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教員になりたい人へ伝えたいこと

Hundreds Colorsです。
今回のキーワードは「学校の本質的な役割」。
コロナウイルスの影響で、大人だけではなく子どもたちの行動にも制限がでた。
毎日、通って当たり前の学校がずいぶん遠い存在になったことだ。
家の近くにあっても、登校できない。
学校で待っていてくれるはずの教員ですら、クラスで会うはずの子どもたちと楽しい時間を過ごせなくなった。
時が止まったような時に、学校の本質を少しだけ考えはじめてみるのもいいと思いませんか?

登校できない学校向き合う教員の使命感

日本中で緊急事態宣言が出たので、学校にとっての主役である子どもたちは登校できなくなった。
しかし、教員の多くは通常出勤だ。(汗)
夏休みでもないのに、緊急事態宣言下では学校が「大人だけの時間」になってしまうのは不思議な感覚だと思う。

6月から7月は公立学校にとっての教員採用試験季節である。
教員採用試験の2次試験に行くと、大抵「どうして〇〇学校の教員になろうと思ったのですか?」と言う基本的な質問がある。
コロナウイルスを経験した教員志望者は、どう考えるのだろうか?
人間の社会生活自体が停止する経験は、誰にとっても初めてだから誰もが納得する正解はない。

現職の教員の中には、自らオンラインで子どもたちに考えさせるような発信をはじめた素敵な方がたくさんいる。
一言で言うならば、「使命感」なのだと思う。

そこで、思い出す一文がある。

教育は、人格の完成を目指し、平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。

これは、日本の教育基本法第1条に書いてある「教育の目的」だ。

日本の教育について、方法論レベルで揶揄されることはいろいろある。
日本以外の国と比較すると、教育内容の違いは確かにある。
理解できるところもあるが、その論調の多くが批評家としての他人事に聞こえてしまうのが残念だ。
日本の教育について最上位に位置する法律である教育基本法に基づいて、全ての教育活動は行われているのにもかかわらず・・・。

そうは言っても、学校教員になろうとする時、心の反対側で塾の先生と言う選択肢は浮かばなかっただろうか?

教員になる前に問い直してみませんか?

教員養成課程のどこかの科目の中で、「学校は社会の縮図である」と言う話を聞いたことがないだろうか?

学校が社会の縮図であるならば、教員の役割は何かを自分なりに自覚してから教員になってほしい。(教員を志望する人は自覚していると思います)

考えて欲しいのは、教員が持つ時間軸の長さと影響力だ。

未来を作る仕事はたくさんがあるが、私は教育くらいが「その教員が死んでも伝えたことが次世代の頭の中で生き続ける力を持っている」のだと思う。

実は、企業における人材育成でも似たようなことが言える。

教員の仕事は、子どもたちの「人格の完成を目指している」のだから、教科書に書いてあることを楽しく教えることではない。教科書はあくまでも、その手段であり、各教科から構成されるカリキュラムは心身ともに健全な人を育てるための羅針盤でありメニュー表のようなものだ。

そして、子どもたちにとって、学校の教員は家族以外で最初に社会性を学ぶ最初の大人である。それぞれの発達段階で出会う大人の姿勢をよく見ているものだ。
学校の役割の1つには、子どもたちが大人を信じられて、社会を信じられる関係性を作ることなのだと思う。

さらに、学校は企業とは違って、資本主義の世界には存在していない。企業と比較して、社会の中で学校は比較的中立的な場所に位置している。
今後、これが大きな価値を持ち始めると思っている。
株主資本主義にありがちなように、学校は毎年の成長率や配当を求められることはない。
学校は、本来の使命である教育基本法に沿って、純粋に教育活動をすることが認められているのだ。つまり、大義名分に対してストレートにいることができる稀有な存在なのだ。

✴️教育活動を通じて、どのような社会のメンバーを作りたいですか?
✴️そのメンバーが集まった時、一緒に仕事をしたくなる人って、どんな人ですか?

教員と学び直しの関係

そして、教員は教育基本法によって、「学び直し続ける(研鑽)こと」が法律で保証されているずいぶん珍しい職業なのだ。
教員のほか、法律で研鑽が認められているのは医師(*)と弁護士(*)くらいなのだ。
*医師法と弁護士ほうに自己研鑽の記述がある。

ここまで考えてみると、教員になろうとする人は「子どもたちが大人になった時、自分と社会を形成する人間として、どんな人になっていてほしいか?」を言語化しておくことが重要になると感じていただけるであろうか?

学校は社会の縮図であると思うし、教育は「未来の他者と対話をするようなもの」なのではないだろうか?
当たり前だが、子どもたちはすぐに成長して、私たちと一緒に社会を作る人になる。

社会を作っている大人を信頼できる人材を育成するとともに、「学び続けている大人の姿」は家庭だけではなく、学び続ける教員が作り出せるものではないでしょうか?

コロナウイルスを巡って日本の教育についてすべき議論は沢山ある。
最近の書籍だと安宅和人さんのシンニホンが名著だと思っている。
いろいろな議論の土台として、次の世代が今の世代を信頼できる関係作りが、学校の役割として大切なのだと思う。


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