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子に『美田』を遺すな

『子孫に美田をのこさず』(西郷どん)


どーーーーーん!


30才前後に一度は考える

7年程前。

30才の誕生日を迎え、俺はこのままでいいのだろうかと悩んだ。

田舎の零細企業の跡取り婿という、超絶ブラックな、黒過ぎてむしろ鈍い光を放ち始めた職場環境。


自分の思い通りには決してならない経営方針。


にも関わらず、責任ばかりが、重くのしかかる。


それなりの報酬を得ていれば、幾分マシだったかもしれない。


だが、新卒で入社以来7年、22万5千円の給与は上がらない。


代表者になっても、変わらなかった。


報酬を上げて欲しければ、結果を出せと言わる。


結果を出そうと様々挑戦するが、どの提案も『音楽性の違い』で却下される。


一体、どうやってモチベーションを保てと言うのだろう。


そんな思いを、人生経験豊富な年配の経営者に聞いて頂いた。


今後のキャリアプランを考える重要な相談だと思い、妻も同席させた。


仕事観が変わった厳しい指摘


一通り事情を聞いた年配経営者は、冒頭の言葉を教えてくれた。


『子に美田(財産)を遺すと、子のためにならない。ろくなことにならない。という教訓だが、視点を変えて、子の側から考えてみよう。』


『そんなにオヤジさんのやり方が気に入らないのなら、自分の力で新しい田んぼを切り開けばいい。君にはオヤジさんの仕事や方針を批評できるだけの力があるんだろ?』


『だったら、好きなようにやれる環境に飛びだせばいいじゃないか。』


『親や上司がどうのこうのと言っている内は、君自身が経営者として3流、4流ということじゃないかな?』



m(_ _)m

(・_・)

「記事の途中ですが、ここでニュース速報をお伝えします。」


アマチュアnote家の座右の銘太郎さんが、ショックのあまり気絶しました。

ご家族によりますと、座右の銘太郎さんは、

「昔の思い出を記事にしようとnoteに書き殴っていたところ、何者かに鈍器で頭を殴られた」とのことです。


(・_・)

m(_ _)m

〜ニュース速報おわり〜




m(_ _)m

(・_・)

「続報です。」

アマチュアnote家の座右の銘太郎さんですが、気絶の原因は、昔の思い出にぶん殴られたことが原因と判明しました。

noteに思い出を書き殴りながら、記事に殴り返されるなんて、noteって素敵ですね♡


(・_・)

m(_ _)m

〜ニュース続報おわり〜


自分自身が経営者だという自覚

当時、お婿に来て7年。

代取になって1年。

良いシステムを作ろう。

良い取り立てができるようになろう。

良い営業ができるようになろう。

良い婿になろう。

良い跡取りになろう。

そして家業を守ろう。


そんな想いを膨らませながら仕事に向き合っていた。


商談で出す名刺には『代表取締役社長』と書いてあるのに、『会長に確認します』としか答えられない。


「あなた代表権あるんですよね?なんのための代表なんですか?」


なんて、何度も言われた。


いっそ、『営業主任』という肩書に変えてしまおうかと思った。


でも、『君は経営者なんだよね?』という問いかけに、『そうか、僕は経営者だったんだ!』と、自覚を促された。


そうだ。

こんな吹けば飛ぶような地方の零細企業の跡取りに納まるのではなくて


『力のある経営者になりたい』


『一流の経営者に成長したい』


そんな決意と誓いを固めることができた。


志が大きくなると道が拓ける

新たな決意と志で打ち込むと、仕事に対する向き合い方が変わった。


事前相談はすべて却下されるので、


『自分の責任が取れる範囲で事後報告にしちゃおう』


どうせ、右向いても、左向いても却下されるんだから。


後になって、『なんで事前に相談しなかったんだ!』と怒られる度に、『でも利益は増えているので結果オーライですよね?』って言い返せるようになった。


そのうちに、自分で起業したい気持ちが高まっていった。


司法書士に依頼するお金が無かったので、法人の設立方法の手引書を買って、自分で登記をした。


最初のお取引先は、本業のご縁で顧客管理システムを手掛けさせて頂いた。


そこでとても喜んで頂き、次々同業者をご紹介頂いた。


とても不思議な感覚だった。


長年、環境を恨み、環境のせいにして、いじけた心で仕事をしていた間は、自分の可能性が拓ける手応えなんて全く感じなかった。


自分で自分の人生に背を向けていたから、人生が私にそっぽを向いてしまっていたのだ。


志が大きくなった途端に、ご縁がどんどん拡がっていった。


自分の人生のベクトルが、思っても見なかった方向に動いていった。


受け身の心からの卒業

遺産を当てにしようと思ったことは決してない。


だが、所詮『人のふんどしで相撲を取っていた』のだ。


義父の努力で築かれた土俵に乗らせてもらっていただけなのに、その土俵が狭いだのと文句や愚痴を言っていた。

そんな自分の幼さ、拙さ、愚かさを、乗り越えたいと思った。


まさか、家族経営の会社を捨てて飛び出すことになるなんて想像していなかったが、自分の夢を本業にして、思い切って挑戦する舞台を手に入れることができた。


その舞台は、言い訳とか、愚痴なんて、無意味で、時間の無駄になってしまう世界だった。


創業者一族のせいになんてできない、真剣勝負の世界。


私の夢は、まだまだ始まったばかりだ。



2019年12月17日

座右の銘は不撓不屈

座右の銘太郎



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