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メタ社会学的対話 [3/5] -- 「入門」の一歩先へ

1. 「社会学」「人間」「自分自身」
2. 人間の「原罪」
3. 社会学の〈原罪〉(←本稿)
4. 社会学者の実存
5. 「原罪」と実存

社会学の〈原罪〉

―― 人間は「原罪」から逃れられない。それは、社会学だって例外ではないだろう?

―― 「原罪」の制約を受けるという意味では、その通りだ。

―― それでは、やはり人間は敗北しているじゃないか。

―― そう焦らないでくれ。ところで、君は今まさに、「原罪」の檻から解放されようとしている。あるいは、すでに解放されている。それに気がついているかい?

―― 僕が「原罪」から解放されようとしている?

―― いや、違う。「原罪」そのものからは逃れられない。モノゴトを認識するからには、僕たちは「原罪」を通過しなければいけない。あらゆる認識は自明化によって生み出される虚像だからね。それから解脱するには、禅のように一切の認識を停止する必要がある。

―― じゃあ、どういうことだ?

―― 「原罪」と、「原罪」の檻は、まったく異なる。あらゆる認識は、無限の解釈可能性から選ばれたものだっただろう? ここで認識は、「原罪」の形式に規定される。認識に無限の可能性があるということは、「原罪」の形式にも無限の可能性があるということだ。だから、君がたったひとつの「原罪」に閉じ込められる必然性はないんだよ。

―― なるほど、「原罪」の檻というのは、たったひとつの「原罪」の囚人となっている状態なのか。だとすると確かに、人間は、「原罪」からは脱出できないが、「原罪」の檻からは脱出できることになる。

―― そう、そして、檻からの脱出は、「原罪」「原罪」として認識したときに始まる。

―― まさに僕の現在じゃないか!

―― 「原罪」が人間を一方的に支配できるのは、その人間が支配されていることに気づいていないときだけだ。フランスの市民が革命を起こせたのは、明らかな支配者が見えていたからに他ならない。そして今、君は、認識世界の支配者を捉えた。

―― 「原罪」を乗り越える革命か。しかし、そう簡単にはいかないだろう。「原罪」を認識した先には何があるんだ?

―― 何もなくなるんだよ。そこにあった世界は、いつの間にか溶けてなくなる。君は、君自身が生きていた認識世界の自明性から解放されて、純粋な可能性を手に入れる。つまり、あらゆる認識が輪郭を失って、「他のようでもあり得る」という原始形態を回復する。

―― そうか、その瞬間に、あらゆる認識は、無限の解釈可能性に還元されるんだ。僕が、自分を主体だと信じきれなくなって、振動する思考に振り回されていたのは、まさに認識が解釈可能性に還元されゆく事態だったのか。そうなると、僕は今まで、自分を主体として自明化する「原罪」に囚われていた……。

―― そうだね、それは、ほとんどの現代人の認識世界を規定している「原罪」だ。そして、君が「原罪」を捉えるきっかけになったのが社会学だったね。

―― 分かってきたよ。社会学は、「原罪」の檻から解放された学問なんだ。たくさんの概念が散らばっているのも、社会学の内部で矛盾が生じるのも、社会学が特定の「原罪」に縛られていないことを意味する。人間の主体性を肯定するのも否定するのも、「原罪」の形式が違っているだけだ。

―― その通り。社会学は、無限の可能性に開かれている。それは、社会学が「原罪」「原罪」として認識しているからに他ならない。社会学は、自らの「原罪」を自覚的に選びとる。そして、社会学における認識は、「原罪」に規定される消極的な世界から、「原罪」によって生成する積極的な世界へと転回する。

―― なるほど。つまり社会学は、多様な「原罪」の可能性を享受する。同時に、具体的な「原罪」を選びとることを迫られる。社会学における探求は、「原罪」の意識とともに遂行される。

―― そのような、メタ的な「原罪」との向き合い方を、〈原罪〉と呼ぶことにしよう。「原罪」は人間を檻に閉じ込めるが、〈原罪〉は人間を檻から解放する。「原罪」は真理をエサに人間を誘い込むが、〈原罪〉は、普遍的な真理が存在しないことを知っている。〈原罪〉とは、「原罪」を乗り越えて、「原罪」を乗りこなす方法だ。

―― 「原罪」〈原罪〉か。これらは音声では区別できないけど大丈夫かい?

―― 問題ないさ。だってこれは、パロールに偽装されたエクリチュールなんだから。

―― ああ、そうだったね。社会学が〈原罪〉の学問だということは、よく分かった。あらゆる「原罪」を受け入れる学問として、社会学は存立している。しかし、だとすると、新たな問題がひとつ、生まれるはずだよ。すなわち、個別の社会学において、いかに「原罪」が選択されるのか、という問題だ。

―― さすが、鋭いね。〈原罪〉において、「原罪」はランダムには選択されない。そこには、社会学者の実存がかかわる。これは他でもない、君自身の問題だ。



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