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スペイン戦最大のテーマは「克己心」ではないか?旧作から一貫して続いている最大のテーゼ

ようやく今新テニ最新号(2023年3月号)がだいぶ消化できてきましたが、実は既にメダノレの最初の発言を通じて決勝戦さいだいのテーマが示されているのではないでしょうか?
それは「克己心」であり、どこからそれが読み取れるかと言うと、予選を勝ち抜いた段階でメダノレが言い放ってみせた以下の一言。

「人間最大の罪は不機嫌である!と、かのゲーテは言った」

実はさりげなく、しかしはっきりと決勝のスペイン戦最大のテーゼが示されたことをこのシーンは示しており、許斐先生はこういうさり気ないのが大好きな方です、さすがハッピーメディアクリエイター。
一見新しく出てきた要素でありながら、実は旧作から一貫している「テニプリ」最大のテーゼであり、なるほど新テニの物語の完結としてはうまい落とし所を見つけてきたなという感じです。

「テニスの王子様」はどうしてもジャンプ漫画のお約束をフルに活用した「強さのインフレ」が目立つ為に異次元の超能力バトルの要素が目立ちますが、それはあくまで「目に見える側」でしかありません
描かれたものの表面に惑わされず正しく見ていくには南次郎が言うように目に見える側に囚われず奥底にある心の本質を見抜かなければ「テニスの王子様」という作品を正しく読んだことにはならないのです。
最近読んだとある方の「テニスの王子様」の構成分析で語られていたことに私は深く共感したのですが、あくまで許斐先生はファンサービスで異次元バトルを見せたいだけであり、本質は王道を好まれる方です。
だから本質的に描きたいのはフランス戦のS2の越前VSシャルダール、ドイツ戦のS2の手塚VS幸村のような実力が拮抗した者同士が見せる技の駆け引きであり、テニスの本質的な面白さは「駆け引き」にあります。

ジャンプ漫画作家の多くの人はその超能力や奇怪なパワーアップ要素でバトルさせますが、テニプリも本質をきちんと読み抜いていない人にはリアリティがないと言われるのでしょう。
だから「テニヌ」という呼称がある時期からファンの間で定着したわけですが、実は許斐先生がそういわれることを狙ってやっていることに気付いている人はあまりいません。
実はテニプリは旧作から一貫して本当に大事なことは読者の気付きにくいところにそっと隠されていて、でもそれこそが実は作品を読み解く最大の鍵であることに気づかない人がほとんどです。
はっきり言って私に限らず多くの読者はそのような強さのインフレなんて大して面白がってはいませんが、だからこそここぞというところで満を辞して出てくる名勝負に読者は心打たれています。

実際旧作で名勝負として挙げられるのは手塚VS跡部、不二VS白石、越前VS真田のような実力が拮抗した者同士の鎬の削り合いですし、新テニに関しても同じことです。
逆に言えば新テニにおけるフランス戦の真田VS忍者、ドイツ戦の平等院VSボルクのような大味なバトルはほとんど読者を飽きさせないためのファンサービスとして盛り込まれています。
まあ平等院VSボルクはそれこそ手塚VS跡部のような最強VS最強という頂上対決感があるし決勝にも繋がる重要なテーゼが提示されていますが、真田VS忍者は真田の進化以外ほぼネタ要素しかありません。
フランス戦もドイツ戦も実は一番盛り上がったのがS2であり、S2こそ実は一番重要なテーゼが盛り込まれているのではないかと私は思うのです。

例えばフランス戦は「武士道V騎士道」でしたが、これを一番体現できるのは日本代表の希望である越前リョーマとフランスの王子様であるプランス・ルドヴィック・シャルダールという2人の王子様でした。
そしてドイツ戦は「天衣無縫VSアンチ天衣無縫」ですが、このテーゼを一番深く表現できるのは旧作からの積み重ねがある手塚国光と幸村精市であり、あの2人だからこそドイツ戦S2は物凄い盛り上がりを見せたのです。
逆に言えば、S2以外の試合はフランス戦もドイツ戦も飾りとまでは言わなくともほぼ読者を盛り上げる為にそれらしく取り繕ったファンサービスである、と言えるのではないでしょうか。
そこから考えていくと、やはり決勝のスペイン戦で一番重要な試合はS2に来るであろう越前リョーマVS越前リョーガの兄弟対決であり、これはもう新テニ初期から語られてきた大事な要素です。

しかし同じS2でも幸村が負けて越前が勝つ理由はメタ的に越前と手塚が負けさせるのが難しいのとは別に「克己心」が実は重要なテーマとなって来るのではないでしょうか。
手塚が言っている「油断せずに行こう」、そして越前が言っている「まだまだだね」「テニスでは誰にも負けない」というセリフにこの2人の克己心が描かれています。
だからこそこの2人は天衣無縫の極みに到達できた青学の柱だったわけであり、幸村はまだ「過去の清算」という自分軸以外の要素で動いているから負けるのです。
むしろ幸村はあそこで初めて「勝利」のためではなく「自分」のためにテニスをし、仲間に頼ることや後輩に託すことを覚えたのではないかと思われます。

様々な阿修羅の神道だの阿頼耶識だの無限の竜巻だのタイムループだの能力共鳴だのといった大量のスパイスが盛り込まれていますが、一番許斐先生が描きたいのは「心」の部分です。
だから「人間最大の罪は不機嫌である!と、かのゲーテは言った」とメダノレによって定義された以上、決勝戦最大のテーマは「不機嫌になりがちな己に打ち勝てるか?」が重要になります。
それは単なる根性論や精神論ではなく、「自分軸でテニスができるか?」というドイツ戦で示された新テニのテーゼの延長線上であり、旧作から一貫して許斐先生が打ち出した要素です。
精神操作といった変化球の要素を入れているのはあくまでもそのメインのテーマを引き立てるために盛り込んだ先生なりのファンサービスではないでしょうか。

旧作の落とし所が最終的に「テニスを心から楽しんでいる奴こそが最強」であったように、新テニも「滅んでもなおテニスに純粋である奴が最強」という結論になりそうです。
そしてそれを旧作から続いている物語のテーゼとして一番背負えるのがS2の越前リョーマとそのアンチテーゼとなる越前リョーガであり、リョーガの父が監督だというのはそういう意味もあるのかも。
越前家の物語の完結であると同時に旧作から紡がれてきた「心」の物語の集大成がこの新テニ決勝戦の真意である気がして、だから私はS2が一番の見所だと思うのです。
逆にいえば、それ以外のS3・D2・D1・S1はそれを盛り上げるための引き立て役であり、また読者を飽きさせないためのファンサービスという位置付けになる気がします。

以前にも書きましたが、許斐先生が一番心血注いで描きたいのは「二人のサムライ」「リョーマ!」のような主人公に深い関わりがある物語なんですよ。
で、その主人公・越前リョーマに関わりが深い人物となると越前南次郎・越前リョーガ・手塚国光の3人となってくるわけであり、もうどうやって決着つけるかも見えているはず。
なんかそう考えると、今の時点で一番不機嫌の要素を満たしている跡部様が真っ先に負けてしまう予感がするのですが大丈夫でしょうか?


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