星 飛雄馬

著述、翻訳、編集の仕事をしております。主な著書に『「知」への英単語』(テイエス企画)、…

星 飛雄馬

著述、翻訳、編集の仕事をしております。主な著書に『「知」への英単語』(テイエス企画)、訳書に『手放す生き方』(サンガ)などがあります。 現在、大変困窮しておりますので、こちらのリストからご喜捨いただけますと、とても助かります→https://onl.bz/SMSQ9Tm

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  • Living Dhamma

    アチャン・チャーの法話集『Living Dhamma』の日本語訳です。

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    ジャック・コーンフィールドの著書『Modern Buddhist Masters』の日本語訳です。

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    アチャン・チャーの法話集『Our Real Home』の日本語訳です。

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このnoteをいつも読んでくださっている皆さま、本当にありがとうございます。 皆様の温かいご支援、サポートによって、何とか今日までこのnoteを続けてくることができました。 ただ、現在一つだけ少々困った問題が起きていまして、今日はその点について読者の皆様にお願いできればと思っております。 このnoteの開設より今日まで、読者の皆様から、たくさんのご支援を受けてまいりました。 それにもかかわらず、今少々困っていることというのは、いただいたご支援の90%がamaz

    • 私たちはなぜ、この世界に生まれてきたのか? ⑤

      アチャン・チャー  世間の人々は、髪や爪、歯、肌といったものに、本当に執着しています。ブッダはこの5つのものを基本的な瞑想の対象と定め、よく観察するようにと説きました。しっかりと観察してみると、それらが無常で、不完全で、所有者がいないものであることが、よく分かります。この5つのものは、「私のもの」でも「誰かのもの」でもありません。私たちは、生まれたときからこうしたものに惑わされていますが、実はそれらは、本当は清らかなものではありません。仮にあなたが、一週間お風呂に入らなかっ

      • 私たちはなぜ、この世界に生まれてきたのか? ④

        アチャン・チャー  この話から、世間の人々が、いかに自分というものを理解していないかが分かります。何と哀れなことでしょう! 彼らは自分自身を見つめず、いつも外ばかり見ています。森の木や他人の姿を見て、「これは大きい」「あれは小さい」「これは長い」「あれは短い」などと語り合っています。彼らは自分の外部にあるものを見るのに夢中で、自分自身を観察しません。率直に言って、世間の人々というのは、本当に哀れな存在です。彼らには、自分の拠り所(帰依所)とするものが無いのです。  出家

        • 私たちはなぜ、この世界に生まれてきたのか? ③

          アチャン・チャー  私たちの身体のうち、筋肉や皮膚、骨など硬さを持ったものは、「地の要素」と言います。血液など、液体状のものは、「水の要素」です。そして、身体を温める熱は「火の要素」になります。最後に、私たちの身体の中で、様々なものを循環させる力を「風の要素」と呼びます。  ワット・パー・ポンには、男性でも女性でもない身体があります。それは、本堂に安置されている骸骨のことです。その骸骨を見ても、男性であるとか、女性であるという感じはしません。誰かに、 「この骸骨は男性で

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        記事

          私たちはなぜ、この世界に生まれてきたのか? ②

          アチャン・チャー  ですからブッダは、「 khaya vayaṃ 」ということを強調したのです。比丘であろうと、在家であろうと例外なく、今、この瞑想ホールに座っている私たち全員が「老いのプロセスの塊」なのです。先ほどの、氷の例と同じです。私たちの身体は、今は氷の塊のように、まとまりのある形をしています。氷は、最初は水で、一定の期間氷の形を保ち、いずれまた溶けて水に戻ります。私たちの身体も同様です。自分の身体をよく観察してみてください。髪の毛も爪も、あらゆる箇所が老化しつつあ

          私たちはなぜ、この世界に生まれてきたのか? ②

          私たちはなぜ、この世界に生まれてきたのか? ①

          アチャン・チャー  今年の雨安居では、私はあまり体調がすぐれず、元気がありません。そこで、新鮮な空気を吸いに、この山の寺へとやってきました。私に面会を求める人々は絶えませんが、以前のように対応することはできません。声もかすれますし、話すとすぐに息が上がってしまいますので。こうして皆さんに会えるということ自体、有り難いことだと思っています。すぐに、皆さんとももうお会いできなくなることでしょう。私の呼吸が止まり、誰とも話せなくなる日もそう遠い日のことではありません。あらゆる現象

          私たちはなぜ、この世界に生まれてきたのか? ①

          瞑想入門(全訳)

          アチャン・チャー  皆さんは、ここに善を求めてやって来たのだと思います。ですから、どうか心を穏やかにして、法話を聴いてください。平安な心でダンマを聴くためには、法話に集中しつつも、聴いた内容に執着せず、手放すことを心掛けることです。ダンマを聴くことは、私たちの人生にとって大きな利益となります。法話を聴いている間、私たちはサマーディを確立している必要があります。法話を聴くこともまた、ダンマの実践だからです。ブッダの在世時、人々は真剣になってその説法に耳を傾けていました。ですか

          瞑想入門(全訳)

          瞑想入門 ㉒

          アチャン・チャー  ブッダは幸福は苦しみの側面を含むものであると説きました。私たちは普段、幸福な生活をしていても、その真の姿を知ることはありません。私たちが幸福だと勘違いをしているものは、本当は煩悩の一形態に過ぎません。ですから、私たちは幸福に執着をするのです。誰もが、幸福になりたいと願っています。幸福は、何かを好きになることから生じます。ですが、自分が好きな対象が嫌いになるや否や、幸福は苦しみへと変わります。このように、私たちの持つ幸福という感情は、極めて不確かなものなの

          瞑想入門 ㉒

          瞑想入門 ㉑

          アチャン・チャー  戒を守り、心が清らかになると、私たちは他人に対して優しくなれます。他人に対して優しくなると、毎日が充実感に満ち溢れたものとなり、不安や後悔といった感情から解放されます。性格が優しくなったので、他人を傷つけるような言動や行動はもうしません。そのため、自分のおこないを後悔するようなことがなくなったのです。これこそが幸福な人生というものです。ほとんど天界の住人のようなものです。戒を守ることによって生じる幸福感があるため、日々、安心して食事をし、眠ることができる

          瞑想入門 ㉑

          瞑想入門 ⑳

          アチャン・チャー ④ 正直に話すこと   正直に話すこともまた、煩悩を根絶するための手段となります。私たちは正直で、まっすぐに生きなければならないのです。 ⑤ 人を酔わせるものを控えること   アルコール等の人を酔わせるものは、控えるようにしてください。そして可能なら、完全にそれらのものを摂ることを止めてください。私たちは既に、家族、友人、富などといったものに十分酔っています。これ以上、人を酔わせるものを摂取して、酔いを深める必要はありません。人を酔わせるものは、私たち

          瞑想入門 ⑳

          瞑想入門 ⑲

          アチャン・チャー ② 正直であり、他人の権利を侵害しないこと   言い換えるなら、他人の所有物を盗まないことです。 ③ 節度のある性的生活を送ること   家庭とは、夫と妻を中心として成り立つものです。自分の夫や妻が誰であるかを忘れずに、節度のある性的生活を送るようにしてください。性行為は、適切な相手とおこなうことが大切です。世の中には、限度というものを知らない人々がいます。そんな人たちは、夫や妻がいるにも関わらず、二人目、三人目と性的なパートナーを求めます。性的なパート

          瞑想入門 ⑲

          瞑想入門 ⑱

          アチャン・チャー  では、心の中にダンマを見出すには、どうしたらいいのでしょうか? ダンマを知り、理解をすれば、心の中にダンマを見出すことができます。そしてそれは、誰にでも可能なことです。ダンマは本の中に書いてあるようなものではありません。たくさん勉強をすれば、分かるというものでもありません。今、この瞬間に気づきを向けることによってのみ、ダンマを知ることができます。ダンマを知るために、遠くまで旅をする必要はありません。なぜなら、それは私たちの心の中にあるのですから。煩悩は、

          瞑想入門 ⑱

          瞑想入門 ⑰

          アチャン・チャー  正しく本能に逆らうことによって、自分自身に打ち勝つことができます。逆に本能に逆らうことができなければ、利己的なまま生きることになり、欲の犠牲者としての人生を歩むことになってしまいます。何もしなければ、私たちは利己的なままです。欲とは、断ち切るべき煩悩なのです。パーリ語では、与えることは「ダーナ」と呼ばれ、他者に幸福をもたらすことを意味します。布施は、心を煩悩から解放する手段の一つです。このことをよく覚えておいて、自分の心を育てるために、布施を活用してくだ

          瞑想入門 ⑰

          瞑想入門 ⑯

          アチャン・チャー  このことは、空腹時などに実際に経験をすることができます。友人と一緒にいるとき、リンゴがいくつかあったとしましょう。友人とリンゴを分け合う気はありますが、あげるなら小さなほうだ、と思う。大きいほうのリンゴは、あげたくないわけです。 「好きなのをどうぞ!」 と言っておきながら、実際に友人がリンゴに手を伸ばすと、 「これがいいんじゃない?」 と小さいほうのリンゴを手渡す。こうしたことは些細なことだとして、普段は気づき難いですが、実際のところ、それは欲です。皆さ

          瞑想入門 ⑯

          スノー・イン・ザ・サマー

           今回は、おすすめの仏教書を紹介させていただきます。  本書、『スノー・イン・ザ・サマー』の著者は、ミャンマーを代表する名僧、ウ・ジョーティカ師。  日本でも、『自由への旅』『ゆるす』といった本が新潮社から出版されているので、有名ですね。  ただ、上記の二冊に比べると、この『スノー・イン・ザ・サマー』は紙の本として出版されていないこともあり、知らない方も多いようです。 『自由への旅』『ゆるす』が法話集なのに対して、本書はウ・ジョーティカ師が外国人の弟子に書き送

          スノー・イン・ザ・サマー

          瞑想入門 ⑮

          アチャン・チャー  この段階に至ると、気づき、正知、智慧、サマーディなどは、一体のものであることが理解できるようになってきます。そうすると、外部の感覚の対象に惹かれようと、反発しようと、「これもまた、確かなものではない」と自然に分かるようになるのです。私たちは、そうした感覚の対象への反応を克服し、心を清らかにしなければなりません。そして、心に残るのは、気づき、正知、智慧、サマーディだけにするのです。  ここからは、瞑想実践の助けとなるツールについてお話ししましょう。瞑想

          瞑想入門 ⑮