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圧迫面接と、私と、

 某月某日、某大手新聞社の会議室で、私はおじさん2人にガン詰めされていた。家庭内に"おじさん"が存在しないため、私は普段電車くらいでしか見かけない おじさん特有の威圧感に初めて接し、というか、久しぶりに"おじさん"と会話して それだったので、かなり困惑していた。

 2人がいる面接ブースだけ時間が押していて、私が来た時には前の時間枠の人が残っていたし、明らかに面接の進みが遅かったため嫌な予感はしていた(名推理)。面接前、人事からの「ちょっと変な人達だけど、悪い人ではないから…頑張って!」という訳の分からない応援も、伏線だった。

 慇懃にマナーを守るも、まだ着席していないのに質問が飛ぶ。
2人の手元には何本も黄色いマーカーが引かれた私のES(エントリーシート)が置いてあり、当の私は不覚にもそのデータを紛失してしまっていたため(ES提出後、出したESは見れない仕様だった)、内心「それ見せてーー😿」となっていた。

 詳細は伏せるが、人生観を聞かれたフェーズで「大学を肩書だと思ってるの?」と、私の人生の核心をつく、超クリティカルヒットな質問が飛んだ。「以前は肩書だと思っていました…(中略)…熾烈な中学受験から始まった受験なので…(中略)…ですが今は…(中略)…」などと申し上げている間にも、
「いやそうじゃなくて(目が笑っていない笑い)」「はは(鼻笑い)、どういうこと?」など、想定問答集なんて本当に作らなくて良かった(後悔)というほどさまざまな角度から薄ら笑いで人間性を分析され、HPはほとんど0になっていた。
 余裕がなくなると正直に話すしかなくなり、正直に自分のことを伝えるというのはかなり体力を消耗する。

 この段階で、椅子から立ち上がり「ありがとうございました、さようなら!二度と会うことはないでしょう」と言って飛び出していきたかったし、本当にもう出ようかと思った。
 しかしそういう訳にもいかないので、2人目(と時々1人目)の質問ラッシュへと移った。

  ガクチカ、家庭環境(「いつから母子家庭なの?」というグレーな質問をされたのには驚いた)など厳しい深掘りが続いたが、
 一番キツかったのは、大好きな本の話だ。

 本は幼少期から人生にかかせず、中高でも信じられないくらいの冊数を読んでいたため、趣味の欄に「読書」と書いていたが、そこに目を付けられた(うわーん)。

 「なんで作家になろうと思わなかったの?」
えー、わざわざ貴社の面接を受けに来ていて、結構場数踏んできたのに今それ言うー!?という感じだったし、意外と答えに詰まった。

 以下、介錯なしで切腹をしているような、今となっては笑える状態が続く。

 「ノンフィクションは読むの?読んできた本のジャンルは?」
「ほとんどフィクションです。小説です。ノンフィクションはあまり読みません」⇦ジャーナリズムに関わりたい癖にやばい

 「映像でもいいけどノンフィクションは?」
「ザ・ノンフィクションはたまに見ますが他はあまり…」⇦他業種他社でやばい

 「好きなノンフィクションの作品は?」
「すみません、本当にあまり見ていなくて今パッと思いつきません…」⇦本当にやばい

ノンフィクション作品を何か適当に言い、嘘をつくことも考えたが、お目が高い歴戦のおじさんにはすぐ見抜かれると判断し、降参して正直に話した。
意外にもおじさんたちは、笑わずに聞いていてくれた。
私とおじさん、笑いのツボが違うのだろうか。

 「なんで小説が好きなの?」
最後、満身創痍でたたき出した最高の回答が

「うーん、現実逃避です。結局は」 です。

これにはおじさんも苦虫を噛み潰したような笑顔を見せてくれて、
50分程度、体感3時間の戦いから、ようやく私は解放された。

 準備不足も相まって、大変相性の悪い、後味の悪い面接で、
家に帰ってから母の顔を見た瞬間に大号泣してしまった(可哀想)。

 面接は初対面の人に分かりやすく自己開示をしなければいけない状況で、それ自体がかなり負担だが、家庭環境のことやずっと大切にしていること・価値観を聞かれた上に踏みつぶされたような感じがして、とても嫌だった。
 が、私は非常に単純な人間なので、関係各所に散々愚痴った後「これもよい経験だー」とすぐ思えたし、反省すべき点は反省しようと思ったのだった。

 控室から出口へ向かう時、事件性の高いブースの前で、学生が顔を強張らせながら時が来るのを待っていた。私はあの面接を終えてもう帰れるんだ♪という優越感を抱きながら、もうこのオフィスに入ることは二度とないんだろうな~と若干の感傷に浸りながら、帰路についた。


 翌日、次回選考の案内が来た話は、たぶん、もうしません。



 

 

 


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