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そしてわたしは魔法使いを目指した

何気ない会話や経験をきっかけに、忘れたはずの記憶が頭の中で一気に溢れ出す———。
「ダムが決壊したかのように」なんてよく例えられるけれど、その感覚を味わうようになったのは大人になってからでした。

今日は、そんなダムの決壊によって思い出した、わたしの幼少期の話をしようと思います。



ダムの結界を引き起こしたのは、両親とのなんでもない会話で生まれた、とある父の言葉でした。
最近のわたしは読書欲に火がつき、就寝前も睡魔に抗えなくなるまで本を読んでいます。そんなことを両親にぽろっと話すと、

「昔みたいに途中で寝落ちして、本に顔を挟まれながら朝を迎えるんじゃないよ(笑)」

と、父が言ったんです。

その瞬間、わたしの頭の中のダムが決壊しました。どどっと記憶が溢れ出し、頭の中はたちまち大洪水です。ダムの決壊によって一気に記憶が駆け巡るとき、どこか怖いような、ザワついた感覚に襲われて、心臓がバクバクするのはわたしだけでしょうか。

目が覚めたらうつ伏せ、ふかふかの枕…ではなく固い本にうずまっている顔、奇跡的にくしゃくしゃになっていないページ(よだれでべたべたになっていないのも奇跡)、開くと自分の顔よりも大きくてずっしりとした、幼少期のわたしを夢中にさせた本———

『ハリー・ポッターとアズカバンの囚人』

なんで『アズカバンの囚人』なんだっけ、というか『ハリー・ポッター』はもともと自分で読んでいなかったはず………そうだ、父に読み聞かせをしてもらっていたんだった、それが毎晩の日課ですごく楽しみだった、それを自分で読むようになったのは、『アズカバンの囚人』が強烈な記憶としてよみがえってくるのは…

映画を観に行ったんだ。

そうだ。父と2人で行った、初めての映画館。それが『アズカバンの囚人』だった。それを機に自分で本を読み始め、父がびっくりするくらいのめり込んだ。本を枕にしてしまうくらい———。

大洪水になった頭の中をかき分けながら進み、特に大事な「忘れ物」を一通り拾い上げると、いったん旨のザワつきが収まります。そうしたら次は、拾い上げた忘れ物の整理整頓です。

父によるハリー・ポッターの読み聞かせが始まったのは、わたしが幼稚園の年長の頃だったと思います。
なぜ父がハリー・ポッターを選んだのかはわかりません。ベッドで仰向けに寝転がりながら、本を顔の上に持ってきて読んでいる父を見て、「大きくて分厚くて重たい本を、ずっと持っているのは大変そうだなぁ」と、幼いながらに心配したのを覚えています。

実際、睡魔に勝てなくなった父は何度か、本を顔を上に落としていました。普通に痛そうだったので、「天井から本を吊るせたらいいのにね」「もっと軽い本が発売されるといいのにね」などと言ったこともあったような気がします。

でも、「読み聞かせをやめてもいいよ」とは言いませんでした。寝る前の読み聞かせの時間が一日の中での一番の楽しみ、といっても過言ではないほど、わたしは父の読み聞かせとハリー・ポッターの世界が大好きだったんです。

小学校に入学して間もない頃、父がわたしに言いました。

「今度ハリー・ポッターが映画館でやるから、お父さんと一緒に観に行こうか」

はじめての映画館と大好きなハリー・ポッター。それだけで胸が躍りました。「周りの友達は映画館にポケモンを観に行く中、わたしはお父さんとハリー・ポッターを観に行くんだ!」とちょっぴりオトナになった気分でルンルンだったことも覚えています。

そして待ちに待った当日。大興奮で映画館に足を踏み入れ、ポップコーンを抱えながら、大きなスクリーンで観たのが『アズカバンの囚人』でした。

映画を観ているときの記憶は、すごく鮮明によみがえってきます。

ハリーたちは思っていたより大人だった。
想像以上にパンッパンに膨らんだマージおばさん。風船ガムみたい。
ディメンター怖すぎ。泣きそうになったけれど我慢我慢。
バックビークに乗って空を飛びたい!お家の庭でなら飼えるかな…。
わたしもペットと一緒に学校行きたいなぁ。
動物もどきになれたらどんなことができるだろう(悪い顔)。
シリウス!!!大好き!!!

ずっと頭の中で思い描いていたハリー・ポッターの世界が、映像となって目の前に広がって、すごくすごく感動しました。「感動」を体感したのはこのときがはじめてだったかもしれません。

帰りの車の中では、父が相槌を打つ隙もないほどしゃべりっぱなしだったそうです。そして父が疲れて眠ってしまった後は、その攻撃の雨が母に降り注いだみたいです…(ごめんなさい)。

その日をきっかけにわたしは「自分で読む!」と父の読み聞かせから卒業し、辞書を片手に、わからないことは父に聞きながら『アズカバンの囚人』を読み進めていったようです(父はちょっと寂しかったらしい)。僅かではありますが、小学1年生の途中から、7歳にしてはちょっと重くて大きな本を抱えながら、毎日学校に通っていた記憶があります。学校の休み時間も、下校中も(コラッ!)、家に帰ってからも、ご飯の後も、寝る前も、ずーっとハリー・ポッターの世界にどっぷりでした。

そして無事に沼から抜け出せなくなったわたしは、本に顔をうずめて朝を迎えるという、勉強に疲れた受験生のようなことを、小学1年生にして何度も経験することになったのです。

『アズカバンの囚人』を読み終えた頃には「ホグワーツへ行きたい!」という気持ちが爆発し、『賢者の石』から再履修。物語に出てきた魔法はもちろん全部ノートに書き写します。リコーダーを掃除するための棒を杖代わりにして、覚えた魔法を必死に練習。目指せ!ハーマイオニー!!!

そんな日々は11歳の誕生日まで続きます。

11歳の誕生日、ホグワーツからの入学許可証を脚にくくりつけたフクロウ便はどんなに待っても現れなくて、すごく落ち込みました。このときのことを両親に聞くと、「何をやっても元気にならなくて本当に大変だったんだから!」と、昔の苦労話の一つとして話してくれます。

こうして、わたしの魔法使いへの道のりは終わりを迎えました。


わたしにとってハリー・ポッターシリーズは、大人になった今でも、原作や映画を通して定期的にその世界に飛び込むくらい、大好きで思い出深い作品です。ハリー・ポッターの20周年を記念した『Return to Hogwarts』は、何度観ても胸がいっぱいになって泣いてしまいます。

こんな素敵な世界に通じる扉を開いてくれたのは、他でもないわたしの父です。父が毎晩の読み聞かせにハリー・ポッターを選んでいなかったら、あの幼少期の思い出も、感動も、熱も、味わうことなく大人になっていたんだろうと思います。

次に父と話すときは、ハリー・ポッターを読み聞かせの作品に選んだ理由を聞いてみようかな。

そのときまで…「いたずら完了!」

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