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僕とヒデヒトくんと野球

僕には小学校の頃、ヒデヒトくんという親友がいました。

新世紀の幕開けとほぼ同じくして発足した小泉内閣が、その圧倒的なカリスマで国民の支持率を総取りしている一方、
アメリカでは世界貿易センタービルやペンタゴンに、ハイジャックされた旅客機が何機も突っ込むという混沌とした年に、
僕らは初めて同じクラスになりました。
3年生の頃でした。
僕は松井稼頭央のファンだったので、西武ライオンズの帽子を被って始業式の日に登校しました。
ヒデヒトくんは、その年から日本人初の野手としてメジャー挑戦したイチローのファンだったので、シアトルマリナーズの帽子を被って登校して来ました。
同じ野球ファンである事、そしてお互い好きな選手が似たような『三拍子揃った選手』だった事もあり、
その日からまるで当然のように、遊ぶ仲になりました。

彼は月曜と木曜に書道教室に通っていて、火・金は水泳教室。
僕は火・金に公文式に通っていたので、放課後遊べる日といえば水曜だけ。
気づけば毎週水曜日は、お互いが好きな野球をする日になりました。

野球が好きとはいえ、二人とも野球部や地域の少年野球チームなどには入っていませんでした。
僕の家の近所にあるすみれ公園に、隣の校区に住んでいるヒデヒトくんが遠路はるばるグローブを持って来て(大人になってみればそんな離れた距離ではないのだけれど)、
二人でただただキャッチボールをしたり、友達が集まって来たら
100均のプラスチックバットとプーカーボール(ゴムボール。僕らが育った那覇ではこういう呼び方でした)で遊ぶ毎日でした。

なぜ野球部に入らなかったかというと、本格的にやるのが二人とも怖かったんです。ふざけながら、遊びでやりたかった。
モノマネをしながら打ったり、
三振じゃなく”六振”というルールでやってみたり、
バット上下逆で打ったら倍点にしてみたり、
二塁と三塁の順番を逆にしてみたり。

部活でやれば当然怒られるようなことばかり。
ひたすら”楽しい”だけで野球をやりたいという、至極明快な考えだったからです。
上手くなりたいとか、活躍してモテたいとかいう感情は微塵も無く、
あくまで僕らにとって野球は「かくれんぼ」や「鬼ごっこ」の延長であり、それを部活にして本格的にやる事は、
「かくれんぼ部」「鬼ごっこ部」「落とし穴作成部」が仮にあったとして、それらに入部する違和感と同じだったのです。

更には、もし野球部に入ろうものなら、
丸刈りという謎の髪型を強制され、
試合中座ってる時間の方が長いのに練習で長時間走らされ、
全員おそろいの服を上下着せられ、
大きな声で宗教みたいに声揃えて挨拶させられ(しかも識別不能の独特の言語で)、
そもそも強制的に練習参加させられ(家帰って漫画を読みたい気分でも家帰って漫画を読んだらダメ)、
ただでさえ月〜金まで朝から学校通ってるっていうのに土日まで出て来て練習させられ。etc…

要するに、とにかく嫌なことだらけで、僕らの中では、野球部に入ってちゃんと野球するという考えは全く芽生えなかったのでした。

ヒデヒトくんを含めた”いつもの10人ぐらい”のメンバーで楽しく井の中で野球をして遊び、飽きたら遊具でSASUKEをしたり、サッカーやゲンペイや6虫といった遊びをする。
そんな毎日がとにかく楽しすぎて、この日々を捨ててまで何か他のことをするという選択肢がそもそも出てこなかったのです。



しかしそんなある日、相変わらず”一本足打法のイチロー”対”アンダースローの野茂”が繰り広げられているすみれ公園の日常が、音を立てて崩れる事件が訪れます。

普段すみれ公園に来ない野球部のカズキくんがやってきたのです。

彼がすみれ公園に来た事など、3歳からほぼ毎日遊んでいた僕に言わせると、片手で数えられるくらいしか無かったのに、です。
そこで、野球をしている僕らに向かってカズキくんは耳を疑う一言を放ちました。

「俺も仲間に入れてよ!」

僕らは一斉に顔を見合わせました。
野球部というのは言い換えれば”本格的にかくれんぼの教育を受けている(自主的に受けに行っている)おかしな集団”なのですから、
全員の顔に(特に僕と、同じ考え方のヒデヒトくんの表情には色濃く)不安の色がよぎりました。
とはいえカズキくんとは学校では普通に友達だったので、勿論一緒に野球に入れてあげることにしました。

そして試合が再開すればいつもの僕らの野球が始まります。

皆を笑わせようとヒデヒトくんが岡島秀樹(当時巨人。キャッチャーを全く見ない独特な投法)をもっと大袈裟にした投げ方をしました。いつもの光景です。

しかし、その刹那。

カズキくんが
「そうじゃない!こうやるのが基本だ!」と言ってしっかりした姿勢の正しい手本の投げ方を見せ、ヒデヒトくんのヒジを掴んだかと思えば
「この角度で、こう持ってきて、ここで腕を振り下ろす!」
「目線はしっかりキャッチャーを見て!」
「軸足はしっかり!」といって”ホンモノノヤキュウ”の指導を始めました。
皆、カズキくんのその姿にとても驚き、動きが固まりました。
全員が『そんなに本格的にやってるわけじゃないのに・・・』と心で呟いたと思います。

僕はというと、いつもカブレラ(当時西武。バットを構える時に背中を大きく反らせる)の真似をするところ、そのカズキくんの指導姿に萎縮してしまい、
モノマネ無し・何の特徴もない”怒られない為の”バッティングをしました。
それでも「左脇はもっとこう締めて!足はこう!」などとたくさん指導されました。
そしておふざけや自由を封印された僕らは、
縛り付けられたガチガチの”ホンモノノヤキュウ”を小一時間させられ、
カズキくんはそんな僕ら相手に(勿論ながら)無双し、ホクホク顔で帰っていったのでした。
なーんにも面白くありませんでした。

「こんなの、ただの野球じゃねえか!」

カズキくんが帰った後、ヒデヒトくんが思わずこぼした、名言とも迷言とも言い難い言葉が今も心に刺さっています。

僕らは二人ともしょんぼりしながら、いつもは道中のローソンで駄菓子を1つずつ買って帰るところを、その日はローソンを通らず少し遠回りして帰りました。



それ以来僕らは、野球部の友達が一緒に野球やろうよと公園に来ても逃げるようになりました。
それでも、普段であれば一人二人規模でのご来園が多く(僕らが公園で遊んでる時間、本来であれば野球部は練習してるのですから。)、ちょっとしたスコール程度の被害で済んでいたのですが、
ある日一度、放課後の練習が休みになったのか、カズキくんが野球部数名を連れて「俺たちと野球対決しようぜ」とすみれ公園にやって来たことがありました。
その時僕とヒデヒトくんは二人でキャッチボールをしていました。

ーーー野球を本格的にやっているバケモノ達が来た。
ーーー遂に、奴らが村を襲いに来た。
そう思いました。
彼らは、僕らが普段住んでいる「遊びの野球」という小さな集落を、「本格的な野球」という巨大な重戦車で好きなだけ蹂躙する、先進国の軍隊のようでした。
マサイ族の昔ながらの村に勝手に押しかけては、「今世界の最先端はこれです」「便利だから使いなよ」と言ってテクノロジーを押し付ける、厚かましい日本のバラエティ番組の縮図を見ているようでした。
「マサイ族はテレビも携帯もガスも電気も無く、不便だろう」「最先端の我々をうらやましがっているだろう」という増長し切った浅はかで独りよがりな図々しさ。
マサイ族からしたら「うるせぇよ!!!好きで暮らしてんだよこっちは!」の極みである、あの感覚。

僕らは必死で彼らから逃げました。山から降りてきた怪物から逃げるように。村を追われた罪人のように。

普段僕らが遊んでいる公園なのに(公園は皆のものなんですが)、よそ者に追われて必死に逃げ続け、
遂には、隣の校区であるヒデヒトくん家の近所にあるさくら公園まで辿り着きました。
その公園は高さ5メートル位の山があり、その山を四方から貫通する形で土管が通っているという特徴的な遊具がある公園でした。
東西南北4つある出入り口の、1つから入れば残り3ヶ所どこからも出られるトンネル、とでも言えばいいでしょうか。
漢字の十です。アルファベットで言えばX。

僕らはその土管のトンネルを使い、”ピッチャーがトンネルの中央(土管が交差する点。ちょうど中心)に入り、四つの出口どこかにボールを転がし、バッターはどこからボールが出てくるか予想して打つ野球”をしました。
ボールの出てくる土管が当たる確率が1/4、そして予想を当てたとしてもそのボールを打てるかどうかはまた別問題。
二人だけなので守備要員はおらず、ボールが出てくる穴を当て、バットでボールを打てれば1点。
ストライク、ボールの概念は無し。5球で攻守交代。

今考えても変な遊びですが、これも僕らにとって何の疑いもなく”野球”であり、
もっと言うと、この精神こそが”野球”だったのです。

泣く程笑って二人で大盛り上がりし、その日の帰り道はローソンでいつもより1つ多く駄菓子を買って帰りました。

(ちなみにそれ以降カズキくんはすみれ公園に現れなくなり、かつての平穏がもたらされました。)


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