ラスエボのテーマ、そして『02』、02組、02の最終回との関係について
Shihanneと申します。
中学生の頃からデジモンの歴代シリーズを愛して、いいタイミングの事情で最近の『デジモンアドベンチャー LAST EVOLUTION 絆』(以下、『ラスエボ』)を観ました。
すごく楽しかったと思いましたが、観た後でよく考えてしまった映画となりました。Blu-rayの豪華版を予約しましたが、発売までまた観えなかったので、ノベライズを繰り返し読んでなんだか勉強のようになりました(笑)
結局考えすぎてちゃんと自分の考えを書きましょうと決めました。
母語は英語で日本語での書き方がちょっと変かもしれませんので、不図失礼な言い方、またはわかりにくい所があれば申し訳ありません。
ただ、『デジモン』への感情が強すぎて自分の気持ちが言語の壁を越えればいいなと思いました^^
この後は自ずからネタバレなのでご注意してください。
パートナー関係解消の本当の理由について
PVと本編自体とかで、メノアはパートナー関係解消の事を話します。
つまり「大人になると絶対にパートナー関係が解消される」と。
しかしよく考えれば、メノアの理論は間違いしか思えません。
本当に原因が「選択」なら、なぜ子どもの頃に自分の道を決めた丈先輩や大輔はまだパートナがいますか?逆になぜ自分の道を決められない太一とヤマトはパートナーを失いましたか?
メノア自身がパートナーを失った時自分で勝手に決めた理論じゃない?と思うところです。
「私は大人になるのを決めた」→「大人になったからパートナーを失った」→「選択はダメ」
やはり自分の経験だけで、自分で決める考え方でしたね。
「研究のテーマだよ」と言いましたが、ちゃんと研究するとたくさんのデータ点が必要で、太一たちが全然知らないほど今までの事例が少ないじゃないですか?
科学者なのにどうみても偏見が強すぎると思います。
その上、太一とアグモンがゲンナイさんと話すと
ただの「事例」で、やはりメノアの思うように「確か」ではないらしいです。
つまり、「宿命」ではないし、もしかしたらパートナー関係が解消されない事例もあるかもしれないです。
なので、クライマックスで太一とヤマトが「お前が選んだことは、間違いなんかじゃない」「確かに宿命は変えられないかもしれない。でも...運命は、変えられる」と言う事はその証明だと思います。
メノアの考え方は信頼できないし、そもそも「大人になると絶対にパートナー関係が解消される」という理論がなかなか微妙だと思います。
しかしストーリーには、「パートナー関係解消の本当の理由」の手がかりもあると思います。
劇中では、確認できるパートナー関係解消の事例は4人:メノア、太一、ヤマト、空。
太一とヤマトは、ホルモン屋でこの会話がありました。
同じ日の朝の戦闘の時も、太一とヤマトが急いで寂しそうなアグモンとガブモンを取り残しましたね。冷たいじゃないと思うほどです。
アグモンは太一の部屋に行ったら「初めてだ」だと言います。太一はいつも毎日自分の部屋で寂しそうですが、アグモンを連れてこないです。そんなに疎遠なのですか...?
太一が「これは大人じゃないと...!」と言うと、アグモンが「子ども」と考えるから自分の部屋に連れてこないですか?と思ってきます。
その後で空がピヨモンに謝りそうですが、最近空は華道や「華道の家元の娘としての役目」に完全にハマりそうでこんな冷たいやり取りを聞くといつからこんな事があったんだろうと思うほどですね...。
そしてメノアの場合、劇中でもヒントがありますが、ノベライズの集英社みらい文庫版にははっきり言葉で書かれます。
「ずっと一緒だった」と言ったメノアの言葉はやはり信頼できないですね。
「大人になるために」勉強にハマったメノアも全然話さないほど自分のパートナーをほったらかしにしました。ブランコが「子どものころ」と表現されたのは、メノアはもう「子どもの頃の物」に興味がなくなった気がしますね。
メノア、太一、ヤマト、空、その4人は全員「早く大人になるためにパートナーを捨てた」人です。
アドベンチャーの世界観には、「パートナーデジモン=自分の心」というテーマもありますので、つまり「大人になると...」だけではなく、パートナー関係解消の本当の理由は「社会に認められる大人になるために子どもの自分を完全に捨てて、本当の自分を失う」という事です。
もちろんリングが表れた後で絆を直しようとしましたが、こんな問題は一瞬だけの問題ではないでしょう。
蓄えて蓄えて、ガラスのように破る、と。
エオスモンの名前の由来、暁の女神「エオス」(エーオース)
実は、その女神に関係ある面白い話があります。
人間の美男子「ティートーノス」に惚れて、エオスは神の王ゼウスにティートーノスを「不死」にするのを願いました。
しかしその願い、「不老」にするのを忘れました。
ティートーノスが永遠に老けて老けて苦しんでも生き続けました。
メノアの話とは、「大事な若さを忘れる」という事はかなりふさわしいですね。
「ずっと子どものままにいるほうがよかった」というメノアの理想は確かに良くないです。未来に向かわないと進めないです。
しかし逆に「大人になるために子どもの自分を全部捨てる」もダメです。
過去の経験や記憶を「使って」未来へ進むべきです。子どもの自分を「忘れない」ままに進む、と。
みんなが目を覚ますために太一が子どものホイッスルを吹くことがその意味でしょう。始まりを「使って」、未来へ進む。
こう考えると、メノアの理論より理屈に合います。
なぜ今まで事例がこんなに少ないとか。(きっとこんな考え方にならない大人もいるし)
14歳(どう考えても大人ではない)のメノアはなぜパートナを失ったとか。
なぜ自分の道を決めた丈先輩や大輔はパートナがまだいるとか、なぜ自分の道が決められない太一とヤマトがパートナーが失ったとか。
なぜ大人の及川が結局パートナーのピピモンと出会う事が出来たのか。
「賢ちゃんとワームモンは?」と考えることもあるかもしれないですが、矛盾ではないと思います。『デジモンアドベンチャー02』(以下、『02』)を観直すとカイザーは「捨てる」より「意識的に断る」ことだったと思います。「弱い自分」を認められなくて、ワームモンのことを一斉に「出ておいて」と「側にいて欲しい」の矛盾な気持ちを思って、その理由でワームモンの死からやっと本当の自分を取り戻しましたね。ポジティブな繋がりではなかったんですが、確かに繋がりでした。
そして、完全に自分の理論だけですが、パートナーを取り戻す解決も当然だと思います。
自然の法則に逆らうなんか必要ではないと思います。そもそも宿命ではないですからね。
メノアは「ずっと取り戻そうとしていたよ」「デジタルデーターに命の火を灯すことは、どうしてもできなかった」
しかし科学的にすればやはり解決を見つかるのが思えないです。
「ずっと子どものままにいた方がいい」「選ばれし子どもたちのみんなを救いましょう」といつも考えたメノアは、この何年でおそらく「本当の自分」の事を全然考えなかったんでしょうね。
ゲンナイさんによって、パートナー関係が解消されると「その姿を消すことになるだろう」と言いました。
「姿」というのは、つまり「パートナーがいなくなる」という事ではなく、「パートナーの見える形がなくなる」という事です。
当たり前でしょうね。「自分の心」が消えるわけではないですから。
太一は、子どもからの経験を考えて、外交官になる道を歩き出します。
ヤマトは、「ガブモンと一緒に宇宙に行く」(集英社みらい文庫版より)というロマンチックな夢の道を歩き出します。
空は、「武之内空として生きる」と決めました。『02』の最終回のように、和風ファッションの趣味を見つかるかもしれません。「華道の家元の娘の役目」ではなく、「自分のやりたい事」です。
『02』の最終回への道を歩きながら、本当の自分をまた見つけて、パートナーを取り戻すのは当然だと思います。
『ラスエボ』と『02』の関係
『ラスエボ』はいわゆる『デジモンアドベンチャー』(以下、『無印』)の作品ですが、実際に『02』との繋がりが深いです。
もちろんある4人が出現ですが、人物だけではなく、テーマとしての繋がりは深いです。
『ラスエボ』の新キャラのメノア・ベルッチは、14歳で「飛び級で大学入ったり、博士号や特許取ったりで、子どものころから神童だって騒がれていたはずだよ」
と、賢ちゃんが大輔に説明します。
いや、親しいですね?賢ちゃん自身は一度「天才」として騒がれていたんですから。
それ以外...
繰り返し言うほどかなり印象的な話だそうですね。
そして、そのコロンビア大学はメノアの「リベリカ大学」のモデルです。
(ニューヨークでの位置、映像で見える景色はぴったり)
つまり、『02』その物の基礎と言える話は『ラスエボ』で蘇りました。
『02』には、賢ちゃんが飛び級したいと聞かれたら
賢ちゃんはメノアと同じ道をたどり着いた可能性がありました。同じ事が起こらなかった理由は、日本人だからだけ。
つまり、メノアは賢ちゃんの選ばなかった道をたどり着いたifです。
「早く大人になることを要求されていた」のは、「大人になるのは早すぎる」14歳のメノアの物語と似合うじゃないかと思います。
そして、メノアは「パートナーを失った敵役」で、当初に「某シリーズの姫川?」と考えますが、実際に表面だけだと思います。
『02』にはもっと深い類似がある人がいますから。
「みんなの望み通りだから」良くない事をする人。
他の理由を考えなくて「大人だから」と決めた人。
「過去の後悔に沈む」「必死に子どもの頃の事を取り戻しようとする」
子どもの頃にデジタルワールドから切り取って、親友の火田浩樹を失って、喪失感を消すために浅い事を求めた及川悠紀夫です。
つまり、メノアは『02』のメイン敵役の二人を混ぜる存在です。
「天才と言われたから普通の子どもになれなかった」デジモンカイザーと、「子どもの頃の物を取り戻したい」及川悠紀夫。
『02』のラストには
「デジモンは、僕たちがいて欲しいと思ったら、いると信じたら必ず存在するんだ」
「それは、僕たちに心があるのと同じように…子供にはみんな、夢を叶える力があるのと同じように」
大輔の「ラーメン屋」を追って、暗黒の種を植え付けられた子供たちが「自分の夢」(社会が望む期待ではない夢)を告白して、パートナーと出会いました。
「私たちのこと、信じてくれてありがとう」
『02』によって、「自分の本当の夢」と「パートナーデジモン」は同じです。
なので、パートナーを失った人はまた「夢を実現にする力を信じる」事が出来れば…!
「夢を持つ力が自分にあることを信じることが出来なかった」及川はパートナーを「失って」、「本当の自分が欲しかった事」をちゃんと認めたら、パートナーのピピモンが現れました。
及川が「本当の自分を取り戻す」までピピモンが現れなかったです。
「前にいたパートナーが消える」とちょっと違いますが、やはりメノアたちの事例とあまり違わないでしょうね?
メノアは子供の頃、「皆、あたしのことを避けるの」「早く大人になりたい。そうすれば皆、私を変な目で見たりしないでしょ」「自分の力で生きていくんだ」「ひとりでも大丈夫」「世界の役に立つんだ」
メノアは結局「社会に認められるために」大人になりたくて、「自分の本当の夢」があったらもう捨てたそうです…
自分が「汚れちまった大人」と考えた及川のように、「大人になったから」だったと思ってしまいました…
メノアはパートナーのモルフォモンを失ったのは「8年前」で、『ラスエボ』の舞台である2010年から8年前は『02』の舞台と同じ2002年です。
2002年(おそらく途中)にパートナーを失って、『02』40~42話の世界中の戦い(12月25日)に参加出来なくなって、48~50話のベリアルヴァンデモンとの戦い(12月31日)にも参加出来なくて、暗黒の種を植え付けられた子供たちが夢を叶う力に信じるようになってからパートナーが現れるのを見えなくて、及川がパートナーのピピモンを取り戻すのも見えなくて、やはりそのメノアが「パートナーを失うのが宿命」という考え方になったのは当然ですね。
そして、『ラスエボ』のメインテーマ。
「過去に沈まなくて、未来に向かって進む」
それは『02』の後半と同じテーマです。
『02』は「過去の後悔を償うために前に進む」で『ラスエボ』は「懐かしい子どもの頃に立ち往生しない」でちょっと違う意味ですが、基本的なテーマが同じです。
そして『02』の最終回は、もちろん『ラスエボ』でみんなが向かう「未来」です。
そして、そんな理由で『ラスエボ』には『02』のキャラクターは特別なポジションになったと思います。
『ラスエボ』での02組について
インタビューとかで、『ラスエボ』の02組は「ほっこり」「重い物語の救い」「楽しさのため」といつも言われていました。
確かに、劇中で02組を見るのが楽しいですね。
『02』の後半はかなり重い物語でしたが、前半はほっこりしましたから相応しいと思います。
しかしその「楽しさ」は、他の意味もあると思います。
エンディングを観れば、年上の6人(太一・ヤマト・空・光子郎・ミミ・丈)はなぜかパートナーがいなさそうです。
年下の02組(大輔・賢・京・伊織・タケル・ヒカリ)は、パートナーがちゃんといます。
「年上の無印組は全員パートナーを失ったのか?」と思われるかもしれないですが、必ずしもその意味ではないと思います。
だってオープニングも同じです。無印組の年上の6人はなぜかパートナーがいないしタケルとヒカリはパートナーがいるし(それにアグモンとガブモンを預かるし)、それは確かに「もうパートナーが失った」という意味ではなかったんですね。
劇場で頒布した『ラスエボ』のパンフレットには、そのエンディングは「想像」するべきだと言われましたので、「無印組の6人がパートナーを失った」という意味より「想像でもできないほど02組はとりあえず絶対にパートナーを失わない」という意味だと思います。
なぜ02組はこんなに幸運でしょうか?
「年下だから」と言えば、パートナーを失ったメノアは14歳で、京は光子郎とミミからただ一歳年下で、太一とヤマトは(おそらく)一歳年上の丈先輩の前にパートナーを失ったので、年齢とあまりに関係ないと思います。
むしろ、「考え方の違い」と関係あると思います。
『02』でも、無印組と02組の考え方はわりと違いました(どちらのを理解したのはタケルとヒカリだけ)。
『ぼくらのウォーゲーム!』には無印組の事「僕らって、いまいちまとまれないですね」で、『02』の2話には「みんなが揃うの、久しぶりね」というのは、無印組は確かに壊さない繋がりの「仲間」でしたが、社交での「友達」ではなかったそうです。
しかし02組は、デジモン事件と全然関係なくても集まったタイプでした(6話のピクニック、8話のサッカー試合、38話のクリスマスパーティーとか)。
(特に大輔と賢ちゃんの場合、02組以外に友達があまりいない感じでした)
『無印』は「自分との関係」(紋章)というテーマがあって無印組の自己認識が強くなりましたが、『02』は「仲間との関係」(ジョグレス)というテーマで、02組は「仲間」だけではなく、「友達」というか「親友」となったと言われると思います。
『ラスエボ』には、太一とヤマトがホルモン屋で話した時、「進む道を選んでいけば、仲間と疎遠になることもあるさ」と、疎遠が当然のようにヤマトが言います。
しかし02組にはそうではないです。学校が全然違うでも大輔たちが一緒にラーメンを食べに行っています。
先輩に依頼を丸投げた京は、02組が同じ依頼で呼んだらすぐにスペインからも会いに行きました。
「疎遠は当然」より、「友達としていられるためにどうなっても頑張ってる」気がします。
パートナーを連れていくのに「馬鹿言うなよ」「俺の生活があるし」と言う太一とヤマト。
無印組が集まる時、パートナーデジモンがお互いに挨拶しますが、人間とパートナーとのやりとりはちょっとちぐはぐだそうで...
反面は、いつもパートナーを連れていく02組。タケルと賢ちゃんは恥知らずに頭の上でパートナーを乗せて、腕が苦しそうなのにアルマジモンを運ぶ伊織。身ぶりがシンクロの大輔とブイモン。カフェで時間を過ごすヒカリとテイルモン。動画を撮影しながら以心伝心の京とホークモン。
『02』でも現実世界の生活でいつもパートナーを連れていたし、今でも「パートナーとの生活」は当たり前だそうです。
しかし、一番大事なのは、「大人になる意識がない」という事だと思います。
『ラスエボ』の02組は恥知らずに「子供らしい」馬鹿な事で遊んでいます。
早く大人になりたい太一たちとメノアと違って、「楽しい事が一番」みたいな考え方のような気がします。
その「子供らしさ」の理由はただの若さではなく、おそらく『02』の事件のおかげです。
賢ちゃんと他の暗黒の種を埋め込まれた子どもは全部「社会に認められる」ように求めました。
しかし『02』のラストには「他の人が考える事を気にせず、自分のやりたい事をやれ」という答えがあります。
もちろん、子どもの頃に学んだ事を大人として忘れる事もあるんでしょうね。
しかし、直接に『02』の事件を観ていた02組は、きっとそう簡単に忘れる事が出来ないと思います。
特に、02組のセンターの大輔はそんな事がちゃんとわかったんです。
「余計な事を考えず、やるべき事だけに向かう」「シンプルな事だけでも幸せ」という生き方の本宮大輔は、「大人っぽさ」のような事に関係ないです。
「ラーメン屋」の夢はそもそもシンプルで、「大人にならないと...」というプレッシャーがあまりなさそうです。
そして大輔の親友、一乗寺賢。
前述の通り、賢ちゃんは「メノアの道を選ばなかった」存在です。
かつでメノアのように「天才」として「社会の認め」を求めて一乗寺兄弟が引き裂かれてしまいました。賢ちゃんは「本当の自分」を失い、大切なパートナーのワームモンも失いました。
『02』のラストでも暗黒の種はまだ賢ちゃんの首にあり、きっと毎日の「どうしてもまた自分を忘れないで」という警告であるんでしょう。
『ラスエボ』のアニメイト特典付の色紙には、みんなはそれぞれのパートナーとポーズをしていますが、賢ちゃんとワームモンはじっと目を合わせて特に何もしていないです。その二人には、他の何も必要がないです。
一度ワームモンを失った賢ちゃんは、パートナーを捨てる可能性が低いと思います。そして、一度「他の人に認められる」ために自分を心を失った賢ちゃんは、いつもまた同じ事をしないようとしていると思います。
『ラスエボ』には、02組の中にちょっと突っ込みの役目となったそうですが、それでも大輔と一緒に嬉しくラーメンを食べて、笑顔で他のみんなと遊んで、やはりどう見ても楽しんでいます。
子供の頃に「期待」や「苦しみ」が溢れた賢ちゃんは、子どもの頃にできなかった楽しさをやってるといわれますが、「子どもの頃の物を取り戻したい」及川や「子どもの頃に戻りたい」メノアと違って、賢ちゃんは「新しく楽しい思い出を作りましょう」という感じだと思います。
他の02組もわかるはずです。
大輔に似てる態度のマイペースな京。『02』の事件でちょっと頭が柔らかくなって子どもらしい先輩についてくる伊織。
特に、『ラスエボ』のテーマ「過去に閉じ込まないで」と言えば、活躍する4人の大輔、賢、京、伊織は特に過去に戻りたい理由がありません。
無印組は「懐かしい冒険とパートナーとの出会い」の記憶がありますが、他の02組の4人はそんな経験がありません。
大輔・京・伊織によってパートナーとの出会いは割とのんびりで(普通な生活とのやりとりが多い)、賢ちゃんの子供の頃は寂しくてカイザーとして長く苦しんでいました。02組によって、その後の冒険は実に「大切な友達は敵で、ひどく戦った時」「大切な友達(賢ちゃん)が悲しんでいた時」「敵を倒す苦しみを知った時」「目の前で悲しんだ人の死を見た時」です。
『02』の時の楽しさは「懐かしい事」ではなく、むしろ「友達との生活」です。
今でもその友達と一緒にいて、この4人によって「過去」より「今出来る事」の方が楽しいらしいです。「懐かしい大人」や無印組と違って、急に「エオスモンを引き寄せた」事ではなくて、子供と一緒にニューヨークでエオスモンと戦っていました。メノアのネバーランドに行っても、友達がいない「自分の居場所」に別れるのはきっとこの4人に楽しくないと思います。
もう「前に進むんだ」という教訓をもう習ったそうです。
そしてタケルとヒカリはいったん無印組と同じく懐かしい冒険に閉じ込めましたが、基本的に「生き方」と「考え方」は他の02組と同じです。
タケルは小説に頑張ってて、きっとまだ「子どもの頃を大切にしよう」という事を忘れなかったんでしょう。しかも『ラスエボ』でのタケルの公式プロフィールにには「児童文学のサークルに在籍」という設定もあり、まだ子どもの事に近いところにいるみたいです。
一度パタモンを失ったタケルはそう簡単にパートナーを捨てないと思います(逆にいつも頭に乗せる)。
『02』の50話でヒカリちゃんは「幼稚園の先生になる」という夢があるのが明らかになって『ラスエボ』でのヒカリちゃんの公式プロフィールに「幼児教育を専攻する」があり、タケルと同じく子どもの事に近いところです。
その二人は、簡単に「子供らしさを大切にする」意味を忘れる可能性が低いと思います。
Blu-rayの特典ドラマCDでは、他の02組とのタケルとヒカリちゃんのやりとりが描かれますが…どう見てもやはり全員お馬鹿です。
普通にストレートな賢ちゃんとヒカリちゃんでもいつも他の友達と遊びたいみたいで、みんなが忙しくてもどうしても一緒に遊びたい感じです。
そのドラマCDは「当時の02の話」風で、同じ雰囲気が出られるのは子どものままでいられる証明だと思います。
そして02組のみんなは大輔と賢ちゃんをちゃんと見て、賢ちゃんのわかってきた事をわかってて、大輔の前向きな生き方に引っ張られ続けます。
『02』のラストに習った事、「社会の期待を考えず自分のやりたい事や自分の叶えたい夢を全力で追う」のをまだ忘れなかったそうです。
もちろん、人間である02組はいつか忘れて悩む事があるかもしれないです。
しかし、その時が来るならおそらく「今」ではないと思います。
『02』のラストでも無印組に比べ自己認識による成長にはまだまだで、02組がいつも先輩たちを憧れていました。
『ラスエボ』のストーリーにも、先輩たちを憧れ続ける感じで、太一たちと違ってまだちゃんと未来の事をよく考えていないらしいです。02組が未来の仕事を目指すのはあまり描かれず、大輔のラーメン屋の夢でも「将来~思ってる~」とかのんびりに進む気がします。
『02』最終回でも、02組の仕事「ラーメン屋」「警察官」「お母さん」「弁護士」「小説家」「幼稚園の先生」、かなりシンプル感ですね。先輩たちの「最初の○○」のようなスケールと全然違って、のんびりに目指せる所です。
(大輔のラーメン屋が世界中にチェーンになるのは偶然感)
先輩たちのような自己認識がないし、無印組のすごい試練を超える必要がなさそうですが、そのせいで無印組と同じぐらいに大いなる事ができない気がします。
しかしそれぞれの人の「生き方」が違うし、02組が「自分の幸せが一番」の生き方を選んだのは罪ではありません。
つまり、「とりあえず楽しんで遊ぼう」という02組は、先輩たちのようにちゃんと「未来を作る事」ができなくても、「過去」に閉じ込められたメノアと「未来」の事を悩む太一たちをつながる「現在」を生きています。
せめて「過去」からもう進んで、「子どもらしい自分」を忘れなくて、「本当の自分」をわかってて、あくまでパートナーを大切にしています。
それから無印組の考え方と違う02組は、今パートナーを失う可能性が低くて、エンディングは「この子たちはとりあえず絶対にパートナーを失わない」となった理由だと思います。
「未来を作る」ために悩んでる無印組は今度「現在」の後輩たちから何かを学べるのは、「普通の”大人っぽさ”の考えに惑わさないで」のテーマがある映画に相応しいかもしれないと思います。