《解題》「生々しさ」と「アカデミクス」 -- 自己の存立構造

 端的に言えば、その論考は私のティーンエイジの総決算である。



探求の出発点 -- 経営学と経済学の矛盾

 私のルーツは、経営学の組織論にある。組織論の専門家である祖父に導かれるようにして、ドラッカーの入門書を読んだのが小学四年生の夏だった。祖父は寡黙な人だが、彼の書斎には膨大な数の書籍が今にも崩れ落ちそうなほどに詰め込まれており、その書籍たちの大合唱に私はいつも圧倒された。

 組織論とは、非合理的で不完全な人間たちを一つの有機体としてまとめるための方法論であり、その過程で彼らの人間性を解放するための実践知である。これは一般的な「組織論」の定義とは異なるかもしれないが、祖父の組織論はこのように定義できるはずだ。中学生の私はうまく言語化できなかったが、身体的に理解していたのだろう。それゆえに、私は経済学を受け入れることができなかった。

 経済学との出会いは、中学三年生の公民の授業である。経済学の世界では、あらかじめ「個人」として完成され、完全合理的にふるまう人間たちが前提される。しかし、だとするならば、組織論はどこにあるのか。組織論において、人間はあらかじめ完成された存在ではないし、合理的な存在でもない。この決定的な矛盾こそが私の探求の出発点だった。経済学とは何か、あるいは学問とは何なのかという問いが、私を離陸させた。


社会学との接触 -- マルクス、ルーマン、見田宗介

 私は、三つの方向で個別に「社会学」と接触した。まず一つはマルクスである。私の初期の問題意識は経済学批判だが、それはマルクスの『資本論』の副題でもあった。しかし当時は、共産主義のネガティブなイメージに囚われて、入門書を読んではみたものの、マルクスと真面目に向き合わなかった。私が彼の理論の重要性を理解するのは、かなり後になってからである。

 ルーマンとの出会いはほとんど偶然だった。私は一時期、複雑系、自己組織化、システム、といった分野にハマっていた。私なりに、新古典派経済学とは異なる形で経済を語る方法を探していたのである。そのころ Amazon のおすすめにルーマンの『社会システム理論』が出てきて、なんとなく買って読んでみたがあまりにも難しい。いろいろな入門書と、ウィトゲンシュタインの言語ゲーム概念を補助線にしながら、なんとか内容を理解するのに一年ほどを要した。

 見田宗介とは高校の現代文の教科書で出会った。『社会学入門』から抜粋された文章は、私を縛り上げる〈社会=秩序体系〉に風穴を開けた。それ以来、私は見田のテクストに魅了され続けている。初めのうちはなんとなく面白いと思っていた文章が、社会学を学んでいくにつれて立体的に意味づけられ、その鮮やかな洞察とレトリックには何度も驚嘆した。


「社会学」とは何か -- 私は何を目指しているのか

 見田宗介に導かれて、私は「社会学」を学ぶようになった。そしてそのうちに、自らを「社会学者」として認識するに至る。しかし、社会学とは何かと聞かれると、上手く答えられなかったのも事実である。その背景には、見田宗介とルーマンを二つの焦点とした葛藤があった。

 見田とルーマンは、二人とも「社会学者」を自称している。しかし、彼らの文章は対照的である。見田の文章は理論的とは言い難く、確かに洞察は鋭いし面白いのだが、「学問」として位置づけるにはあまりにも自由すぎるように感じられた。一方、ルーマンの文章は徹底して理論的であり、公理と演繹に基づいた世界が提示された。私が面白いと思ったのは見田の社会学だが、より「学問」らしいのはルーマンの方であり、しかも彼らのテクストが両方とも「社会学」に内包されることがとても不思議だった。

 こうして私は、奇妙な状況に追い込まれた。マルクス、見田、ルーマン、レヴィ=ストロース、ゴフマン、ブルデューなど、個別の社会学にはかなり詳しくなったが、「社会学」そのものはよく分からなくなってしまったのである。同時に、「社会学者」としての自分自身も分からなくなった。探求の出発点にあった「経済学」への問いは、いつの間にか「社会学」への問いに変化し、同時に自分自身への問いとして並々ならぬ切実さをまとう。


「生々しさ」と「アカデミクス」 -- 私の生きる道

 その問いに決着がついたのが、『「生々しさ」と「アカデミクス」』という論考である。社会学理論の到達点とも言うべきブルデューとギデンズを精読し、緻密に対照させることで「社会学」そのものを捉えることができ、同時に「社会学者」としての自分自身も確立した。初めに書いたとおり、それは私のティーンエイジを賭けた仕事だった。

 社会学とは、「学問」になりえない「学問」であり、初めから矛盾しているのである。それが〈社会〉を対象とするからには「生々しさ」を汲みとるべきであり、それが〈学〉であるからには「アカデミクス」の様式を備えているべきなのだ。この狭間で揺れ動く社会学者たちは、多様な戦略の可能性を享受すると同時に、具体的な戦略の採用を迫られる。

ここに、社会学者の信念や倫理といった、およそ学問的とは言えないものが密輸される。理論世界と実践世界の狭間で揺れ動く社会学者たちは、戦略的に「構造」や「行為主体性」を自明視したり、あるいは理論世界/実践世界を放棄したりしながら、独自の社会学を構築する。社会学は、「学問」であろうとしながら、「学問」の閉じられた世界に風穴を開けようとする。このような「学問」に対する矛盾した態度こそが社会学の原動力であると、私は考える。

西大成『「生々しさ」と「アカデミクス」 -- 社会学の存立様式』より

 私が社会学に密輸するのは、私の祖父、西順一郎の思想である。彼の思想は、社会学の基層にある「人間解放」の哲学と共鳴し、私に使命と力を与える。ここが、私の社会学=人生の出発点である。


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