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相手のためは自分のため

こちらがどれだけ相手のことを思ってしたことでも、相手にとってそれが不要であれば、それはただのエゴに過ぎないということ。

これは家族、友人、恋人、どんな関係性であっても通ずることである。相手が何を欲して何を求めているのか、もしくは何も欲しくはなく何も求めていないのか。これを見極めないと良好な関係を築くことはできない。一見、言葉にすると当たり前なことなのだが、実はこれが難しかったりするものだと私は人生で学んだ。

自分がどんなに相手のために尽くしても、相手にとってはそれがウザかったり、迷惑だったりすることもある。「誰かのために尽くす」という行為、聞こえはいいかもしれないが、一歩間違えればありがた迷惑になり得るのだ。自分の行動の良し悪しは、全て相手の受け皿次第なのである。尽くし癖のある私にとってはなんとも耳が痛い話だ。

誰かのことを思うとき、私たちができることは、相手のために何かすることではなく、相手の求めている行動を取ることである。
それは、与えるという行為ではなく見守ること、もっと言えば何もしないことの場合もある。

相手の受け皿が整っていないのに、こちらが一方的に尽くしてしまうとき、それは相手のことが好きなのではなく「尽くしている自分」のことが好きなのである。一種の酔い、いわばナルシスト。

好きだからこそ、大事だからこそ、愛しているからこそ、引かなければいけない場面もあるということ。与えることだけが愛ではないということ。

自分がしたいことではなく、相手がしてほしいこと、してほしくないことを見極める目。私はそれを養っていきたい。本当に大切な人を、自分本位の行動で壊さぬように。本当に大切な人を大切にするために。

私たちは一旦立ち止まって考えるべきである。相手のためと言いつつ、自分のためになってはいないか、ということを。


おわり

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