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ぼくのおじいちゃんは、釣りをすると耳が聞こえるようになる。

物語りは、ウキが沈み、糸が張る瞬間に始まる。
ぼくのおじいちゃんは魚釣りがすきだった。
崖を下り、波の激しい海に釣り糸を垂らす姿は、ものすごくカッコよかった。
釣り糸を垂らし、ウキが沈む。
その瞬間、物語が始まる

この物語は、釣りが大好きなぼくのおじいちゃんのお話。

波の音ーー
ウキが沈む
おじいちゃんがニヤリとする。

おじいちゃんは90になってもチェンソー片手に山の木に立ち向かう、力強い人だ。

夏休み、よくおじいちゃんとお父さんと3人で釣りに行った。

私自身、いつから釣竿を握ったか覚えてはいないが、とても釣りが好きだ。

それは釣り付きのお父さんの影響でもあるし、
釣りに行ったおじいちゃんとのあの熱い思い出があるからでもしれない。

日が出るか出ないかの時間に、軽トラックに釣竿、リール、餌、仕掛け、全てを詰め込んで、
あさが来たぞと言わんばかりにアクセルを踏み、海に向かう。

よく釣りに行っていた場所は、鹿児島の最東端に位置する佐多岬周辺の海で、この辺りは地磯に囲まれたものすごく険しい山々に囲まれた海だった。まだ薄暗い山々を軽トラックで走り、海なんか見えない山の中に車をとめ、そこから崖を下り海を目指すのだ。
おじいちゃんとのお父さんは慣れた手つきで山々を掴み、歩いていく。小学生だった私には到底追いつくことができないのだが、自分のペースで降っていく。ときに足を滑らせて崖に落ちそうになるが、この崖を超えた先に海があると考えると、アドレナリンのようなものがたくさん出て、怖がることなくせっせと崖を降りていくのであった。

山を抜け、海が見えた。
潮風が頬をなぞり、汗で濡れた体は震える。
いわゆる断崖絶壁を、小さい体で少しづつ降りていく。

「ひゅうがくん、大丈夫かい?」
腰を曲げたおじいちゃんが下の方から気にかける。
「大丈夫だよ!おじいちゃんこそ大丈夫?」
耳の聞こえないおじいちゃんはぼくの声が聞こえているかのようにニコッと笑い、胸に手を当てて、ゆっくり、ゆっくりと伝えてくる。

ようやく崖を降り、磯辺から海を見た。
朝日がのぼり、赤く照らされる海は、歓迎するかのように白波を噴き上げ、稲妻のように響く波音を立てていた。
この海はものすごく大きい。

竿にリールをつけ、ガイドに糸を通し、あっという間に仕掛けを作り、バッカンに沖エビとパン粉、海水を混ぜて餌を作る。
おじいちゃんは少し磯辺を歩き、釣りのポイントを探す。
磯は波に削られ、ゴツゴツとした岩で成り立っており、釣り場を探すおじいちゃんが時々見えなくなる。

「ここで、となりげえ(隣の家)の和也がこんなに大きいクロをあげたんよ。今日はこの辺で釣りをすっちょ」
「わかった」

鹿児島弁のおじいちゃんとお父さんの会話は、波の音でかき消される。

荒波が岩にぶつかり、さらしができる。
どうやらそこに魚がいるようで、おじいちゃんとお父さんは、適度な距離を取り、そのポイントを狙う。
餌カゴのついたウキと、2Bほどの赤ウキ、その下一尺ほどの糸の先に針がついた仕掛け。
魚が針についた餌を咥えると、始めのウキが沈み、餌カゴのついたウキまでが沈むと竿を立てて合わせるのがおじいちゃんのやり方で、代々受け継がれている釣り方でもある。

波がたち、うねりにウキが流されそうになると竿を立て、どういう原理かはわからないが、ポイントに仕掛けをキープさせることができる。

そして、その波が岩にあたり、もう一度波が来ようとするとき。

始めのウキが沈んだ…
そして、すぐに餌カゴのついたウキも沈む…!
「よしっ!」
おじいちゃんの腕が上がり、釣竿を立て、合わせる。
竿先が滑らかに湾曲し、糸が走る。
近くで釣りをしているお父さんは仕掛けを巻き上げ、おじいちゃんに近寄る。
「これは大きいぞ!」
興奮しながらお父さんはおじいちゃんを支える。
ぼくも目を光らせて、竿先を見つめる。
波が押し寄せる。
すると急に竿が平行になり、糸がほつれる。
「ああ""…!」
引き上げると針を引きちぎられた無惨な姿の仕掛けがあった。
「これはデカかったなぁ…!!」
悔しそうなおじいちゃんとの父、そしてぼく。
波は押し寄せて足元まできた。

いつのまにか日も高くなり、あの掛け合いから時間が経っていた。
お昼ご飯を食べようと、朝おばあちゃんとお母さんが作ってくれたサンドイッチを広げた。
「じいちゃん!お昼ご飯サンドイッチだけど、今食べる?」
おじいちゃんはにこりと微笑み、ウキに視線を戻す。
おじいちゃんに近寄り、ぼくもウキを見つめながらサンドイッチを食べる。
この海で食べるサンドイッチは格別に美味い。
厚切りされたベーコンと、卵焼き、そしておじいちゃんの畑で取れた分厚いトマトが挟まっている。おじいちゃんにサンドイッチを渡すと、トマトを抜いて、海に投げた。
「トマト嫌いなの?」とおじいちゃんに聞くと、波音激しいはずなのに、
「きらい」
と帰ってきた。少し不思議に思ったが、気にはしなかった。
そして、ウキが沈む。
やっと本命のクロが釣れた。
サイズは15センチほどで、自分の中では今まで釣った魚の中ではいちばんの大きさであったが、おじいちゃんは満足していなかった。
そしてお父さんもクロを釣り上げ、ぼくも代わり代わりで釣って行った。
あっという間に10匹ほど釣れ、お日様は山の方へ帰って行こうとしている。
「そろそろ帰ろうか」
お父さんがおじいちゃんに駆け寄るが、おじいちゃんはまだ物足りないようで、無心に竿を振る。
しかしまだ日はあったが、疲れもあったのか、おじいちゃんも諦め、帰路に着いた。
たくさんのお魚でいっぱいになったカバンを片手に、今度は崖を登っていく。
上りはぼくの方が早くて、おじいちゃんとお父さんは、ゆっくりゆっくり登っていく。
そして軽トラに荷物を乗せて、日が落ちる山道を走っていく。帰り道に、湧き水が流れており、そこで2リットルペットボトル4本分いっぱいいっぱいに水をくみ、ついでに潮風にさらされた釣竿を洗い、帰路に着く。
少し暗くなった帰りに、おばあちゃんが心配していたようで、帰り着くや否や、
「一日中外にいて大変だこと。うんにゃぁ!もぉつかれたでしょ、お風呂に入ってきんしゃい、どれ、たくさん釣れたんねえ!おとうちゃん、つかれたでしょぉ、風呂入ってきんしゃい!!」
と忙しなく叫ぶ。
おじいちゃんは耳が聞こえないから、無言で上着を脱ぎ、五右衛門風呂へ向かい、火を焚き、お湯を沸かし、湯船に浸かる…。

向かいの山に夕陽が沈み、静かな村に5時のチャイムがひびく。
高くを飛ぶカラスも山へ帰り、今日の終わりを教える。猫がお風呂場に寄ってきて、ニャーニャーと鳴く。ニコッと微笑む。

この日常は、その時はものすごく何気なくて、
ゆっくりなものであった。

去年おじいちゃんが亡くなり、そんな日々は思い出となってしまったが、この景色は残していきたいなとそう思いながら、ぼくは魚釣りをするのであった。

ぼくのおじいちゃんは、釣りをすると耳が聞こえるようになる。

おわり

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