仮面ライダーのテレビシリーズにはまだ「これだ!」といえる決定的な最高傑作がない件
改めて思うのだが、サブカルチャーにおける「シリーズ物」の中で、数多く見ていくと自分にとっての「これだ!」といえる最高傑作が誰にでもあることだろう。
例えば私の場合ならスーパー戦隊が『星獣戦隊ギンガマン』、ウルトラシリーズはやはり初代『ウルトラマン』(これは最近固まりつつある評価)、ガンダムシリーズなら『機動武闘伝Gガンダム』がある。
他にも70年代のロボアニメなら『超電磁マシーンボルテスV』、勇者シリーズなら『勇者エクスカイザー』、ジャンプ漫画なら『ドラゴンボール』(フリーザ編まで)といった具合だ。
邦画でいえば小津安二郎の『東京物語』、洋画でいえばバスター・キートンの『キートンのセブンチャンス』など、作品の出来や良し悪しを語る前に刺さってしまい、感性を揺さぶる作品がある。
アニメでもそうだ、例えばアニメ映画でいえば日本だと押井守の『イノセンス』、海外だとやはりディズニーの『ファンタジア』が私の中ではもうSSランクの作品として残り続ける。
手塚治虫の漫画でいえば私にとっては短編だが『メトロポリス』を最高傑作だと思っているし、横山光輝であれば『三国志』、石ノ森章太郎であれば『サイボーグ009』が挙げられるだろう。
それは時代・国籍・人種といった壁を超えて存在するものであり、芸術というのはそういう風に具象でありながらその形式は普遍性をまとった衝撃として存在しうるものだ。
その点、ふと思ったのが、仮面ライダーシリーズにはそういった「これだ!」といえる決定的な最高傑作がまだ私の中にはないのであり、これは不思議なものである。
念の為私が現時点での仮面ライダーシリーズの視聴済み作品のリストと評価を一通り記しておこう。
『仮面ライダー』(1971)評価:A(名作) 100点中85点
『仮面ライダーV3』(1972)評価:B(良作) 100点中70点
『仮面ライダーX』(1973)評価:D(凡作) 100点中50点
『仮面ライダーアマゾン』(1974)評価:S(傑作) 100点中95点
『仮面ライダーストロンガー』(1975)評価:B(良作) 100点中70点
『仮面ライダーBLACK』(1987)評価:A(名作) 100点中85点
『仮面ライダーBLACK RX』(1988)評価:C(佳作) 100点中65点
『仮面ライダークウガ』(2000)評価:C(佳作) 100点中60点
『仮面ライダーアギト』(2001)評価:A(名作) 100点中85点
『仮面ライダー龍騎』(2002)評価:A(名作) 100点中80点
『仮面ライダー555』(2003)評価:B(良作) 100点中75点
『仮面ライダーカブト』(2006)評価:D(凡作) 100点中45点
『仮面ライダー電王』(2007)評価:S(傑作) 100点中90点
『仮面ライダーキバ』(2008)評価:F(駄作) 100点中10点
『仮面ライダーW』(2009)評価:C(佳作) 100点中60点
『仮面ライダーOOO』(2010)評価:B(良作) 100点中70点
こんな感じだが、個人的にまとまりも含めて突き抜けているのは「アマゾン」と「電王」なのだが、どちらも高いクオリティーでまとまっているものの、それでも決定打に欠ける。
では石ノ森先生が直々に描かれた初代とBLACKの漫画版はどうなのかというと、それもそんなに高い評価ではないし、石ノ森先生の最高傑作が上記の通り『サイボーグ009』であることに異論の余地はない。
こないだも述べたように、テレビ版の『仮面ライダー』に関しては藤岡弘のバイク事故のせいで大幅路線変更というテコ入れによって軌道修正せざるを得なくなったことが躓きとなっている。
例えばこれが『ウルトラマン』のように短縮を食らってもきちんと作品として描き切るべきを描き切っていたり、『秘密戦隊ゴレンジャー』のように自然にギャグ路線に寄っていくのなら問題ない。
『仮面ライダー』の場合はそのどちらとも違って「意識的に路線変更せざるを得なかった」という事情によって全くの別物になったため、純粋な作品として評価しにくい面がある。
もちろん一定水準以上の面白さはキープしていたからいいものの、せっかくの高級料理を楽しみに来たと思ったらいきなり吉野家の牛丼やダブルチーズバーガーセットが出てきたような感じだ。
要するに羊頭狗肉であり面食らってしまうし、だからこそ會川昇がいうように『仮面ライダー』は何度も原点回帰という名の呪縛が付き物になっている可哀想なシリーズであるというわけだ。
ちなみに私は白倉P自身が作った作品を心底いいと思ったことはないと何度も述べているが、それはあの人が「映像」ではなく「思想」の人だからであり、作品の評価とは直結しない。
未見の作品もまだまだあるので今後発掘していけば出てくるのかもしれないが、何となく仮面ライダーに関しては決定打となる作品は今後も現れない気がする。
これはもはや予想ではなく確信に近い、ファンたちから人気の高い作品を視聴した上でなお決定打が出ないのだから、おそらく出ないであろう。
まあ元々東映自体が以前も述べたように時代劇にしろ任侠映画にしろ進取の気性を欠いて大量生産を続けていたら、異質の天才にしてやられた過去があるわけだしね。
平成ライダー初期を作っていた時は散々白倉批判が凄まじかったのに、ここ数年やたらに持ち上げられているのもファンの諦めが入っているのではなかろうか。
結局『仮面ライダーの仮面ライダー性』なるものが「画面の運動」として素晴らしいと論証することが出来ないまま、何となく「大人の鑑賞に耐える高尚な文芸作品」として骨董品扱いされてしまっているのがライダーシリーズの現状なのであろうか。
宇野や切通ら白倉一派は必死に擁護してあれこれ批評してるけど、より一層その傾向を助長しているだけだし、そうなると余計に作品としての仮面ライダーからはどんどん遠退いていく。
石ノ森先生の遺志はこうしてどんどん踏み躙られていくのであろう。
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