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【中越地震から16年】その記憶は「J1アルビ」とリンクする

 2004年10月23日(土)17時56分、北魚沼郡川口町(現長岡市)で震度7を記録した新潟県中越地震(Wiki)が発生しました。全国的なニュースとなったのは、上越新幹線脱線や、山古志村(現長岡市)全村避難、土砂崩れから4日ぶりに幼児救出、といったところでしょうか。
 在住する新発田市は震度4だったようですが、地震をこれだけはっきりと体感したのはこの時が初めてだったと思います。(阪神大震災発生時は2歳でした)

 その後も、何度か余震を体で感じた記憶があります。そもそも、本震が起きる前にこれと似た経験をしていたのです。

 fbではYahoo!ニュース版をシェアしていて、その見出しには予感ではなく「胸騒ぎ」と書いてありました。16年前に感じていたのは後者に近いです。とは言え、それを感じたからといって何かに生かした訳ではないですし、それ以後は一切感じたことがないんですが。

 2004年は新潟にとって大きなニュースが多かったのではないかと思います。12年ぶりの県知事交代が行われたのは、何と震災発生から1日余しか経っていない10月24日深夜で(こればかりはどうしようもないですが…)、梅雨の時期にはこれも中越地方を襲った7・13水害が発生しました。明るい話題で言うと、アルビレックス新潟がJ1リーグで最初のシーズンを戦ったのもこの年だったのです。
 21世紀初頭の新潟は、サッカーどころか「スポーツ不毛の地」と言っても過言でなかったのではないかと思います。高校野球も今は夏に甲子園で1勝することは珍しくなくなりましたが、当時はそれすら望めない時代でした。(県高野連HPによれば、2004年までの10年間で県勢が夏の甲子園で挙げた勝利はわずか「1」) とは言え、1999年の創設からJ2リーグに参戦したアルビはさほど悪い順位ではありませんでした。
 99年4位/10→00年7位/11→01年4位/12→02年3位/12
 ※/の右はチーム数
 むしろ、降格した2018年(16位/22)の方が悪い順位だったほどで(汗
 昇格を決めた前年の2002年には、ワールドカップ日韓共催という大きすぎる出来事がありました。新潟では決勝トーナメント1試合を含む4試合が開催され、あのイングランド代表・ベッカムもビッグスワンのピッチに立ったのです。そのスタジアムは1年前の2001年に完成。J1に昇格するまでの2シーズン半、アルビはスワンと市陸を併用していました。
 新潟市陸上競技場は2万人近くを収容するスタジアムで、屋根はありませんが照明塔と電光掲示板は備えており、現在でも県内第2のスタジアムと言えます。いつからかは分かりませんが、試合開催日にはホームゴール裏のすぐ後ろに立地する新潟市役所分館の壁面にビッグフラッグが掲揚されるようになり、それが一つの名物になっていました。

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引用元:かんちのほーむぺーじ-スタジアム案内(新潟市陸上競技場)

 ホームゲームが市陸のみでの開催だった2000年には観客動員が一試合平均4,000人だったのが、翌年には16,659人を記録しました。スワン1年目にして早々に、42,011人の動員を記録した試合もありました。
 その後の観客動員については、当時サッカーをご覧になっていた方ならよくご存じかと思います。J1昇格を決めた2003年の最終節には42,223人を記録しました。(どうやら実際には…ということだそうですが^^;)

 大声援を背に受けた選手たちは奮闘し、2002年にも昇格一歩手前のところまで達していました。しかし、43節(全44節)にセレッソ大阪に敗れて昇格を逃しました。2003年も決して安泰とは言えない状況でしたが、最終節で首位に浮上し、昇格だけでなくJ2優勝の称号も手に入れたのです。(「2003年J2第43節・最終節」というwikiがあるほどの出来事だったんですね)

 ようやく2004年の話になりますが、開幕戦はアウェーでFC東京に0-1と惜敗。翌週のホーム開幕戦では、当時話題となったトルコ代表イルハンを擁するヴィッセル神戸を無失点に抑えて初の勝ち点1を挙げました。
 ナビスコ杯の初戦を挟んで迎えた4月4日(日)の第3節。アウェーで柏レイソルと対戦したアルビは後半44分の時点で0-1と劣勢でした。しかし、ロスタイムに鈴木慎吾とエジミウソンが立て続けにゴールを挙げて大逆転。J1初勝利を挙げたのです。
 その後なかなか波に乗れないアルビは、1stステージを14位/16(3勝5分け7敗)で終えました。連勝はできず、辛うじて連続試合勝ち点が2度(2~3節と12~14節、どちらも1勝1分け)ありました。(ナビスコ杯は1勝3分け2敗で予選リーグ敗退)
 今思うと何故こんなに中断期間を置けたんだろうかと思うんですが(そこでカップ戦をやっていたとは言え)、1stステージ終了の1ヶ月半後に2ndステージが開幕しました。アルビは中断期間の間に国際親善試合を2試合戦っていました。これは昇格のお祝儀的な感じでスポンサーがついたんでしょうか。相手はボカとバレンシアで、ボカには2-1で辛勝し、バレンシアには5-2と圧勝したのです。相手の長距離移動の影響など考慮すべき要素はあるでしょうが、アルビにとって少なからず自信になったのではないでしょうか。
 2ndステージ序盤は前半戦とさほど変わらぬ星取でしたが、9月23日(木・秋分の日)にようやくJ1ホーム初勝利(3-2広島)を挙げてから息を吹き返したかのように調子を上げたのです。その後はアウェー2連戦でしたが、清水に4-2、大分に3-0で連勝し、これで昇格後の3連勝となりました。
 そして10月17日(日)、第9節を迎えたアルビはホームに鹿島アントラーズを迎えました。その試合前に掲げられたコレオグラフィーが、今回の見出し画像です。こちらのサイトから転載させていただきました。

 この試合はNHK-BS1で生中継され、試合終了間際の後半40分にファビーニョが値千金のゴールを挙げてアルビが1-0で勝利。見事4連勝を達成し、コレオ通りの結果となったのでした。
 この4試合は、鹿島戦を除いた3試合でローカル中継(録画含む)されました。サッカー中継を巡る事情を今と比較するのは酷かもしれませんが、当時はタイミングも含めて恵まれていたなぁと思います。(このシーズンのリーグ戦30試合中14試合が地上波で、4試合がBS1で中継されました。ソースはアルビHPから)

 そして、5連勝の懸かるアウェー戦(vs磐田)を翌日に控えた10月23日に震災が起きました。試合は前節に引き続いてBS1で中継されましたが、すごい奇遇だなぁと思いながら見ていたのを覚えています。試合は1-3で敗れて連勝が止まったものの、オゼアスの一矢報いるゴールがあったとなかったとでは、アルビサポーターや県民の心情は大きく違っていたことでしょう。

 ビッグスワンの駐車場は自衛隊車両で埋め尽くされたと記憶しています。そういった事情も含めた震災の影響で、スワンで開催予定だったリーグ戦と天皇杯計2試合が県外で開催されることになりました。10月30日(土)に予定されていた11節vs柏は11月10日(水)に国立競技場で、天皇杯(4回戦vs湘南)は予定と同じ11月13日(土)に平塚で行われることになったのです。
 そして、震災から4週間後の11月20日(土)。13節vsF東京は予定通りビッグスワンで開催することができました。この日はTeNYテレビ新潟日テレ系)で生中継され、J1初陣で惜敗した相手に4-2と会心の勝利。県民にスワン3連勝という大きなプレゼントをすることができたのでした。

 その3日後、震災からちょうど1ヶ月の11月23日(火・勤労感謝の日)はアウェーで横浜F・マリノスと対戦しました。前掲のアルビHPにはラジオ中継が一切載っていないんですが、この試合はBSNラジオで生中継されました。当時は自主的にラジオを聴く習慣がまだありませんでしたが、アルビは人並みに追いかけていたのでラジオ中継は前年からよく聞いていました。
 その日の中継を聞き始めて驚いたことがありました。なぜなら、BSNではなくニッポン放送の中継陣が喋っていたからです。たしか実況は師岡正雄アナウンサーだったんじゃないかと思います。
 実は当時、可能な限りアルビの試合をビデオに録画していました。それと同様にラジオ中継はカセットテープに録音していて、柏戦と横浜戦のものも残っているのです(ビデオは処分済…)。これを書く前にせめて後者だけでも聴いておこうと一昨日家のラジカセを引っ張り出したんですが、事もあろうにカセットの部分が壊れていることが判明… 何とかして早いうちに聞きたいと思っています。
 記憶が正しければ、番組の序盤にBSNのパーソナリティが「緊急中継」と言っていたはずなのです。震災がなければ中継されない予定だったところを、ニッポン放送が声をかけて中継できるようにしてくれたんじゃないかと今でも想像するんですが、もしそうでなくてもラジオに関する思い出のトップ5に入るくらいこの中継劇は印象に残っています。
 肝心の試合はと言うと、1-1で迎えた後半28分に鈴木が決勝点を挙げてJ1で2度目の連勝を果たすことができました。シュート21本を浴びても1失点に抑えた守備は、この試合の一つのハイライトだったんだろうと思います。
 奇しくもこの日は、1年前に昇格を決めたのとちょうど同じ日付でした。

 その週末に行われたリーグ戦最終節はセレッソに1-2で惜敗。2ndステージは7勝2分け6敗で7位に入り、年間10位でJ1一年目を終えました。
 さらに次の週末、12月4日(土)にはビッグスワンで「中越地震復興支援チャリティーマッチ」が行われました。震災発生からわずか1ヶ月半で行われ、NHK総合で全国生中継されたのです。(試合はスコアレスドロー)
 アルビは震災直後からこのようなスローガンを掲げて戦っていました。

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転載元:キャッシュフロー・チルドレン:スポーツを通じて災害、エイズ、難病、飢えに苦しむ人を救う♪

 詳細には記憶していませんが、アルビの選手たちは積極的に避難所や被災地の学校等に出向いて慰問・交流をやっていたと思います。震災前からも地域活動はやっていましたが(小学生時代、体育の授業にアルビのスクールコーチが来て、プレゼントにサテライトリーグのチケットをもらいました)、震災後は活動が持つ意味合いが一層大きくなったんじゃないでしょうか。
 その後各地で起きた災害に対し、クラブの枠を超えたJリーグ、さらには競技の枠を超えたスポーツ界全体が支援活動に熱心なことは言うまでもありません。

 一方のアルビは、毎年のように主力選手を引き抜かれながらもJ1で14年間奮闘を続けました。この間、一桁順位だったのが4シーズン、最高順位は2013年の7位でした。この年は22節から最終節までホーム7連勝を記録し、18節以降だけの成績で言うと(※この年までは1ステージ制)…

 公式な記録としては当然残っていませんが、新潟が仮想2ndステージで優勝したのです。(残り2節の結果はアルビHPの当該ページでご確認を)
 前年は最終節で奇跡の残留を遂げ、2013年は過去最高成績。何とも波の激しい時期でしたが、今振り返ればいい思い出です(^^;;
 2015~16年は年間15位が続き(15~16年が2ステージ制)、とうとう2017年に17位でJ2降格となってしまいました。J2で3シーズン目を迎えている今季ですが、現時点では昇格ライン(2位)と勝ち点差11の5位です。まだ14試合残っていますので可能性は捨てきれませんが、クラブに対する大きな逆風が吹いているのが気がかりです。

 こういうトラブルはアルビで初めてなのではないかと思います。市民型クラブとして早い時期に成功したと言えるアルビ。J2時代が続いてもメインスポンサーは残り続け、新規スポンサーも獲得しているのは現社長の功績だと言えますが、その社長が大きな失策を犯してしまいました。リーグ戦での好成績とクラブの信頼回復は別の話ではありますが、どちらか一つを選ぶとすれば後者がより重要なのではないかと思います。

 「昔はよかった」と安直に言うつもりはありませんが、改めて歴史を振り返り、大切な原点から学ぶことは有益だと思います。それは、クラブ関係者・サポーター双方に言えることかもしれません。
 危機を通して得られる教訓は他に替え難いものがあると思います。まだ取り返しはつくんでしょうから、地域に根差したクラブづくりを新たな気持ちでやっていってほしいと思います。
(そのためには可能な限り広域でトレーニングマッチ開催とかしてほしいんですが、それに関して言い始めたらキリがないので今回はここまで^^;)

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21.10/19追記
 2005年以降の、10・23直近の戦績を確認してみることにしました。

凡例:西暦の下2桁、日付 勝敗分の区別(アルファベット頭文字)、スコア、対戦チーム、会場、新潟の得点者
スコアへの添付リンク:07年以前はJリーグデータサイト(サテライトL非対応)、08年以降はアルビHP

05:22日 W1-0 横浜FM(東北電ス):エジミウソン
 ※翌日のサテライトリーグ:W2-0東京V五十公野
06:21日 D1-1 清 水(日 本 平)
07:20日 L3-4  川崎F等 々 力):エジ、千代反田充、マルシオ・リシャルデス
 ※翌日のサテライト:D0-0大宮川越
08:26日 L0-1 浦 和(東北電ス)
09:24日 L0-1 神 戸(ホムスタ)
10:23日 D1-1 F東京(味 ス タ):マルシオ
11:23日 W3-1 福 岡(東北電ス):本間勲、チョ・ヨンチョル2
12:20日 D1-1 大 宮(NACK
13:19日 L0-2 F東京(味 ス タ)
  27日 W3-2 湘 南(東北電ス):川又堅碁(ハットトリック)
14:22日 L1-2 清 水(アイスタ):大井健太郎
15:24日 L2-4 名古屋パロ瑞穂):山崎亮平、指宿洋史
16:22日 L1-2 浦 和(デンカS):ラファエル・シルバ
17:21日 D2-2 磐 田(ヤ マ ハ):ホニ、河田篤秀
18:20日 W2-0 京 都(西 京 極):カウエ、戸嶋祥郎
19:19日 L1-2 福 岡(レベスタ):レオナルド
  27日 W3-1 京 都(デンカS):シルビーニョ。レオナルド2
20:21日 D1-1 京 都(デンカS):中島元彦
  25日 D0-0 徳 島鳴門大塚
21:23日 L1-2 秋 田(デンカS):谷口海斗
→10年ぶりの「当日」の公式戦、しかもホームゲームでしたが、現地で観戦したフォロワーさんに確認したところ「黙祷なし」だったとのこと… 極めて残念です。

 これを並べるだけでも結構な時間がかかりましたが^^;、前後の間隔が同じ場合は2試合とも表記し、サテライトリーグの結果も念のため載せました。その結果…
 公式戦:5勝6分け9敗 27得点30失点} ホームは7試合4勝1分け3敗
 サテライト:1勝1分け 2得点0失点
 23日当日:1勝1分け1敗 6得点2失点(サテライト含む)
 という戦績と分かりました。ホームだと分がいいですが、直近がアウェーな年の「直近のホームゲーム」を見てみるとどうなるだろうかと思ってしまいます。時間がないのでやりませんが(^^;; この欄は今後も更新予定です。

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