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営業は欲しいものを欲しいと言う練習

望まない就職の一寸先にあったのは、目眩く営業の日々だった。

一流企業とか就職した同級生たちが半年間とかの長く贅沢な新人研修で同期と親睦を深めたり、なんなら恋とかしていた間、わたしは目先の売り上げのために1日3-5件の新規アポ獲得を目標に見ず知らずの会社に電話をかけまくる日々を送った。直属の上司はNTTより安い電話回線の法人営業マンだった人で、ドットコムバブルを機にIT起業してなんらかのネットサービスを始めたけれど成功しなかった結果、わたしの上司に流れついた。

新卒入社したITベンチャーはゴリゴリの営業会社だった

社長及び部長クラスの上司の多くがリクルート出身者で、通称”ビル倒し”を経験しておられる世代の方々。社長たちはサイバーエージェントの藤田晋氏を藤田くんと呼び、当時のオン・ザ・エッヂの社長であった堀江貴文氏を堀江くんと呼び、会社は東証マザーズに上場したアドテクのITベンチャーで、ゴリゴリの営業会社だった。

なお、当時のインターネット広告業界はまだ黎明期で、わたしがバナー広告を売りまくっていた2年弱の間に、ソフトバンクがYahoo!BBを、googleがadwords(検索連動型広告サービス)をリリースした。プロバイダー各社はISDNからADSLへの乗り換えをプロモートしていて、通信速度8GBとか12GBとか謳っていた。あ!違う違う。ギガじゃなくてメガだった。我が社のネットワーク型メディアの月間PV数は1億PVで、Yahoo!と同等というのがセールスポイントだった。ちなみに現在のYahoo!は810億PV。20年で810倍になったのであるが、そうなる前の世界でバナー広告を売っていたわけです。

創業者で会長だった青い目のニュージーランド人の2回目の結婚パーティには、GMOインターネットの創業者で代表取締役会長兼社長の熊谷正寿氏が参加しておられた。わたしはその時、GMOに大型提案を仕掛けている最中だった。だから、パーティの場で熊谷氏から直接の営業相手だった取締役氏へ(うちの会社への)発注GOサインを取り付けるために、手土産を用意してパーティへと向かったのだった。もちろん、そんな熟れた営業手法を21歳のコムスメが思いつくはずはなく、手練れ営業マンである上司&元リク社長のアドバイスに従った。そして無事に受注し、GMOはわたしのお客さんになった。

はっきり言って、バナー広告の新規開拓・直販営業なんて全然やりたい仕事じゃなかったので憧れとか理想とか偶像とかこだわりとか全くなく、とにかく言われた通り、教わった通りにやった。そうしたら、入社3Q目でトップセールスになれた。それも、上司から君ならできるから目指せと言われたから。それから1年間トップセールスを続けた頃に、元リク社長が辞め、育ててくれた上司も辞め、面白い先輩だった人も辞めてしまったので、「もういいか。」とリクルートにリベンジ転職したという顛末です。

ひるまずに本音を言え

こうして振り返ると、生き馬の目を抜くような世界で自分なりにひと暴れさせてもらったと誇らしくもあるけれど、当時はいつもノルマ未達に怯えている自分が本当にみじめで、出勤の道すがら堪えきれずに泣き出したことも一度や二度ではない。同じ上司の下に配属された同期もしょっちゅう泣いていた。シンプルに、そう簡単には売れないものを「売ってこい」と言われ、ノルマを課されて数字だけで評価されるのは辛いことだ。もう2度と、あんな立場には立たされたくない。だけど、とても大切なことを教わったのも事実だと思う。

受注が欲しいとはっきり本音を言う。
いくら欲しいと具体的に言う。
そのために、相手の懐具合や欲しがっているものを突き止めて用意する。
上記を、実際に、やる。

相手がどんな小さな会社でも、大企業であっても、ひるまずにやったら、結果が出る。そのことを、これでもかと体験させてもらった。

直属の上司は本当にまったくひるまない人だったので、はじめにまず「住宅メーカーを攻めよう」と言われたとおりに電話をかけまくり、最終的にパナホームから初受注した。次に「金融サービスを攻めよう」と言われたとおりに電話をかけまくり、三菱商事の非鉄金属事業部から金の投資サービスの広告を受注した。三菱商事の受付嬢の髪の毛が、いつだってアホ毛1本立っていない完璧な仕上がりだったことに感心していた。いったいどこから連れてくるんだろう?と思う、まつ毛や爪の先まで完璧に仕上がった美人が受付にずらりと3人並んでいて、「なんだろうこの貴族な別世界は」と目を見張っていた。お話がだいぶ脱線しましたけれども。

手段はなんでもあり

そうやって暇さえあれば電話をかけまくる日々を過ごしていたある日、何かのリストをまた上から順番にひたすらつぶしていたら、電話に出た人が「あ、バリュークリックさん。ももちゃん元気?」と元リク社長をちゃんづけで呼んだ。それがGMOの取締役氏だった。引いたと思った。社長からいつも「ここぞという時には社長を使え。」と言われていたので、「ここだ」と思って社長および青い目の会長カードを切り、営業を始めた。初訪問の日、会社の地下に停めてあった社長の車高の低いBMWで本郷三丁目から渋谷のセルリアンタワーに向かった。途中で給油したガソリンはハイオクで、バブリーだなあと思った。それが、結婚パーティ受注への第一歩だった。

車の中で、いろんな意味で圧だらけの状況にビビりながら社長と会話した。ワクワクしてるか?と社長は訊いた。わたしは「いえ、ワクワクはしてません」と答えた。「なんでだ?」と社長。「プレッシャーが、、、」とわたし。
「プレッシャーっていうのは期待されてるってことだろう。おれはそれでなぜワクワクしないのかぜんぜんわからない」
社長の金言で短い会話は終わったが、この人は大きな存在だと思ったのを覚えている。

仕事は、ある日かける1本の電話から大きく広がることがある。
チャンスはどこに転がっているかわからない。
成功を導く手段や道のりは時に想像を超えてくる。
つまり、なんだっていい。

これも、目眩く営業の日々を通して学んだことです。

とにかく数字が欲しい。達成したい。というのが、全ての営業マンの本音ではないかと思う。就活失敗してプライドずたずたのわたしには、この本音以外に守るものはなかった。だから、ガツガツしてかっこ悪いとかスマートじゃないとか思われてもどうでもいいと思って、「誰かやる?」と上司からふってきた案件には全部手を挙げていたし、誰かから引き継いだ案件は大きくできないか考えた。

今は、こういう営業をしないでも仕事がやってきてくれる。ありがたいことだ。このありがたい状況の根底には、「相手のことも考えた本音かつ具体的な欲しいものは、時に想像を超えたルートで手に入る」という自分と世の中への信頼があるのかもしれない。働き始めて一番はじめにさせてもらった営業の実体験を通してこうした信頼を持てたことは、20年の時を経た今うまくいっていることと大きく関係していると思う。




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