会いたいのに全然会ってくれない。私になんて気を使わず、雑に扱ってくれていいのにぃぃぃ」 泥酔状態で号泣している友達。 ある夜中、突然かかってきた電話を受けた日。泥酔している友達から学んだことがある。 自分が相手を思ってしたことでも、相手を傷つけている場合があることを。 私は、1人行動が好きだ。 それは、気が楽だし誰も傷つける恐れがないから。1人なら誰にも迷惑かけずに、自由気ままに行動できるし、相手に気を使うこともない。

          ある夜中

          「負の感情」への向き合い方について

          人に対して負の感情を抱いた時、それが「嫉妬」なのか「嫌悪」なのか見極めるのは難しいと常々思っている。 負の感情の元を辿ると、本当はその人が羨ましいがそれを認めたくない、自分の方が劣っていると思いたくない、という「嫉妬」なのか、人として軽蔑するような、この人みたいにはなりたくないと思うような「嫌悪」なのか、この2パターンあると感じる。 「嫌悪」場合、自分の価値観と合わず、相性も悪いように感じる。そのような人とは、挨拶などの必要最低限の関わりにとどめる。言うまでもないが、誹謗

          「負の感情」への向き合い方について

          東京さ行くだ

          帰省6日目、今日は東京へ帰る日である。 今回の帰省はとても良いものだった。 行きの新幹線では、昔の友達に会うことを恐れていた私。 結局、3人の旧友に会い、楽しい時間を過ごすことができた。  私が勝手に高すぎる、厚すぎる壁を作り出していただけで、友達は安易にそれをすり抜けてきた。越えるのではなく、自然にすり抜けてきてくれたのが楽だった。 私が恐れていたのは一体何だったのだろう。 そう思わせてくれた友達に感謝である。 何年も会っていなくても、私が彼らと深い関係を築けて

          東京さ行くだ

          「友達」について

          いつも感情が一定で、何を言っても何をしても怒らず、どんなことが起きても動じない2歳下の女の子。 私は友達が少ない。相手の顔色を伺って物を言う私は、誰かといるよりも1人でいる方が楽なことに気がつき、いつの日からか1人で過ごす日々が増えていった。しかし、彼女には本音が言える。本音を言える雰囲気でいてくれる。だから仲良くなった。 彼女は、私が本音で話しても受け止めてくれるし、私の都合で振り回しても怒らないし、大抵のトラブルにも動じない。私の感情はジェットコースターであるため、一

          「友達」について

          行った国、カリフォルニア州バークレー

          私は、2ヶ月前カリフォルニア州バークレーを訪れました。成田空港からZIPAIRに乗って。バークレーは5年前に行った事があり、今回で2度目の訪問になります。 今回、そのZIPAIRさんが後援した募集とのことで何かご縁を感じ、初めてこのようなコラボ企画への応募に至りました。 下記は、私がバークレーで感じたことを文章に書き留めていたものです。 ------------------------------------------------ 「成功体験を積める」 このことが、

          行った国、カリフォルニア州バークレー

          相手のためは自分のため

          こちらがどれだけ相手のことを思ってしたことでも、相手にとってそれが不要であれば、それはただのエゴに過ぎないということ。 これは家族、友人、恋人、どんな関係性であっても通ずることである。相手が何を欲して何を求めているのか、もしくは何も欲しくはなく何も求めていないのか。これを見極めないと良好な関係を築くことはできない。一見、言葉にすると当たり前なことなのだが、実はこれが難しかったりするものだと私は人生で学んだ。 自分がどんなに相手のために尽くしても、相手にとってはそれがウザか

          相手のためは自分のため

          3年ぶりの帰省〜旧友との再会〜

          会いたい友達に会う事ができた。 急な誘いにも快諾してくれて、滞在先に迎えにきてくれた。 前日の誘い、手土産もなし、迎えも頼むという最低なフルコンボにも関わらず、嫌な顔せず対応してくれた。本当に頭が上がらない。 友達は、中学の3年間同じクラスだった男子。彼はとても頭が良かった。何度か隣の席になり、良い刺激をもらって私も負けないようにと勉強が捗っていた記憶がある。 そんな彼は今医大生らしい。 私は昔から彼を尊敬していた。 勉強ができるのにゆるゆるとした雰囲気を纏っていて

          3年ぶりの帰省〜旧友との再会〜