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パワーハラスメントを解決するには(その3)~パワーハラスメントについて考える(その7)

パワーハラスメントの解決について考えれば考えるほど、その困難さにぶち当たります。このシリーズの最後に、まだ実践してみたことはないが、こんなことができれば、パワーハラスメントの解決に一歩近づくのではないかという案を書いて、終わりにしたいと思います。

パワーハラスメントが起きる三つの条件

わたしの考えでは、パワーハラスメントは、強い立場と弱い立場があり(条件1)、両者の間に深い心の溝(気持ちや思いのズレや断絶)がある(条件2)場合に、強い立場の者が自分の持っている力を使って、相手を自分の思いに従わせようとした(条件3)時に起きます。理屈からすれば、パワーハラスメントを起こさないためには、また起きてしまったパワーハラスメントを少しでも解決(解消)に向かわせるには、この三つの条件のうちの、少なくとも一つを消すか弱めればよいということになります。

パワーハラスメントの解決のむずかしさ

職場でのパワーハラスメントであれば、(条件1)をなくすことは、むずかしいでしょう。また、(条件3)の工夫としては、例えば「アサーション」とか「アンガーマネジメント」等が考えられますが、このような手法は、あくまで発熱した時の解熱剤のようなもので、一時的に熱は下がっても、問題の解決にはなりません。

残るのは(条件2)だけです。これまでわたしが職場などでしてきたことは、第三者として「被害者」と「加害者」の間に入って、両方からその思いを聴き、双方にそれぞれ話をして、自分の考え方や行動の仕方を変えようかと思ってもらうことでした。しかし、そのようなことは、実際にはきわめてむずかしいことです。ひと言で言えば、わたしは「被害者」と「加害者」の思いを理解し、それぞれをなんとか「説得」しようとして、それに失敗してきたのです

(条件2)をなくすための方法としての「対話」

今、わたしは別のやり方ができないかと考えています。つまり、相手を説得しようとしないような「話し合い」、「対話(ダイアローグ)」です。具体的には、「ワールド・カフェ」とか「オープンダイアローグ」と呼ばれる「話し合い」、「対話」に近いものができたらなあと思います。職場においては「ワールド・カフェ」のような「話し合い」は、主に、パワーハラスメントの防止のために、「オープンダイアローグ」のような「話し合い」、「対話」は、実際に起きてしまったパワーハラスメントの解消に役立つのではないかと考えています。

「話し合い」と聞いただけで、パワーハラスメントの解決に当たったことのある方は、「馬鹿言っちゃいけない、パワーハラスメントが起きている時に、被害者と加害者が直接話し合えば、けんかにしかならないじゃないか」と思われるでしょう。「そもそも、どちらも話し合いの席につくことを拒否するよ。相手の顔を見るのも嫌だと言うんだからね」と。そのとおりです。話し合って解決するくらいなら、とっくに解決しているでしょう。しかし、わたしがイメージしている「話し合い」、「対話」は、そういう従来の話し合いとはだいぶ性質が違います

結論を目指さない「対話」

ワールド・カフェとオープンダイアローグについて、ここで詳しい説明はできませんが、両者に共通することは、どちらも「結論(意見の一致)を目指さない話し合い(対話)」であることです。結論を目指さないということは、相手を説得する必要がないということです。つまり、自分の意見や感じていることを「正しいこと」として、相手に認めさせる必要がないということです。この点は、きわめて重要です。

オープンダイアローグとは

オープンダイアローグは、もともと1980年代にフィンランドのケロプダス病院で始まった精神医療の手法、思想ですが、この手法はそれ以外の、人間関係のトラブルや人権侵害(たとえばパワーハラスメントや児童虐待等)の解決にも役立てることができると思います。

オープンダイアローグの大前提は、対話に参加する人に上下関係はない、全員が対等の人として参加するということです。対話の中では、「聞く」と「話す」をしっかり分けて、人が話している時は「聞く」ことに集中し、口をはさんだりしないことがルールです。そして、もっとも人を驚かせる点は、この対話は、「解決(改善)を目指さない」ということです。この対話の唯一の目的は、「対話の継続」なのです。オープンダイアローグはすでに、統合失調症などに対して顕著な改善の成果を挙げていますが、あくまで「改善」は、「対話の継続」の副産物であり、おまけなのです。ここに重要な発想の転換があります。

オープンダイアローグの具体的な方法

オープンダイアローグの参加者は、クライアント側(精神医療であれば、患者や家族、支援者など。パワーハラスメントであれば、加害者と被害者と同じ職場の人たちなど)とスタッフ側(精神医療では医者や看護師、カウンセラーなど。パワーハラスメントであれば、当事者の関係調整を図る人たち)のふたつから構成されます。スタッフ側のひとりが進行役(ファシリテーター)を行い、まず「ここ(この対話の場)へ来たいきさつは何ですか」とか、「この場にどんなことを期待しますか」というような「開かれた質問(「はい」や「いいえ」で答えられない質問)をし、それについて、クライアント側の人たち全員に話をしてもらうところから対話が始まります。参加者の話に対して、進行役は必要に応じてさらに開かれた質問をし、対話を進めていきます。

対話がある程度進んだところで、「リフレクティング」を始めます。それまでクライアント側を見て、話を聞いていたスタッフ側は、ここでイスの向きを変えて丸くなり、まるでクライアント側の人たちがそこにいないような雰囲気で、今、自分たちが聞いたことについて、感じたこと、考えたことを次々に話します(否定的、批判的な意見、感想はできるだけ避けます)。その様子をクライアント側に人たちに見聞きしてもらいます。このスタッフ側の対話は、あくまで自分の感想や考えを次々に提示していくだけで、スタッフ側の意見の調整をしたり、方針をまとめたりはしません。「リフレクティング」が終わったところで、スタッフ側はまたクライアント側の方に向き直り、今の自分たちの対話を聞いてどんなことを感じたかを話してもらいます。このような「クライアント側の対話」と「リフレクティング(スタッフ側の対話)」を何回か繰り返し、60分から90分で1回のオープンダイアローグは終わります。もちろんこの会としての結論は出しません。最後にクライアント側の人たちに、今回のオープンダイアローグについてチェック表で評価をしてもらい、次回の予定を決めて終わりです。

なぜ「対話」が解決につながるか

ここまで読まれて、「えっ、そんなことして何の役に立つの。これからどうすべきかの結論も出さないで」と思われる方も多いと思います。しかし、これが実際に何回か実施できれば、パワーハラスメントの状況は相当改善されると思います。実は、オープンダイアローグによる副産物としての「改善」は、オープンダイアローグの最中ではなく、オープンダイアローグとオープンダイアローグの間に起きることが多いのです。ここに考えるべき点があります。

オープンダイアローグがなぜ精神医療等で効果をあげることができるのでしょうか。確かに、心の底に溜まっていた恨みや苦しみを、言葉にして話し、それを否定されたりせずに真剣に聞いてもらうことができただけでも、ストレスを減らす効果はあります。しかし、パワーハラスメントの場合であれば、「被害者」と「加害者」にとって一番重要なことは、オープンダイアローグの中で、相手が「どう感じて、ああいうことをしているのか(しないのか)」を「知る」ことができる点ではないかと思います。これが、「被害者」と「加害者」の間にできてしまった「心の溝」を埋める働きをするのではないでしょぅか。さらに、「被害者」と「加害者」以外のクライアント側の人たちや、第三者であるスタッフ側の人たちが、(評価やアドバイスはなしで)その感じたことや考えたことを、それぞれ語っているのを直に聞いて、自分がどういうふうにほかの人にとらえられているのかを「知る」ことができるということも、重要な意味を持つような気がします。

他者が自分とは違う人であることを「知る」こと

ここでいう「知る」ということは、共感したり、同情したりすることとは違います。むしろ、ここでの「知る」はその逆で、あの人はわたしとは決定的に違う人なのだと「知る」ことなのです「知る」ということは、自分とは違う感じ方や考え方をする人が、現にそこにいる(存在している)ことを受け入れるということです。オープンダイアローグは、通常の会話などではきわめてむずかしいこのようなことを、実現しやすくする工夫があちこちにされています。

オープンダイアローグは、対話の中でハーモニー(和声、調和)を目指さず、ポリフォニー(多声)を目指すということが言われます。「他者を理解する」とは、共感したり同情したりすることではなく、他者が自分とは違う人であることを「知り」、それを事実として「認める」ということです。その人が、自分と違う考え方や感じ方や行動の仕方をする人として、現にそこにいることを認める(受け入れる)ことです。そして、人権尊重とは、無条件で、その人の「存在(そこにそう生きているということ)」を認める(受け入れる)ことです。「結論を目指さない対話(オープンダイアローグ)」だけが、たぶんそのような「知る」ことを可能にします。

オープンダイアローグの実現のむずかしさ

パワーハラスメントが実際に起きようとしている(起きている)職場で、オープンダイアローグにもとづいた「話し合い」、「対話」を、行うことはできるでしょうか。できるならば、わたしはそのような取り組みに参加したいと思っています。

しかし、そのような取り組みの実現は、きわめてむずかしいでしょう。そのような取り組みの必要性を、職場で理解してもらうこと自体がきわめて困難です。

それでもわたしはあきらめたくはありません。パワーハラスメントの解決のむずかしさは、人権問題の解決のむずかしさに他ならないと思うからです。

終わりに

オープンダイアローグに関心を持たれた方は、次のようなものをご覧になるとよいと思います。

 『オープンダイアローグ対話実践のガイドライン(第1版)』(オープンダイアローグ・ネットワーク・ジャパン作成)

ネットで「オープンダイアローグ対話実践のガイドライン」と検索すれば、PDF形式のものをすぐに見ることができます。

2 『まんが やってみたくなる オープンダイアローグ』(解説:斎藤環、まんが:水谷緑、医学書院)

とてもわかりやすい本です。最初に読む本として、おすすめします。

3 『開かれた対話と未来 今この瞬間に他者を思いやる』(ヤーコ・セイックラ、トム・アーンキル著、斎藤環監訳、医学書院)

オープンダイアローグと未来語りダイアローグの創始者たちが書いたものです。ぶ厚い本ですし、翻訳書であるため、斎藤環さんが書いた「日本語版解説」を読んでからでないとわかりにくいところも多いのですが、さまざまな意味で読みごたえがあります。ミハエル・バフチンの「ポリフォニック(多声的)な生」についての説明も出てきます(27ページ)。

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