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メタ社会学的対話 [2/5] -- 「入門」の一歩先へ

1. 「社会学」「人間」「自分自身」
2. 人間の「原罪」(←本稿)
3. 社会学の〈原罪〉
4. 社会学者の実存
5. 「原罪」と実存

人間の「原罪」

―― 「人間の根幹」か。ずいぶん哲学的なテーマだ。

―― お察しの通り、哲学だね。

―― 哲学には自信がないけど大丈夫かい?

―― 仮に、すでに築き上げられた「哲学体系」に縁がなくても、思考を深める運動としての「哲学」は可能なはずだ。

―― 君がそう言うなら、付き合ってみようか。

―― じゃあ、まず、虹の色はいくつだと思う?

―― 僕は日本人だから、7色だ。

―― 穿った答えだね。お察しの通り、言語圏や文化圏によって、虹の色は数を変える。アメリカだと6色、ドイツだと5色になるそうだね。

―― その話は構造主義でも出てきたな。僕たちの認識は、社会のフレームワークによってあらかじめ規定されている、と。

―― そうだね。構造主義では、まさにそのフレームワークが問題にされる。僕たちはどのように規定されているのか、ということだ。まあ、そう簡単に断言できるものでもないけれど。

―― しかしなるほど、君は、それとは違う視点をもつわけだ。

―― そう。ここで、僕たちの認識が、日常的には「他ではあり得ない」ものとして経験されるけれども、原理的には「他のようでもあり得る」ということを問題にしたい。

―― どういう意味だ?

―― つまり、君が虹を5色だと認識する可能性を、誰も否定できないということだ。

―― いや、僕は日本人として生活してきたから、7色として認識するのが妥当だと思うんだが。それが日本社会のフレームワークだろう?

―― 妥当かどうかは問題じゃない。絶対かどうかが問題だ。そもそも虹はグラデーションだから、何色にでも分解できる。それを君が「7色として認識しなければいけない」なんてことはない。

―― 確かにそうかもしれない。それで君は何が言いたいんだ?

―― 言いたいことはすでに言ったさ。僕たちの認識は、原理的には「他のようでもあり得る」モノゴトを、自明なものと見なして疑わないことで成立している。

―― あらゆるモノゴトについて、僕たちの認識は、絶対的ではないものを絶対的だと見なすことで成立している、と?

―― そう、その通り。たとえば、人間は「主体」とも「客体」とも認識できるけれども、「主体」として絶対化するのが近代のルールだね。君は、近代のルールを自明化できなくなったようだけど。

―― なるほど……。

―― あらゆるモノゴトは、無限の解釈可能性に開かれている。僕たちの認識は、その可能性の海からたった一つの解釈を選びとって、それを自明化しているに過ぎない。

―― 君の言っていることは、理屈では分かるんだが、感覚的にはまだ納得できない。それだと、僕たちの認識はあまりにも不安定なものにならないか? 社会のなかで解釈が画定されていないと、円滑なコミュニケーションができないだろう?

―― 発想が逆転しているよ。君が言う通り、僕らの認識は原理的に不安定なんだ。だからこそ、社会は解釈様式を画定して、それを安定化させなければいけない。人間が何を自明化するかは、かなりの程度、社会構造に規定されている。しかし、それでも、無限の解釈可能性が消え去るわけではない。

―― なるほど、分かってきた。僕たちの認識は、いつでも、他の解釈可能性を背景にしている。あらゆる認識には他の可能性が潜んでいるけれども、人間は、常に何かを自明化することで世界を作っている。自明化するモノゴトが変われば、作られる世界も変わる。つまり、僕が認識する世界は、僕自身が作ったものでしかない。

―― そう、それがまさに、人間の根幹にかかわる問題だ。モノゴトを認識するためには、「他のようでもあり得る」解釈を、「他ではあり得ない」解釈として、自明化する必要がある。このことを、人間の「原罪」と表現することにしよう。

―― 「原罪」か。確かに、人間として生きるうえで、絶対に逃れられないからね。

―― モノゴトを認識するには、「原罪」を通過しなければいけない。認識を作り上げるという意味では、それは世界の創造主だ。しかし、たいていの人間は、自らの「原罪」を忘れてしまう。原理的には「他のようでもあり得る」のに、あたかも「他ではあり得ない」ものとして、僕たちは思い込んでしまう。

―― 人間の認識は、人間の外部にある世界をただ投影することではなくて、何かを自明化することによって、世界を新たに作ることなんだ。しかし、「自明化」は、忘却される必要がある。なぜなら、「自明化」のプロセスが認識されてしまうと、自明化されたものは、もはや自明ではなくなってしまうから。

―― つまり、人間の認識は、何かを自明化したうえで、その自明化を忘却するという、二重のプロセスによって成立している。その二重のプロセスによって、世界は「他ではあり得ない」ものとして存立する。

―― そうして存立した世界では、世界そのものは疑われなくなる。自明化された世界のルールに従って認識が生成されて、その世界は一貫性を保ち続ける。そして、「原罪」が忘却されることによって、自分の世界に閉じ込められる人間が完成する。

―― すなわち、人間は、「原罪」を自覚しないがゆえに、「原罪」の囚人となる。「原罪」を忘却した人間は、自分の世界の自明性から永遠に脱出することができない。「他ではあり得ない」世界は、自明化の自律運動を続けてしまう。

―― ちょっと待ってくれ。そういえば、学問は、「他ではあり得ない」モノゴトを追究する営みだったはずだ。君は、あらゆる学問が「原罪」の檻に閉じ込められていると言うのかい?

―― 少なくとも、自然科学はその通りだろう。それから、自然科学をマネする社会科学の分野もそうだ。普遍的な真理は、「原罪」の檻のなかにしか存在しない。「原罪」は世界を創り、「真理」をエサに人間を誘い込む。

―― そして、人間がその世界に入り浸ってしまえば、「原罪」の勝利が決定する。「原罪」は人間の認識を一方的に支配し、人間は自らが支配されていることすら認識できない。人間が「世界を支配した」と勝ち誇るとき、人間は敗北している……。

―― 恐ろしいだろう?

―― ゾッとしたね。「原罪」は、まさに人間の根幹だ。いつの間にか僕たちを閉じ込めて、そのまま姿を消してしまう。しかし、君のことだから、これで話が終わるはずがない。人間は、一方的に敗北するだけに終わらないんだろう?

―― 僕のことをよく理解しているね。そう、人間は「原罪」の囚人であることに満足しない。これでようやく、社会学の話ができそうだ。



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