両親が離婚したあのときの年齢に、自分がなって思うこと。
オーバードーズ依存症の母と、なんでも暴力と威圧で解決しようとする父が離婚したのは、ちょうど今の私くらいの歳だった。
私の高校受験も終わり、無事に志望校への進学が決まって少し経ったころ、話があるからとリビングに呼ばれた。
リビングなんてかっこよく言ってるけど、実際のところは11個下の弟と4人で住むには小さくてボロくてしょぼすぎるアパート。
なんとなく予感はしていた。
そんな何もかもが筒抜けな空間にいたら、いやでもわかる。
「パパたち離婚することにしたよ。」
やっぱりだ。
わかっていたんだから悲しくない。
こんな家族、元々バラバラみたいなもんだったんだから、ちっとも悲しくなんかない。
でもその反面、気づけば泣きじゃくりながら、
「もう少し頑張ろうよ!みんなで協力すればなんとかなるよ!だからね!考え直そうよ!お願い!」と必死に説得している自分がいた。
そんな私を見つめる2人の、困ったような穏やかな顔。そのとき初めて見る表情だった。
2人とも首を縦に振ることはなかったし、「あぁ、もう本当に終わりなんだ」と、そのあとは何も言えなかった。
どっちについていくか決めておいてね、そう言われて話はおしまい。
そんなの簡単に決められるわけがない。
どっちが好きかなんかで決められない。
もうなんでも自分で決められるんだ、なんて大人のつもりだったけど、思っていたよりもまだまだ自分って子供なんだなって、苦笑いするしかなかった。
と同時に、思っていたよりも自分の中にかなしみがあることにおどろいた。
最終的には、弟とともに父との生活を選んだ。
進学する高校が、父と住む家のほうが近いからという事務的な理由が一つ。
あともう一つは、母が良くなったらまたやり直そうという父の前向きな発言があったから。
それでも、結果的には一度突き放すような形になってしまった母を思うと申し訳ない気持ちでいっぱいで、そのとき母の顔は見られなかった。
ただうつむきながら、心の中で「ごめんね」を繰り返していた。
これから、また新しい生活が始まる。
父と弟と3人。落ち込んでばかりはいられない。
まだ弟は小学生だし、高校生活も楽しみたいけどとりあえずはおうちのことを優先に協力して頑張ろう。
そんなふうに決意した1週間後には、父が母の友達と再婚する話を聞かされ、その人が顔見知りからいきなりお義母さんに昇格したのだから、人生はどうなるかわからない。
父が離婚の少し前から浮気していたことも、母とやり直すなんて嘘だったことに心の底から腹が立った。
そして、本当に私たちのことが大事なら、死に物狂いでオーバードーズやめてくれよ!友達に旦那奪われてるじゃんか!母よ!と今更ながら母へも怒りが芽生えたりもした。
本当はすごく嫌だった。でも母のところには行けないし、まだ学生な私が一人で生活なんてできない。
だから選択肢は一択だった。
貼り付けた笑顔を覚えたのはきっとこの頃。
そんな父と母と、同じ歳になって思うこと。
2人とも、2人なりに必死だったんだなって。
16で私を産んで、子供が必死に子供育てて。
今の私に高校生の子供がいるだなんて、想像すらできない。
父は父で、暴力でもなんでもいいから母をなんとかしようと頑張っていただろうし、母は母で、自分でもどうすることのできない心の中の闇と戦っていたんだなって今なら思える。
それに、30代に突入するとやっぱりどこか改めていろいろと取捨選択をする時期なのかなと思うし、やり直すならいい年頃かもしれないなと思う。
亡くなってしまった母にはもう、直接文句も感謝も伝えられない。
父とは10年以上会ってないし、その間にまだ会ったことのないお義母さんが何人か増えたらしくて呆れてるし、会いたいとは1ミリも思わない。
今の2人への反発心みたいなものは、この歳になったってそう簡単には消えないけど、
当時の父母には「お疲れ様でした、ありがとう。」って伝えたいと思えた33歳の夏の終わりでした。
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