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【勇気】『デジモンアドベンチャーtri.』『デジモンアドベンチャーLAST EVOLUTION-絆-』の「苦悩する太一」に見る八神太一の抱える闇【臆病】

『デジモンアドベンチャーtri.』『デジモンアドベンチャーLAST EVOLUTION-絆-』の二作は賛否両論というか、批判が多かった作品ですが、その理由の一つに「苦悩する太一」の描写が挙げられます。
無印信者は「なんで太一があんな風にウジウジと悩むのか?」「無印や02の太一はあんな風に苦悩するような子ではなかった」という意見がSNSなどでも散見されたのですが、個人的にはさほど違和感がありませんでした
というのも、無印と02を太一の言動・行動に注目してよくよく見てみるとわかりますが、実は太一って世間一般のイメージとは裏腹に慎重、というよりも「臆病」という言葉が似合う人物なのですよね。
「え?あの太一が臆病?」なんて思うかもしれませんが、カリスマ性とかリーダーシップとかの「役割」として与えられたものに誤魔化されがちなだけで、太一自身は意外と臆病です

私が最初にそう感じたのは暗黒進化の一件であり、あそこで太一は自身の長所である「冷静に周りを見ることができる俯瞰の目」が失われて、目の前の「アグモンをとにかく超進化させる」ということだけに精一杯でした。
その結果、グレイモンは自我を失ってスカルグレイモンへと暗黒進化してしまい周囲の迷惑も考えずに暴走、太一も時すでに遅しで謝ることしかできず、その後19話辺りまでは結構本調子じゃなかったのです。
この辺りを見るとわかるんですが、太一って決断力・統率力が物凄く強い反面「ビビリ」でもあるし、あとは想定外の出来事に対して意外に弱く、ピッコロモンにメンタルケアしてもらわないと立ち直れなかったりします
また、人間関係においても実はとんでもなく不器用な人でもあり、人に対して妙にグイグイ行くわりには向こう側からグイグイ来られたり年下から突っ込まれたりすると意外と脆さが出てしまうのです。

具体的な例としては22話のタケルが一人ぼっちにされてピコデビモンに嘘を吹き込まれる回で「ねえ太一さん!ボクを太一さんの弟にして!」と言われた時に太一は狼狽しています。
この場面は当時物議を醸した問題の場面であり、タケルの発言にも問題がありますが、ヤマトがもしもこの場にいたら最悪の場合流血沙汰になった挙句にヤマトが投身自殺しかねません
さらに46話でタケルを見ながらの(ヤマトならどうするだろう?こんな時、なんて言うだろう?タケルにもしものことがあれば、ヤマトに何て言えば……)というセリフもありました。
そしてさらに追い打ちをかけたのが48話で高熱がぶり返したヒカリを前に太一は自身が犯した過去のトラウマを述懐して、こんなことも言っています。

「あいつはそういうヤツなんだ…いつも人のことばっかり考えて、自分がつらいとか苦しいとか、絶対に最後まで言わないんだ…!ホントは、こっちの世界に来るのも嫌だったのかもしれない……。でも、世界の運命とかって言われたら、絶対に断れないんだよヒカリは!!だから……だからおれがしっかりあいつのこと見てやらなきゃいけないのに……!それなのに…うっ、うう……」

私が一番八神太一の本音というか本性が露呈した瞬間をここで見た感じがするのですよねこの場面……そう、表面上は無敵のリーダーっぽく見せていますが、その奥底にあるのは「傲慢」と「臆病」です
「勇気」と「無謀」は表裏一体と言いますが、ギリシャ神話のイカロスの話では勇気は行きすぎると傲慢に繋がってしまうと解釈されており、実際にアニメの太一はイカロスのメタファーであるとも言えます。
その証拠に彼の最初のキャラクターソングである「勇気を翼にして」はタイトルも歌詞の中身も「勇気一つを友にして」というイカロス神話を真逆に解釈したみんなのうたの本歌取りです。
しかし、この歌の歌詞もよくよく見るとおかしいのですよね、だって「翼」を本当に持っているのは八神太一ではなく武之内空であって、太一もヤマトも実は完全体・究極体共に空中戦専用ではありません。

勇敢なイメージばかりが付き纏う八神太一ですが、それは原作無印が高石タケルフィルターというメタによって綺麗に見えていただけで、実は奥底に傲慢と臆病という勇気とは正反対の闇が見え隠れしています
それを私たち視聴者に見せていないだけで、実は見えないところで太一は色々凹んだり悩んだりしていて、それが誤魔化しようのない形で表面化したのが「tr.」「ラスエボ」の「苦悩する太一」だと思うのです。
太一って何でもかんでも積極的に挑戦する怖いもの知らずの大物という印象があり、実際に本人も「俺の無茶はいつものことだろ」と言っていましたが、太一の無鉄砲は決して先天的なものではないでしょう。
個人的見解ですが、太一のそうした何でも勇猛果敢に試してみる部分は「少年」だからこそ出来た特有の無茶であって、それはやはり「02」以降、正確には「ウォーゲーム」辺りから徐々に失われていったものです。

「02」を見返してみると恐ろしいほど太一は「動かない」し「臆病」で、それこそアグモンがカイザーに暗黒進化させられた時もヤマトにぶん殴ってもらわないと止まることができませんでした。
また彼が大輔たちに言って聞かせた「喧嘩しなきゃ友達にもなれない」というのも結局は嘘であり、喧嘩しなかった大輔と賢が親友になったのに喧嘩した大輔とタケルは親友になれなかったのです。
更にはゴーグルも手放し紋章も失って力という力を全て失って無力化した最後のトドメが「ディアボロモンの逆襲」の両腕を捥がれたオメガモン……まさに翼をもがれたイカロスそのものでした

確かに少年期の太一は「太陽」そのものであり眩しすぎるほどのリーダーではありましたが、それはあくまでも子供特有の「穢れや挫折を知らないからこそ出来た無茶」に他なりません。
ダークマスターズ編にかけて培っていった個性であるリーダーシップを身につけていくと彼は「思考」と「抑制」を覚えますが、それは同時に少年期の個性を1つ失っていくことでもあります
太一の「勇気」は「傲慢」と表裏一体ですからそれは「思考」と「抑制」を身につければ自然と克服されていくものですが、その先に待っているのは「臆病」「失敗」という大人の憂鬱と向き合うことでもあるのです。
「ラスエボ」に際して関弘美が「大人になったら成長が止まるから、エネルギーを失いデジモンと一緒にいられなくなる」という唐突にも思える後付け設定が出ましたが、太一の性格・心理面を深く追求すると決して荒唐無稽ではありません

ここがおそらく大輔との大きな違いであり、大輔って「02」原作でも「ビギニング」でもいい意味で「変わっていない」のですよね、彼の中で「大人と子供」の区別がなくシームレスに個性を積み重ねていけるというか。

こちらの記事では大輔たち02組のことを「大人になるという意識がないピーターパン症候群みたいな人たち」とやや無印組と比べて否定的に述べているようですが、私の解釈は大きく異なります。
02組だって肉体も年齢も「大人」にはなっていってるんですよ、というか「大人」になれないと社会から爪弾きにされてしまいますからね。
けど太一たちと大きく違うのは「少年期に持っていた個性を失うことなく大人になっている」という「奇跡」を大輔を中心に体現していることなのです。
それは私も似たようなものですし、私が太一よりも大輔の方が圧倒的に好きなのはウィルス種=闇=悪という価値観の有無の差だけではなく、何よりも「子供の頃に持っていた良さを無理に手放さずに持ち続けていること」にあります。

そして現実世界でいわゆる「成功者」と呼ばれる人たちを見ると、例外はあるにしても大体当てはまっているのが「いい意味での子供らしさを失っていない」ということなのです。
大人になるというのは結局のところ「処世術を知る=郷に入っては郷に従えを知る」ことであって、それは必ずしも魂や精神面での成熟とイコールではありません。
逆に子供っぽい姿をしていても本質的には物凄く磨かれた魂というのもあって、大輔は正にそういう子なのかなと思ってしまうのですよね。
それはおそらく関弘美のいかにもな日本人的価値観が強く反映された無印組とは対照的な世間一般のいう「大人っぽさ」の「嘘」に惑わされない02組ならではの強みではないでしょうか。

そもそもデジモン自体が「ポケモン卒業生集まれ」からスタートしていますから、「子供から大人への通過儀礼」の1ページとして設定されたものなのでしょう。
そしてそのコンセプトが一番強く出ているのがアニメの八神太一であり、少年期から大人にかけて「苦悩」が増えて「無茶」が鳴りを潜めるようになったのも、そういうことかもしれません。
正に「風の又三郎」のように少年期の無茶とお別れしていくことで太一は大人になっていき、ゴーグルも手放して「大人」になっていきます。
しかしそれは同時に「自分らしさ」を捨てることにも繋がっており、それとは真逆のコンセプトを貫き切ってみせたのが「Vテイマー」の方の八神タイチや「02」の本宮大輔ではないでしょうか。

そう考えると、「02」最終回の太一が外交官に、そしてヤマトが宇宙飛行士になったのはむしろ後輩の大輔たちに「子供らしさを喪失することがないまま大人になってみせた」という姿に影響を受けたのかもしれませんね。

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