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もうだめ人生録② 第一志望の大学に行けず、自分の人生が閉ざされたと思っていた私の間違い

高校3年生の時に大学受験をしました。

センター試験(当時)の結果が悪かったので、私は第一志望の大学に行くことができませんでした。

そしてセンター試験で結果を残せなかったことを、10年くらい引きずって気にしていました。

私の受験勉強

私は国公立大学志望だったので、5教科7科目を勉強しました。

高校2年生の秋ぐらいから塾に行き始めて、塾の自習室とかで勉強をしていました。

ただ私は部活動(吹奏楽)をやっていたので、本格的な受験対策を始めたのは高校3年生の吹奏楽コンクールが終わってからでした。

難関大学を第一志望にして勉強をしていましたが、正直言って成績はあまり伸びませんでした。

センター試験

センター試験の直前は人生で一番勉強した期間でしたが、肝心のセンター試験本番では納得のいく結果は出ませんでした。

センター試験が終わった次の日に学校に行って、1時間目を使って自己採点をする時間がありました。

第一志望の大学はE判定でした。「私の人生は閉ざされた」と思いましたし、クラスメイトにも実際にそう言いました。

自己採点をした後の授業がなぜか体育で、クラスの秀才たちが自己採点の結果と2次試験で受験する大学の名前を笑顔で話し合っていたのを今でもはっきり覚えています(体育の授業内容は忘れました)。

二次試験

第一志望の大学は諦めて、第二志望(私立)と第三志望(国公立)の大学を目指すことにしました。

このとき進路に悩みすぎて、提出期限が過ぎても進路希望調査の紙を提出することができず、先生に1対1で説得されてやっと提出したという経緯があります。

塾の自習室に行って赤本を借りて、第二志望と第三志望の過去問をやることで対策していました。

結果は、第二志望には落ちましたが、第三志望には合格しました。

高校卒業

国公立大学の前期試験を受けた翌日が、高校の卒業式でした。

受験の結果がまだ出ていないので何も落ち着かない状態のまま卒業式に出て、終わった後はクラスメイトや部活で仲の良かった人たちと卒業式アルバムに寄せ書きをしました。

帰ろうとした時、県内で一番の大学を受験した2人組が、「おい○○○大学~」と、私が前期試験で受験した大学の名前で呼んできました。

「おい、学歴で殴るのやめろw」と冗談ぽく返しておきましたが、これからの人生で学歴マウントを受けまくるんかな…と一人で勝手に絶望しました(実際はそんなことありませんでしたが)。

第一志望の大学に行けなくても人生は閉ざされなかった

大学受験ではこんな感じで残念な結果に終わり、「私の人生は閉ざされた」と本気で思っていた私ですが、今振り返ってみると、そんなに悪い結果ではなかったように思います。

一応国公立大学には進むことができたので「勉強を頑張った人」の枠には入ることができましたし、大学で勉強した諸々の内容は社会に出てから意外と役に立つこともありました。

受験生の頃は計算が苦手で数学の点数が伸びなかったのですが、諦めずに頑張ったことで数字への抵抗がなくなり、大人になってからはプログラムを仕事にするようになり基本情報技術者試験にも合格できました。

「第一志望の大学で学ぶ未来」と「望んでいた学歴」は確かに失いましたが、あの頃は自分が失ったものばかりを見ていて、受験を通して自分が手に入れたものに気付いていなかったんだなと痛感しています。

自分の人生を閉ざしていたのは自分自身だった

センター試験の自己採点が終わった後に私が言った「私の人生は閉ざされた」という言葉ですが、今から思うと我ながら全く意味の分からないことを言っているなと思います。

人生を閉ざしていたのは、失ったものばかりを見ている自分の考え方であり、自分で自分の人生を閉ざしていたんだと今なら分かります。

落ち込んだ時、上手くいかない時には、自分が持っているものは何か、自分には何ができるのかを冷静に考えるようになってから、私の人生は上手くいくようになった気がします。

失ったものを数えるより、今自分が持っているものを数える方が、人は絶対幸せになれると思います。