自分のことを大事にしてあげていい。ーパワハラ防止法施行に寄せてー
数日前、Twitterを見ていたらこんなツイートが目に入りました。
「自分は親から、相手を批判して自分の権利を主張する時は『相手が不当なことをしている』という決定的な証拠があるかよく考えよ、と言われた」というような内容でした。(いいね!したと思ってたらできてなかったっていう・・・内容ぼんやりしててアレですが。。)
そのツイートを見て、考えるところがあったので今日はそれについて書きます。
私は思うところあって教育職を離れた、というのももちろんあるのですが「今がやめ時なのかもな」と感じた原因の1つに上司からのパワーハラスメントがありました。
当時2歳だった我が子を保育園に預け、職場復帰したのですが「残業ありき」で動いている現場にとって「短時間勤務をし、定時前に退勤する人間」はあまり歓迎されませんでした。
もちろん私のことを労ってくれる方もいましたが、絶対的な味方になってくれるような人は職場に一人もいなかったように感じてます。
「放課後いないから打ち合わせができない」
「もう少し長く働けないのか」
「みんな我慢してるんだ。休んで申し訳ないと思わないのか?」etc.
とにかく長期にわたっていろいろなことを言われ、
私もはじめのうちは「申し訳ありません」などと言っていましたが、
それがあまりに続くので
『ちょっと待ってよ。なんで私がこんなにペコペコしないといけないわけ?』と感じ始めました。笑
それは、そういう声かけをしてきた上司がどうだ、とかではなく
「育児や介護で短時間しか働けないと言っている人間がペコペコと謝って回らなければいけない職場の仕組みがまずおかしいのではないか」ということです。
育児や介護に限らず、自分のキャパをオーバーしているような状態でも必死に働いている人間をわたしは現場で多く見てきました。
みんなとても優しく優秀な教育者だったように思います。自分のことはさておいて、自分以外のことをいつも見ている人たちでした。
今の教育現場の中では、子どもを育てながら働くことはできない。
そういう思いが確信に変わり、仕事を離れることを決断しました。
現在も完全に割り切れたかと聞かれたらそうでないところもあります。
だけど、「時薬」という言葉もありますから少しゆっくり考えていろんなことを決めようと思います。
その後の詳細は割愛しますが、わたしは然るべきところに上司から受けた言葉の数々を記録したものを記録し、提出しました。
だからといって「やってやったぜ!」みたいな気持ちは一切なく、この文書で少しでも現場にいる人たちが働きやすくなればいいなと思っています。
小さな石を投げても窓を割ることはできませんが、小さな傷一つでもつけられたら。なんなら窓にさえ当たらなくても投げた石というものは存在するわけですから。見えるものとして残しておくことに意味があるのでは、と思い、その記録は仕上げました。
6月1日からパワハラ防止法が施行になりました。
内容をニュースやネットの記事で見てみましたが自分が受けた言葉やされた行為が項目の中にあり、「あ、わたしのされたことやっぱりパワハラなんだなあ」と思いました。ちゃんと「証拠」もあるじゃん。
ちゃんと、もっと、怒っていいんだなあ。
わたしが身を置いていた場所では、自分が批判された時に「傷ついた!」と言葉にすることや自分を守るための権利を行使することが難しかった。
「自分が根性がないからではないか」「みんなもできているのだからできない自分が悪いのだ」と自分を責めて、もう走れないと言っている自分の言葉を聞くことなく「走れ、走れ、みんな走ってるぞ」と、グイグイその背中を押し続けました。ほんと、わたしはがんばってえらかった。
走ることをやめてみると周りにはいろんな人がいました。
そもそも走ってない人や、走りたい時だけ走る人。
歩いている人。お茶飲んでる人。寝てる人。
自分のなりたい人になっていいと思う。
私は今日は田舎から届いたたくさんの野菜でも刻んで
美味しいご飯を作ります。
走らない。周りを見ながらゆったり歩きます。
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